第24話 名探偵への依頼
「さくらちゃーん、こはるーん」
大きく手を振る子供たち。もう会う機会はないと思っていた時に訪れたサプライズだった。
「みんなどうしたん」
小春ちゃんが私の手を引いて駆けだす。浮き立つ心に従うように、私も駆け出した。
「遅かったやない。だいぶ待ったよ」
眼鏡を掛けた背の高い女の子、三浦美千代が、悪戯っぽい口調でそう言った。
「なんでみんなここにおるん? あ、そうか、たっつんに聞いたんやな」
小春ちゃんはこの状況からすぐに合点がいったようだ。
「たっつんから今日ここにさくらちゃんが来るって学校で聞いて、ほんなら集まろうかってことになったんよ。たっつんもこの間のウサギのお礼にトマト獲らせてくれるってゆうててね。ね、さくらちゃん、うちらも混ぜてもらっていい?」
お母さんの方を見ると、うんうんと大きく頷いてくれていた。
その隣で山ちゃんとおじさんが腕で大きなマル印を作っている。
「うん。私、みんなでトマト獲りたい。来てくれてありがとう」
「こちらこそ。あ、やっと先生も来たみたい」
振り返ると、先生は日傘片手に、汗だくでこちらに向かって手を振っていた。
どうやらまた自転車で来たらしい。
「なんや先生、遅刻は生徒がするもんやで。先生がしてどないするん」
つい先日聞いた台詞を小春ちゃんが口にすると、小学生の輪がドッと湧いた。
掌では収まりきらない大きな赤いトマトを、みんなで頬張った。
まるで固形のジュースのようだと、私は滴る果汁で口元を濡らしながら思っていた。
爽やかな酸味の中にあるほんのりとした甘み。
きっとこんなに美味しいトマトは二度と食べられないだろう。
晴天の夏の空に浮かぶ真っ白な入道雲が、遠くでゆっくりと形を変えていく。
私は今、大きなトマトを手にした子供たちと、同じ夏の味を味わっている。
こんなに素敵な時間が待っていたなんて。
この里山へ来る前に感じていたあの苦さを、もう私は忘れてしまった。
今は爽やかなこの夏の味で、口の中はいっぱいだ。
顎まで汁を垂らして笑顔を見せるみんな。
口いっぱいにこの里山の恵みを頬張って、みんな大きくなってゆく。
ああ、とても幸せだ。
今は私もみんなとおんなじ。
みっちゃん、久美ちゃん、蓮くん、リュウくん、たっつん、この葉ちゃん、由実ちゃん、泰三くん、まいちゃん、かっちゃん、たまちゃん。そして小春ちゃん。
みんなが私の名前を覚えてくれたように、私もみんなの名前を覚えたよ。
「さくらちゃん」
おかっぱの小学二年生の女の子、中野久美ちゃんが、私の傍へとやって来た。
「この後どうするん? うちら学校のグランド行って遊ぼうかって言ってるんやけど」
私は返答に困ってしまった。今日の山村留学プログラムはこれで終わりだったが、山ちゃんに乗せて来てもらっているいじょう、気ままには行動できない。
付いて来てくれた小春ちゃんにもこの後のことを聞いておく必要があった。
「人数集まってるし、ドッジボールがええなあ」
傍らで二個目のトマトを齧っていた小春ちゃんが、遊ぶ気満々の発言をしたので、あとはお母さんと山ちゃんにお伺いを立てるだけで良くなった。
「ちょっと聞いてくるから、待っててね」
「あ、うちも行く」
小春ちゃんと二人で、少し離れた木陰のテーブルに向かうと、お母さんたちは大人同士でなんだか盛り上がっていた。
先生もその輪の中に入って、お喋りしながらトマトを齧っている。
「先生、なんや盛り上がってるみたいやけど、何の話してたん?」
小春ちゃんが尋ねると、先生はパッとひらめいたように、同じ席に着いていた農園のおじさんに向き直った。
「そうだ、山田さん、この際この小さな里山の名探偵に相談されては?」
「そうか、三代目がここにおったな。なあ小春ちゃん。ちょっとイノシシのことで相談に乗ってくれんか?」
