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第4話 二人で歩けば

 和歌山県、紀伊山地の奥に緑に囲まれた自然豊かな村落がある。

 上ノ郷村(かみのさとむら)では、過疎で人が少なくなった村を賑やかにしようと、他村で行っている山村留学に倣って、里山の生活を体験してもらうプログラムを役場で立ち上げた。

 手探りで始まった都会からの小学生の受け入れ。その第一号は、東京から来た小学三年生の女の子だった。

 母親に連れられて何もない田舎に現れた女の子は、期待と不安の入り混じった表情で真新しいログハウスに足を踏み入れた。

 そして、そこで女の子は向日葵のワンピースに身を包んだ夏の妖精と出逢ったのだった。

 

 地元の杉の木をふんだんに使って建てたログハウス調の宿泊施設は、腕のいい村の大工が、山村留学に来た家族が快適に過ごせるよう丁寧に時間をかけて完成させた自信作らしい。

 使い勝手のいい2LDKは、対面式の広いキッチンが備え付けられており、そこに立つだけで、リビングにある大開口の窓から遠くの山を一望できた。

 キッチンに立ったお母さんは、東京の家を出るときに持って来た紅茶を淹れ、このログハウスに初めて訪れたお客さんをもてなした。


「久しぶりやね……」

「そやね……」


 二十五年ぶりの親友との再会というものがどういうものなのか、まだ八歳の私にはきっと理解できていないのだろう。

 先程玄関で対面した時、二人は抱き合って号泣していた。

 大人が抱き合って恥ずかしげもなく泣いているのを、私は初めて目にした。

 そして、同じように母親が子供のように泣いているのを目にした同級生の女の子、畠山小春も動揺し、言葉を無くしていた。

 恐らく今になって、お互いのリアクションの大きさに恥ずかしさを覚えているであろう母二人は、ややいたたまれない空気の中、控えめに紅茶をすすっていた。


「山崎のおじさんから分校なくなったって聞いたよ」

「うん。もうだいぶ前に。小春は麓の小学校まで行ってるから、お陰で健脚なんよ」


 小春ちゃんのお母さんは、畑仕事でもしているのか少し日焼けしていた。娘と同じように良く通る声の持ち主で、その快活さで周囲の空気を明るくするようなそんな人だった。


「ふーん、大変そうやね。どれくらいかかるん?」

「歩いたら一時間半くらい。でも小学校から麓までちっさいバス出してくれてるから、40分で行けるんよ」

「へえ、それでも遠いねー。小春ちゃんは通学しんどくない?」


 話を振られて、出されたクッキーを齧っていた小春ちゃんは、手を止めて元気よくこたえた。


「うち、全然しんどくない。バス停から家までの坂道、走って上がったこともあるし。駆けっこやったら上級生にも負けへんねん」


 鼻息荒く言ってのけた。毎日通学で激坂を上がっているみたいだし、本当に駆けっこは得意なのだろう。

 それにしても勢いのある女の子だ。いま通っている学校ではお目にかかれないタイプの女の子に、また少し尻込みしてしまう。

 彼女とは対照的に、さっきから一言も話せないでいる私に、小春ちゃんのお母さんは、懐かしいものを見るような目を向けてくる。


「さくらちゃんって、あの頃の明日香ちゃんみたい」


 そのひと言をお母さんは否定せず、「そうかも知れないね」と小さく頷いて見せた。


「それを言ったら、小春ちゃんかって昔の園枝ちゃんみたいやけどね」

「ほんまに? 私って小春みたいやったん?」

「そうやよ。えらい勢いで坂道走ってた。やめてって言ってるのに、いっつも競争しようとしてたやないの」

「そう言われれば、そうやったかも。まあ、親子やし、しょうがないわ」


 小春ちゃんのお母さんがさっき言っていたように、はた目から見ると私はお母さんによく似ているらしい。そして、小春ちゃんは、確かに顔も雰囲気も母親似のように思える。やはり母娘というのは自然と似てしまうものなのだろうか。

