第32話 星空と花火
ニジマスでパンパンになったクーラーボックスを持ち帰り、母親二人は今晩の夕食にしようと盛り上がっていた。
それならと、小春ちゃんのお母さんの提案で、畠山家で一緒に夕飯を頂くことになった。
そして、どうやらお母さんたちはお酒を一緒に飲みたいらしく、いっそ泊っていくかという話になったのだった。
それを聞いた小春ちゃんと私は大興奮だった。
お友達の家にお泊りなんてしたことない。
心の準備も何もなく、私は今晩小春ちゃんの家で夕飯を食べて、そのまま小春ちゃんの部屋でお泊りすることになった。
小春ちゃんも友達とお泊りするのは初めてらしく、寝るだけなのにすごい盛り上がっていた。
「お泊りやって。さくらちゃん、何する? あ、そうや、まず一緒にお風呂入ろう。そんで背中流しっこするねん」
「せ、背中を流しっこするの? ほ、ホントに?」
「お風呂場ちょっと狭いけど、子供二人やったら大丈夫や。楽しみやなー」
小春ちゃんはやりたいことが有り余っているようで、次から次に今晩の計画を立てていった。
「そうや、ご飯食べてから花火やろう。確かこないだやったやつまだ残ってたはずや。そんでボードゲームやろうよ。トランプもしたいし。あ、そうそう、うち面白い漫画も持ってるねん」
小春ちゃんのやりたい事リストを全部こなしていたら徹夜になるかも知れない。また熱が出てしまいそうだとちょっと不安になった。
お母さんたちが夕飯の準備をしている間に、私と小春ちゃんは夕食で食べきれそうにない魚を近所に配って回った。すると、行く先々で必ずと言っていいほど手土産を持たされた。
そして、帰宅した私と小春ちゃんの手には、家を出た時以上のずっしりとした野菜の入った袋が提げられていた。
「ピーマン、玉ねぎ、にんじん、アスパラガス、それからトマトに産みたて卵」
小春ちゃんは戦利品を袋から出して、台所で料理中の母親二人に見せた。
「ようさんもらったなあ。早速使わせてもらおうか」
この里山では野菜は買うものでは無く、育てたり貰ったりするもののようだ。
そして私は鶏小屋からそのまま卵を持って帰らせてもらうという、貴重な体験をたった今してきた。
小春ちゃんと一緒だと、本当に退屈する暇がない。私はあらためてそう思った。
畠山家での夕食はとにかく賑やかだった。
母親二人がビールをすごいペースでグイグイ飲んでいる傍らで、小春ちゃんのお父さんは大人しくニジマスの塩焼きを肴に晩酌をしていた。
初日の歓迎会の時に顔を合わせていたけれど、小春ちゃんのお父さんはちょっと影の薄い感じの物静かな人だった。
日焼けした肌に短く刈った髪が良く似合っていて、少し目尻が下がっているのが優しそうな人柄を連想させた。
私は出張でなかなか帰って来ないお父さんとおじさんを、頭の中で比べてみる。あまり共通点は無いものの、背格好だけは似ている気がした。
ちょっと観察しすぎていたのか、テーブル越しにおじさんが話しかけてきた。
「さくらちゃんやったね。いつも小春と仲良くしてくれてありがとう」
「いえ、仲良くしてもらってるのは私の方で……」
少し尻込みしてしまった私に、小春ちゃんが陽気に割り込んでくる。
「お父さん、うちな、さくらちゃんに教えてもらって、やっとクロール水飲まんと泳げるようになってん」
「へえ。それは凄いな。ほんならさくらちゃんは小春の水泳の先生やな」
「そうやねん。でもうちだけやないで、学校のみんなもさくらちゃんに教えてもろうて上手なってん」
「へえ、それは大したもんや」
小春ちゃんに持ち上げられて、私は何だか気持ち良くなりつつも、そわそわしてしまう。
すると、話を聞いていたおばあちゃんが、箸を止めて私に興味深げな眼を向けてきた。
「里のみんなはあんまり泳ぎはうもうないからねえ。節子先生も確かカナヅチやってゆうとったから、ほんま良かったなあ」
おばあちゃんにもおだてられて、私はこっぱずかしさを誤魔化すように、揚げたニジマスにかぶりつく。
「唐揚げも美味しいやろ。な、さくらちゃん」
隣で口の周りを油で汚しながら、小春ちゃんがニッと笑う。
「うん。すごく。こんな食べ方もあるんだね」
「うちは塩焼きよりこれの方が好きやねん。それとこのちらし寿司食べてみて。いっつもこれだけはおばあちゃんが作るんやけど、ほんま美味しいねん」
おばあちゃんはお皿に手を伸ばして、寿司桶のちらし寿司を私に取り分けてくれた。
「郷土料理やよ。いっぱい食べてな」
おばあちゃんの取り分けてくれたちらし寿司は、小春ちゃんの言ったとおり本当に美味しかった。
お母さんがこんなに陽気に酔っぱらっているのを私は初めて見た。
母親二人はまだ飲み足りないのか、缶ビール片手に、今は娘二人が庭で花火をしているのを縁側で眺めていた。
花火セットに半分ほど残っていた手持ち花火を、私と小春ちゃんは楽しむ。
夏虫の声に混ざるシューという音と、緑色の火花。
花火は小春ちゃんの顔を少しの間だけ彩り、やがてすぐに消えてしまう。
私の八歳の夏は、本当に初めてのことばかりだ。
また新しい花火が小春ちゃんの手の先で、パチパチと音を立てる。
今度はオレンジ色に彩られた小春ちゃんの顔を私は眺める。
「こっちのはパチパチゆうやつや。次さくらちゃんもやってみて」
「うん」
あっという間に終わってしまうこの花火のように、私の夏もすぐに終わりを迎えるのだろう。
半分ほど袋に残っていた花火は、煙の匂いだけを残してあっという間に終わってしまった。
「今日はよう晴れてるわ」
空を仰ぎ見た小春ちゃんの隣で、私も首をそらして夜空を見上げる。
「わあ」
そこには落ちて来そうな星空が広がっていて、私はふと、小春ちゃんと二人で宇宙に浮かんでいるような、そんな感覚を覚えたのだった。