第22話 農業体験
昨日の雨で流れてしまった農業体験を今日はする予定だ。
本当なら今日はプールの開放日であったが、自由参加なので小春ちゃんは私の農業体験について来てくれることになった。
村のあちこちを周るので、今日は役場の車で案内をしてもらうことになっている。
迎えに来てくれた山ちゃんの運転で、私たち母娘と小春ちゃんは山を下り、夏の田園風景の中をほんの少しドライブする。
快晴の空の下、昨日降った雨のせいで、瑞々しい緑が際立つ。
ずっと続いていた田園の鮮やかな色が途切れ、深緑色の背の高い植物が密集しているところで山ちゃんは車を停めた。
「トウモロコシ畑やよ」
一緒に後部座席に座っていた小春ちゃんが、その緑の壁のようなものの正体を教えてくれた。
「すごい。こんなに背が高いんだ」
車から降りると、赤い帽子を被ったおじいさんが、手を振ってこちらに向かって歩いて来た。
山ちゃんはおじいさんに手を上げて会釈をする。
「今日はよろしく頼みます」
「ああ、待っとったよ」
日焼けした顔にいっぱい皴を浮かべ、ニコニコと笑みを浮かべるおじいさんは、もう八十歳くらいだろうか。
「明日香ちゃんは知ってるやろ。今日トウモロコシを収穫させてもらう遠藤さんや」
「勿論憶えてます。何度も小学校から収穫体験に来させてもらってたから」
お母さんがにこやかなおじいさんに「ご無沙汰してます」と、丁寧に挨拶すると、おじいさんは帽子を取って会釈を返した。
帽子の下は、それは見事に禿げ上がっていた。真夏の陽光を跳ね返すような鏡面仕様のつるつるに、私の眼はくぎ付けになった。
「久しぶりやなあ、明日香ちゃん。そっちの子が噂の娘さんやな。確かさくらちゃんやったかな」
「はい。さくら、ご挨拶しようか」
おじいさんが帽子を被り直したので、私はちょっと残念だった。出来ればもう少し見ていたかった。
「あの、一ノ瀬さくらです」
「遠藤和夫です。よう来てくれたねえ」
まじまじと見過ぎていたかも知れない。私は気を逸らすように、丁寧に頭を下げて挨拶をしておいた。
そんな私の隣で、小春ちゃんがおじいさんに陽気に挨拶する。
「じいちゃん、うちもおるで」
「小春ちゃんもよう来たなあ。今日はようさんトウモロコシ持って帰ってな」
やっぱり、このおじいさんとも親しそうだ。小春ちゃんは本当に顔が広い。
それから私たちはおじいさんの案内で、トウモロコシ畑の一角に案内された。
「この辺で何本か獲ってくれたらええ。皮の緑色が濃くって、茶褐色の髭がいっぱいついてるやつを選んだらええよ」
「えー、皆さん、今ここで食べるやつを一本と、お土産に三本ほど獲って下さい」
山ちゃんが補足すると、小春ちゃんは不満顔を見せた。
「一本しか食べたらあかんの? うち三本は食べられるんやけど」
「あのなあ小春ちゃん、農業体験はここだけやないねん。お腹いっぱいになったら全部周られへんやろ」
「あ、そうか」
こうして私たちの農業体験は始まった。
初めて収穫したトウモロコシは思った以上に大きくてずっしりとしていた。
手の届かない所にあるトウモロコシは、山ちゃんが手伝ってくれた。山ちゃんが軽々と私と小春ちゃんを抱え上げてくれたので、それが楽しくって高い所にある物ばかりを選んで収穫した。
結局、一人五本ほど収穫させてもらい、大きな鍋で湯がいてもらって、里山の恵みを味あわせてもらった。
「おいしい!」
プチプチした黄金色の粒にかぶりつくと、信じられない程の甘さが口いっぱいに広がった。
おじいさんは満足げに、私の頬張る姿をじっと眺めている。
小春ちゃんも私の隣で、大きなトウモロコシに綺麗な歯型をつけて味わっている。
「うちのお母さんな、ようおやつにトウモロコシ湯がいてくれるねん。たまにやけど、生でも食べるんやよ」
「生で? そのままでも食べられるの?」
「新鮮なやつは瑞々しくって美味しいよ。あとで食べてみる?」
私と小春ちゃんの会話を聞いていたおじいさんが、よいしょと腰を上げて、すぐ近くの畑からトウモロコシを一本獲って戻ってきた。
「一番良さそうなやつ獲ってきた。これ二人で分けたらええ」
「ありがと、じいちゃん」
そして、おじいさんが選んでくれたトウモロコシは、まるで果物の様に甘く瑞々しかった。
トウモロコシを堪能したあと、私たちは次々と農家を周っていった。
胡瓜、茄子、ゴーヤ、パプリカ、この里山は自然の恵みでいっぱいだ。
農家を周る度にもてなしを受け、パプリカを収穫させてもらった家で、刻んだミョウガの入ったちらし寿司をお昼ご飯に頂いた。
「よう来てくれたねえ。大きいなったねえ明日香ちゃん」
お昼ご飯を用意してくれていたおばあさんは、お母さんのことをちゃんと覚えていてくれていた。
「ありがとう、おばあちゃん。ミョウガの入ったちらし寿司……本当に懐かしい」
お母さんはちらし寿司に箸をつけて、ゆっくりと味わう。
きっと特別な味がしている。そんな気がした。
「こんな郷土料理しかないけど、ようさん食べてっておくれ。さくらちゃんも、小春ちゃんも、お代わりしてな」
広い縁側で里山の緑を眺めながら、ほのかな夏の香りのする昼食をみんなで愉しむ。
「美味しいね」
お母さんは一度箸を止めて、遠くの山に目を向けながらそう言った。
「うん」
里山の夏、ただただ美しい景色の中で、ゆっくりと時間が流れていた。