「イノシシ?」
話を聞いてみると、敷地内に設置した猪捕獲用の箱罠があるのだそうだが、最近、餌ばかり奪われて、さっぱり猪が掛からないそうだ。
仕掛けは歩いてすぐの所にあったので、私と小春ちゃんはおじさんの後に続いて、問題の箱罠の前までやって来た。
「この箱罠なんやけど、ここ最近ずっと仕掛けが作動せんと餌だけ奪われてたんや。ほんでつい一昨日のことなんやけど、今度は仕掛けが作動したのに何にもかかって無かったんや」
「ほう、なるほど、なるほど」
小春ちゃんは調子よく顎に手を当てて、箱罠の周りを調べ始めた。
難事件を前に、探偵としての小春ちゃんのスイッチが入ったようだった。
箱罠は大体幅二メートル程度のいわば直方体で、真ん中辺りに餌を置いて、そこに張ってある蹴り糸に触れると、落とし扉が落ちる仕組みだ。
小春ちゃんはひと通り周囲を調べ終えてから、おじさんに向き直った。
「草が茂り過ぎてて分かりにくいけど、ここにいくつか足跡がある。イノシシともう一種類いるみたいや」
「ほう、で、もう一種類ってなんやろか?」
「恐らくアライグマや。あいつらは、学習能力が高いから、蹴り糸に触れんと中の餌を食べてたんやと思う」
「アライグマか……でもこの前は落とし扉が下がってたのに何も掛かって無かったんやけど」
「そこやねん。これを見てくれる?」
小春ちゃんは指でつまんだ灰色の毛を、おじさんに突き出した。
「イノシシの毛やな」
「これは、そこの落とし扉にくっついててん。恐らく一昨日来たのはアライグマやなくてイノシシやった。罠が作動したのはイノシシが仕掛けに触れたからや」
「それは分かるけど、中はもぬけの殻やったんやよ」
「そこなんや。中は餌だけ平らげてもぬけの殻やった。そんで毛がそこそこここで抜けていたということは、考えられることは一つや」
小春ちゃんは結論を見いだしたようだ。
里山の名探偵は、頭の中に出来上がった推論を説明し始めた。
「一昨日ここへ来たんは、イノシシの親子やったんや。母親より先に箱罠に入ったウリボウはまず餌を喰い荒らした。そんで小さなウリボウは食べている間、蹴り糸に触れてなかった。恐らく母親は罠に体半分ほど入れた状態でウリボウが食べてるのを見てたんやないやろうか」
「ふんふん」
小春ちゃんの説明に、私もそのイメージを思い浮かべながら、おじさんと一緒に頷いた。
「餌を食べ終えてウリボウは頭を起こした。するとそこにあった蹴り糸に頭が触れて扉が下りた。しかし、入り口には母親の大きな体があった」
「成る程、引っ掛かったんやな」
「罠が作動したのに驚いたウリボウは母親の股の間を抜けて脱出した。そんで母親は体を抜いて逃げていった。さっき見せた毛はその時に抜けたものや」
「なるほど。それやったら納得できる。罠を作動させずに餌を盗んでたアライグマと、罠を作動させて逃走したイノシシの親子。同一犯やと思ってたけど、違うとったわけやな」
「そうゆうことや。小動物用の縄を仕掛けといたら、きっと犯人は捕まえられるよ」
こうしてイノシシ事件は解決した。
名探偵の推理は、今日も冴えわたっていた。
「やっぱりすごいね。小春ちゃんは」
難問を見事な手際で解決してみせた小春ちゃんに、私は賛辞を送った。
小春ちゃんは照れ笑いを浮かべつつ、ちょっといい気分になっているみたいだ。
「へへへ、まあこんなもんです。害獣の相談はまあまあ有るんよ。うちはこんなもんやけど、おばあちゃんやったら罠の種類や設置場所まで的確にアドバイスしてたと思うよ」
「へえ、凄いね。でも、さっきの小春ちゃん、ホントかっこ良かったよ」
「もう、さくらちゃん、あんまりおだてんといてえな。いややわあ」
こうしてまた一つ、里山の名探偵、畠山小春の事件簿に解決済みの事件が追加されたのだった。




