第34話 野球の計画
言いようの無い重苦しさに目覚めた私は、すぐにその原因に気が付いた。
いったい夜の間に何がどうなったのか、小春ちゃんの体は大きく布団からはみ出し、その脚が私の胸の上に乗っかっていた。
私はおもむろに小春ちゃんの脚をグイと掴んで、胸の上からどかせると、邪魔された眠りを取り返そうともう一度目を閉じる。
しかし、脚をどかせたことで目を覚ました小春ちゃんが、大欠伸と共に活動を開始した。
「おはよう。さくらちゃん」
「おはよう。小春ちゃん」
私は目をこすりながら、大きな欠伸をひとつする。
昨日遅くまで起きていたせいで、まだ少し寝足りない感じだ。
「今日はちょっと寝すぎたなー。カブトムシ獲りに行くのは一回休みにしようか」
時計を見ると七時を回っていた。今からだとこの後の予定に支障が出そうだ。
小春ちゃんはいつもだいたい五時過ぎに宿泊先のログハウスに現れるので、今日は大幅に寝坊したことになる。
「そろそろ朝ごはん出来てると思う。さあ食べに行こう」
こうしてまた、私の里山での一日が始まった。
プール開放日の今日は、また学校のみんなと会える機会でもある。
小春ちゃんの家で朝ごはんを御馳走になったお母さんと私は、今日プールに一緒に行く小春ちゃんと、一度ログハウスに戻った。
「それじゃあ行ってらっしゃい」
お母さんはなんだか二日酔いみたいだった。きっと私と小春ちゃんがボードゲームをしている時に、昔話を肴に飲んでいたに違いない。
私は水着の入ったリュックを背負い、お茶をいっぱい入れた水筒を肩にかけてログハウスを出ると、小春ちゃんと手を繋いで山を下った。
自転車を停めさせてもらっている家のおばあちゃんに声を掛け、私たちは学校を目指す。
今日私たちのリュックにはお弁当が入っている。
小春ちゃんのお母さんが気を利かせて、プールの後に食べれるようにと、二人分のお弁当を用意してくれたのだった。
一日丸々遊びつくすつもりの私たちには、それはとてもありがたかった。
学校に着いた私たちは、まずウサギ小屋まで行って、誰も脱走していないか確認しておいた。
前科一犯の茶色いウサギも、今日は大人しくしなびたニンジンを食べていた。
プールに向かうと、今日も日焼け止めを塗りたくった先生が日陰で椅子に座っていた。
「おはようございます」
「おはようございます。一ノ瀬さん、畠山さん」
先生は軽く手を振ってから椅子から腰を上げた。
「山崎さんからあと四日ほど、こちらにいられるって聞いてます。今日もたくさんみんなと楽しんでね」
「はい。ありがとうございます」
節子先生は私生活のだらしない、よく遅刻するペーパードライバーだが、とても優しい良い先生だった。
なんだかんだ言いながらも、みんな先生を慕っていて、先生も生徒たちの成長を見守ってくれている。みんなが伸び伸びとして楽しそうなのは、この先生がいるからこそなのかも知れない。
「はーい、みんな集合よー」
先生の合図で濃紺のスクール水着を来た子供たちが集まる。
「今日も一ノ瀬さんが来てくれました。もうみんなも知ってると思うけど、あと四日間こちらにいられるので、いっぱい遊んでたくさん思い出を作って下さいね」
そこへすかさずあの坊主頭の少年がサッと手を上げた。
「はい先生!」
「はい、山田君」
坊主頭の少年は朝から覇気のある声で、ある提案をしてきた。
「プール終わってから、またグランドでみんなで遊んでもええやろか。なんか半日だけしか遊ばれへんって勿体ないし」
「いいですよ。でも一ノ瀬さんが大丈夫なのか聞いておかないといけませんね」
「そうやった。なあ、さくらちゃん、昼から予定いけそうか?」
全員の視線が私に集中する。私は小春ちゃんと自転車で周るつもりだったので、小春ちゃんの反応を窺った。
「二人でどっか行こうと思ってたけど、明日にしようかな。さくらちゃんはそれでええ?」
「うん。勿論」
「なあたっつん、グランド使えるんやったら、野球せえへん? 夏の高校野球みたいに、うちらも青春を燃やすんや」
「野球か。よっしゃ分かった。段取りは俺に任せとけ!」
こうしてプールで遊んだ後、午後から野球をすることになった。
お弁当を食べ終えて木陰で待っていると、一度家に帰ってご飯を食べ終えた子供たちが学校へ戻ってきた。
そしてあの坊主頭の少年は、背中のリュックにバットを突っ込んだ状態で自転車で現れた。
「バットとボールは俺が用意してきた。さあやるか」
プラスチックのバットと柔らかいボールをリュックから取り出すと、少年はみんなを集めた。
「よっしゃー、みんな集合や。チーム決めるで」
早速チーム分けをしようとする少年に、小春ちゃんはあからさまに不満げな顔を向けた。
「たっつん、これはどうゆうことや?」
「どうゆうことって、チーム分けするだけやけど」
小春ちゃんは残念を絵にかいたような顔で、がっかりしてみせた。
「あのな、うちは本物の野球がしたいねん。見たところ人数が足らんみたいやけど、どうゆうことか説明してくれる?」
「いやいや、よう見てみい。朝おった全員参加してるやろ。みんなおるはずや」
少年は集まった子供たちの頭数をもう一度数え直した。
「たっつん、うちはちゃーんと言うたと思うよ。うちはただ遊びで野球やりたいんやない。高校野球みたいに熱く燃えたいんや。さらに言うなら今活躍中のメジャーリーガー、近藤翔太みたいに本気の野球がやりたいんや。そんで逆転サヨナラ満塁ホームラン打ちたいんや」
「は? なにゆうてるんや?」
小春ちゃんが熱く語りだした内容に、坊主頭の少年だけではなくその場にいた子供たちも首を捻った。
「ええかたっつん、野球ゆうたら九対九や。一人でも欠けたら野球やないんや」
「いや、確かに高校野球とはゆうとったけど、今日来た小学生、十一人しかおらんねんからしょうがないやろ。先生入れて半々に分かれて試合したらええやないか」
「人が足らんのは世話役を買って出たたっつんに問題があるんちゃうの? うちはちゃーんと聞いたよ。野球しようって誘った時、よっしゃ俺に任せとけって言ってたのを」
「それは言ったかもやけど……」
小春ちゃんは野球に対する情熱のようなものを前面に押し出し、少年はそのあまりの勢いに一歩後ずさる。
「たっつん。うちは何やかんやゆうたけど、たっつんは一度口にしたことは最後までやり遂げる男や。うちはたっつんがこんなんで終わる男やないと信じてるんよ」
「なんか、口車に乗せられてる気もするけど、そのとおりや。待っとれこはるん。今から近所回って人数合わせたる」
再び自転車に乗って学校を飛び出していった少年の背中を見送りながら、私はいったいこれからどんな熱い野球をするのかと、想像を膨らませた。