第42話 里山の黄昏
約束どおりケーキを買って、私たちは里山のログハウスへと帰って来た。
苺のショートケーキを三人で食べながら、節子先生の話で私たちは盛り上がる。
「結婚するかな」
「するする。あれは結婚確定や」
「二人とも、気が早いわよ。その前にお付き合いしてからでしょう」
お付き合いというものがイマイチ良く分からない私は、お母さんにその辺りについて聞いてみた。
するとお母さんからはこんな感じで帰って来た。
「簡単に言えば、デートするってことよ」
「デートってなにするの?」
「そうね。まあ一緒にお買い物行ったり、映画観たり、ドライブしたりとかかな」
「ふーん」
あまりピンとこなかったのは私だけではなかったみたいで、小春ちゃんもすっきりしない顔をしたまま、更なる質問をしてきた。
「一緒に買い物って、オークワとか? 映画館はこの辺には無いから、家でテレビ見るってこと? ドライブって田んぼとか畑とかばっかりやけど、そんなんでええん?」
「えっと、ごめんなさい。デートの話はもっと二人が大きくなってからにしましょうね」
お母さんはもうこの話を終わりにしたいらしい。
食べ終えたお皿を片付け始めたお母さんは、急に話題を変えた。
「小春ちゃん、ここに泊まってみたくない?」
そのひと言に小春ちゃんの大きな目がさらに大きくなった。
「ええん? 泊ってもええん?」
「ホント? お母さん!」
「勿論。予備室の荷物を寄せたら、二人分のお布団じゅうぶん敷けるでしょう。今日はさくらと一緒の部屋で寝てって」
「やった! ほんならお泊りセット取りに帰ってくる」
「それなら私も行く」
心が浮きたってじっとしていられない。
私は小春ちゃんと共に家を出た。
今はだいたい午後四時くらい。
少し陽の傾いてきた森の小径を、また私たちは手を繋いで歩く。
「やった、お泊りや」
「うん。この間は小春ちゃんの家だったもんね」
「うち、誰かの家に泊まりに行くの初めてやねん。初体験ってやつやねん」
「うふふふ」
ちょっと興奮気味の小春ちゃんも可愛いなと、私はまた発見してしまった。
日陰を選んで歩いていると、畑仕事をしているおじいさんに声を掛けられた。
「やあ、こんにちは、小春ちゃんに、さくらちゃん」
「こんにちは」
何となく見たことのあるおじいさん。
小春ちゃんだけじゃなく私の名前も憶えていてくれていた。
私と同じ麦藁帽子姿のおじいさんは、日焼けした顔に笑い皴をいっぱい浮かべて、農作業で曲がった腰を伸ばす。
「今日はまた暑いなあ。今から分校にでも遊びに行くんか?」
「いえ、これから小春ちゃんの家に行くところです」
「そうやねん。今から家にお泊りセット取りに帰るところやねん。今日はさくらちゃんの泊ってるログハウスにお泊りやねん」
ちょっと自慢気に小春ちゃんはそう言った。
「ほうか、ほうか、ええなあ、小春ちゃんもええ友達出来てほんまに良かった。あ、そうや。マクワウリいらんか? 丁度ええ感じで熟れとるやつが成っとるんや」
「マクワウリ?」
私が訊き返すと、小春ちゃんが説明してくれた。
「そこに成ってる黄色い奴やよ。メロンほど甘うないけど、冷やして食べたら美味いねん。食べたことない?」
「うん。多分」
おじいさんは手に持ったハサミで熟してそうなマクワウリを二つ切ってくれた。
「お泊りやったらデザートにしたらええ。今から氷水で冷やしたらよう冷えて美味しいはずや」
おじいさんがくれた黄色いずんぐりとしたマクワウリは、片手で掴むには少し大きくて、私たちは両手で持つことにした。
メロンは大好きだ。
これはいったいどんな味がするのだろう。
黄色い大きな果実に、私はちょっと期待感を寄せてしまう。
そんなに重いものでもなかったが、胸の前で同じ姿勢で持っていたので、小春ちゃんの家に着くころには腕が張って辛くなっていた。
小春ちゃんの家に到着すると、すぐに小春ちゃんのお母さんが玄関の硝子戸を開けて迎えてくれた。
「マクワウリやん。どないしたん?」
「帰る途中で、益田のじいちゃんにもらってん」
「よう熟れてそうや。持ってって今日のデザートにしたらええわ」
どうやらお母さんから電話で、今日のお泊りのことは聞いているみたいだ。
「お母さんも泊るん?」
「行きたいけどそうゆうわけにはいかへんねん。うちはおばあちゃんとお父さんの面倒見たらなあかんのよ。あんただけ泊まらしてもらっておいで」
「分かった。ほんなら明日の朝帰って来るわな」
お泊りセットはおばさんが用意してくれていた。
私たちは大きなマクワウリの一つをおばさんに渡して、またもと来た道を辿った。
ケケケケケ
ヒグラシの鳴き声が聴こえる坂道を、私と小春ちゃんは歩いていく。
小春ちゃんの持つマクワウリの入った白いビニール袋が、重そうに揺れている。
「重くない?」
「平気やよ。こんなん重たいうちに入らへんねん」
「ね、三十歩歩いたら交代しようよ」
「ええよ。ほんなら今から数えるね」
そして私たち当たり前のように手を繋ぎながら数を数える。
何度かマクワウリを持つのを交代しているうちに、何故か小春ちゃんは数を数えなくなった。
「もうすぐなんやね」
その言葉の意味を私は噛み締める。
「うん……」
明後日の午後、私とお母さんはこの里山を発つ。
長い間海外に行っていたお父さんの帰国日程が決まっているので、もう宿泊を延長することは出来ない。
思い返せばあっという間だった。
夢のような時間は本当に夢のように過ぎて行った。
今こうして繋いでいる手の感触も、やはり夢のように私の手からこぼれて行ってしまうのだろう。
今日お母さんが小春ちゃんをお泊りに誘った理由も、私たちには分かっていた。
それは二人の時間がもう残り少なくなっているからに他ならない。
言葉にすることを躊躇っていただけで、お互いにずっと気にしていたのだ。
「さくらちゃん、うちな……」
繋いでいた手を通して、その心の揺らぎを私は感じ取る。
私は小春ちゃんの小さな唇の動きを、ただじっと見つめていた。
束の間の沈黙のあと、ヒグラシの鳴き声がほんの少し静かになって、小春ちゃんは私に横顔を見せたまま小さく言った。
「ううん、何でもない」
小春ちゃんは手を繋ぎ直して、そのまま言葉をしまってしまった。