第35話 プレイボール
「よっしゃー! プレイボールや!」
ピッチャーマウンドに立った小春ちゃんが高らかに野球開始の宣言をした。
あれから坊主頭の少年は、きっちり六人を引き連れて戻って来た。
しかし、緊急招集されて集まったのは、家で寛いでいた六十代以上のおじいさんとおばあさんだった。
あまり水を差したくないが、この炎天下でお年寄りに野球をさせるというのはどうなのだろうかと、真剣に考えさせられた。
坊主頭の少年が言うには、みんな普段から畑仕事で鍛えているので特に問題ないらしい。
と、いうわけで節子先生も入れて、丁度九対九で試合が始まった。
本格的な野球がしたいと言っていた小春ちゃんだったが、五回までの延長は無しにしようという先生の提案をあっさりと受け容れた。
炎天下ということもあったのだろうが、きっと私の体調のことを考えて、そうしてくれたのだろう。
後攻の「チームこはるん」に入った私は小春ちゃんが適当に決めた守備配置により、野球をやったこともないのにセカンドを守らされていた。
小春ちゃんが言うには、みんな打ってもあまり飛ばないみたいなので、お年寄り三人には外野を守ってもらい、内野を固めてアウトを取りに行く作戦らしい。
どうかこっちへ飛んできませんように。
私はそう願いながら、小春ちゃんの第一球を見守る。
「よっしゃこーい!」
トップバッターのたっつんが大きな声を上げてバットを構える。
ぎらつく太陽の下、小春ちゃんは野球漫画さながらに大きく腕を振り上げた。
「打てるもんなら打ってみいーっ!」
読んだことは無かったが、第一球目から、野球漫画でいうライバル同士の対決シーンのようだった。
振り抜いた腕からすごい勢いのボールが打者に向かって迫って行った。
「わっ!」
自分に向かってきた暴投を、少年は体をのけぞらせて避ける。
「あぶなっ! なんやねん。ちゃんと投げろよ!」
「悪い悪い。まだ肩温まってないからミスってしもうた」
小学生同士の野球なので、ボールカウントは取らない。つまりバットを振ってファールか空振りをすればストライクとなる。
小春ちゃんの投げる球は滅茶苦茶速かったが、滅多にストライクゾーンに入らないのが問題だった。
そしてボール球に手を出した少年は、盛大に三振してバッターボックスを降りて行った。
「どうや、うちの剛速球は。かすりもせんかったやろ」
「もうちょっとまともな所に投げてからゆうてくれ」
勝負に打ち勝った小春ちゃんは、そのあとも上級生二人を三振に打ち取った。
一回の裏、「チームこはるん」の攻撃が始まった。
トップバッターの一年生の女の子、佐々木この葉ちゃんは、小さな体に見合わないバットを手に、勇ましく打席に立った。
ピッチャーマウンドのたっつんは最初のバッターを相手に、キャーッチャーのサインに首を何度か横に振る。
何だか雰囲気だけはある。しかし小学生同士の草野球で、このやり取りは必要あるのだろうか。
「ほんならいくで!」
みんなが注目する中、たっつんの投げた第一投は緩い下投げの球だった。
解説すると、三年生までの子には下投げの打ち易いボールを投げるルールだ。
山なりのスローボールを、この葉ちゃんは振り抜く。
ポンという軽い音がしてボールはふわりと空中に舞った。
ピッチャーフライを余裕でキャッチして、たっつんが舌なめずりをする。
「よっしや、ワンナウトや」
続くもう一人の一年生を打ち取って、私の打席が回ってきた。
「イケーさくらちゃん! ピッチャービビッてるでー」
バッターボックスに立つ私を応援しつつ、小春ちゃんは軽くたっつんを野次る。
生まれてこのかた一度もバットを振ったことの無い私は、とにかく見様見真似で山なりに飛んで来たボールを振り抜いた。
あれ? 当たった?
ポンと音がして、ボールが左方向に弾みながら転がっていく。
たっつんはサード側を振り返って大きな声を上げた。
「先生、ボール行ったで!」
そしてたっつんの顔が見事に歪んだ。
「なんで傘さしてるねん!」
ぎらつく太陽の中、いつものように日焼け止めをばっちり塗った先生は、大きな日傘をさしてそこに突っ立っていた。
先生は片手で傘をさしたまま、腰をかがめてボールを掴んだ。
「早く! 早くファーストに投げるんや!」
たっつんに急かされて、先生はオタオタしながらボールを投げようとした、しかし何故か踏みとどまって、傘を持ち換えてボールを握り直した。
思うに、利き手で傘を持っていたのでそのままでは投げれなかったのだろう。
その間に私は一塁ベースを走り抜けた。
「何やっとんねん!」
相手チームに先生がいてくれたおかげで、私は一塁のベースを踏むことが出来た。怒り心頭のたっつんを尻目に、四番の小春ちゃんがバットをブンブン振りながら打席に入る。
「さーたっつん、うちには遠慮はいらへんで。本気で勝負球投げてこいやー!」
「よっしゃー、俺の本気、見せたるわ!」
暑い。この炎天下の中、暑苦しい二人が本気の勝負を始めた。
「うおりゃああー!」
大きく腕を振りかぶった少年の指を放れたボールは、すごい勢いでキャッチャーの構えたところへと向かって行った。
パン!
全員が見守る中、甲高い音がグランドに響いた。
少年の速球をはじき返したバットの音だった。
たっつんは頭上を越えていった白球を、大口を開けたまま見送る。
青い空に吸い込まれるように飛んで行った盛大な外野フライは、予想どおり外野を守っていたお年寄りにキャッチされることなく、グラウンドに落ちてポンポンと弾んだのだった。