 久しぶりの再会で、いつまでも話が終わらなさそうな二人に、クッキーを食べ終え、ティーカップを空にした小春ちゃんは、席に座ったままなんだかそわそわしだした。

 そんな小春ちゃんの様子に、お母さんも気付いたようだ。


「どうしたの? 小春ちゃん」

「うん。あのね、うち、さくらちゃんと遊んできてもええかな?」


 お母さんは壁に掛けられた時計を見上げた。さっきおじさんが言っていた夕方からの予定を気にしたのだろう。


「六時に分校跡の会館って言ってたから、あと一時間くらい大丈夫そう。小春ちゃん、それまでさくらと遊んであげてくれる?」

「ええん? やった!」


 快い返事をもらった小春ちゃんは、ちょっと興奮気味に席を立った。


「さくらちゃん、外で遊ぼう。うちが色々ええとこ案内したげる」


 出掛ける気満々の娘に、小春ちゃんのお母さんは、ちょっと待ってと引き止めた。


「小春、あんたいきなり連れまわそうとしてるやろ。今日はもう遅いからそんな時間ないよ」

「えー」

「えーやない。あんたのペースでさくらちゃんを引っ張りまわしたらあかんよ」


 小春ちゃんの中では、もう新しい友達の手を引いて家を飛び出している感じだ。

 本当に分かり易くがっかりしている様子の娘に、母親は代替案を提案した。


「明日香ちゃん、六時から会館の敷地でバーベキューなんでしょ。実はうちらも歓迎会に顔出してくれって言われてるんよ。どうかな、小春にさくらちゃんを案内させて先に行ってもらったら。分校跡には遊具もあるし、山崎のおじさんも準備しに行ってるから安心やよ。うちらはあとからゆっくり行ったらええんやない?」

「え? 小春ちゃんに? それは流石に悪いよ……」


 遠慮なのか、それとも信用していないのか、お母さんは両手を胸の前で振ってみせた。

 しかし、再びやる気をみなぎらせた小春ちゃんには通用しなかった。


「なんも悪くないんよ。うち、責任を持ってさくらちゃんを案内する」

「そ、そう? じゃあお願いしようかな……」

「お願いされました。ほんなら行ってくるね。さくらちゃん、うちから離れたらあかんよ」

「え? うん……」


 二人の母親に見送られ、家を出た私たちはヒグラシの声のする緩やかな上り坂を辿った。

 なんだか二人になった途端、小春ちゃんの口数が減ってしまった。

 人見知りをしない印象の彼女も、知り合ったばかりの同級生と二人きりになってしまったことで、きっと私と同じようなやりにくさを感じているのだろう。

 ヒグラシの道を二人でしばらく歩くと、分かれ道が現れた。


「こっちやよ」


 小春ちゃんは私の手を取って、左手に続く道を進んでいく。

 小さくて柔らかい手。

 お父さんやお母さんと違う頼りないその掌に、とても特別なものを感じた。


「はぐれないように手を繋いで行こうよ」

「うん」


 きっと自分の掌も小さくって頼りないに違いない。

 小春ちゃんも私みたいに、特別な気持ちになっているのかな。

 頬を上気させ、どんどん進んでいくその横顔を見ていて、彼女も同じように特別な何かを感じているのだということを、私は感じ取った。


「うちな……」


 五月蠅いくらいのヒグラシの声のせいか、小春ちゃんの声が小さく感じられた。


「同い年の子、初めてやねん」

「えっ?」


 聞き返した私に、小春ちゃんは少し照れくさそうな仕草を返す。


「東京やったら、ようさん子供もおるやろうけど、見てのとおりこんな田舎やろ。うちと同学年の子、学校におらへんねん」

「そうなの? じゃあクラスに一人だけってこと?」

「三年生は四年生と一緒に授業受けてるねん。それでも四人しかいてへんけど」


 ほんの少し寂しさを覗かせた彼女に、私は自分を重ね合わせる。

 東京の学校では、こんな感じで誰かと過ごすことは無かった。

 たくさんの同級生がいて、賑やかだった学校。私はその中で孤独を感じながら日々を過ごしていた。

 七月のある日、「山村留学って興味ない?」と、お母さんが声を掛けてくれたのは、そんな私を心配してくれたからに違いない。

 そして今、私は出逢ったばかりの同級生と並んで歩きながら、同じ時間を同じ気持ちで過ごしていた。

 私は初めての経験をしていることに、たった今気付いた。


「ねえ、さくらちゃん」


 足を止めて、小春ちゃんが繋いでいないほうの手で、遠くの尾根を指さす。

 立ち止まった場所からは遠くの山が一望できた。


「ここが一番見晴らしがええねん。うちのお気に入りの場所なんよ」

「本当だ。すごい綺麗」

「そんでね、あっちに見える白い建物がうちが通ってる小学校でね、そんであそこに見えるオレンジの屋根が、うちが時々行く駄菓子屋なんよ。それからね……」


 紹介したいものが沢山あり過ぎるのか、小春ちゃんはあちこち指さして山ほど解説してくれた。


「ちょっときりがないから続きはまた今度。あ、でも実際に行ってみた方がええかも。今度さくらちゃんを連れてったげるね」

「うん。楽しみにしてる」


 何となく素直に返事できた。

 今指さしたところ全部に彼女と行ってみたい。私は本当にそう思った。

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