第18話 好きなアニメ
日が傾き始めて私たちは分校を出た。
小春ちゃんの左手には虫取り網。
私の右手には昆虫でパンパンになった虫かご。
お互いの空いている方の手を繋いで歩きながら、今日あったことを私たちは振り返る。
「バッタ捕まえすぎたなー。お母さんに怒られそう」
「虫嫌いなの?」
「嫌いじゃないけど、バッタは葉っぱ食べるやろ。うちの家、菜園ちょっとだけやってるから、バッタはアカンねん」
「じゃあ、逃がしてあげる? でもお母さんにこんなに捕ったって見せたいな」
「じゃあそのあと逃がしに行こうよ」
「そうだね。そうしようよ」
帰り道を辿りながら、小春ちゃんは私に時間を尋ねてきた。
「なあさくらちゃん、今何時とか分かる?」
「分かるよ。ちょっと待ってね」
私はポケットから携帯を出して時間を確認すると、そのまま小春ちゃんに教えてあげた。
「五時五十分だよ」
「そっか。ありがとう」
「小春ちゃん、予定とかあるの?」
「ううん。毎週観てるアニメが六時から始まるんよ。ねえ、さくらちゃん、これから一緒に観いへん?」
夕方六時から始まるアニメ。
ああ、小春ちゃんも観てたんだ。
「私も毎週観てるよ。魔法少女ムーンライトプリンセス」
「ん? ムーンライトプリンセス?」
小春ちゃんの反応に、言ってしまった私は頬が熱くなってしまうのを感じた。
ムーンライトプリンセスはやや低学年寄りの番組だ。
小さい頃からずっとそのシリーズを見続けているけれど、周りの同級生たちは、もうあまり観ているような感じでは無かった。
子供っぽいって小春ちゃんに思われちゃったかな……
ちょっと記憶にないけれど、同じ時間帯に他のアニメもやっているのだろう。
私は気恥ずかしさを誤魔化すように、小春ちゃんに尋ねてみた。
「えっと、それで、小春ちゃんはどのアニメを観ているの?」
「え? あれやよ。ジャイアントデッカーやよ」
「ん? なにそれ?」
サラッと小春ちゃんが口にしたそのタイトルは、全く聞き覚えの無いものだった。
「超巨大ロボジャイアントデッカーやよ。7チャンでやってるやつ」
「ごめん。ちょっと分からない」
なに? 7チャンって? ロボットアニメ? それって男の子の見るやつだよね。
「さくらちゃんは、観たことないん?」
「う、うん。残念ながら」
「ほな、うちがジャイアントデッカーのこと色々教えたげる。いま学校で滅茶苦茶流行ってるねん」
そして小春ちゃんは、ジャイアントデッカーなるアニメを熱く語り始めた。
「ジャイアントデッカーは、世界征服を企む悪の結社ガラクタ団と闘う超巨大ロボやねん。身長300メートル。体重千トン。天才博士、ドクター早乙女が発見した宇宙エネルギー、エレクトロンを使って巨体を動かし敵と闘うねん。ほんで操縦者の早乙女デュークはドクター早乙女の息子やねん」
やたらと詳しい。本当にイチオシのようだ。
「ジャイアントデッカーは元々空を飛ばれへんかったんやけど、第七話から改良されて、今は背中のジャイアントブースターを使ってマッハ100で空を飛べるねん」
「マッハ100? それって速すぎない?」
それから家に戻るまでの間、小春ちゃんはそれはもう熱烈に、これから観るジャイアントデッカーのことを教えてくれた。
あまりにも趣味嗜好が違い過ぎて、なかなか頭に入ってこなかったけれど、とにかく、世界征服を企む悪者としょっちゅう戦っている巨大ロボなのだという。
「ただいまー」
小春ちゃんの家に戻り、玄関で声を上げるも、何にも返事が帰って来なかった。
小春ちゃんはあまり気にすることなく、玄関に虫取り網と籠を置くと、そのまま私を居間のテレビの前に引っ張っていった。
「あれ? お母さんどこ行ったんだろう」
「多分、二階のお母さんの部屋やよ。絶対まだお喋りしてるんやわ」
小春ちゃんがテレビをつけると、丁度アニメのオープニングが流れてきた。
「よっしゃ間に合った。さくらちゃんもここに座って一緒に観よう」
「うん」
オープニングのサビの部分に合わせるように、小春ちゃんも一緒に口ずさむ。
「すっすめー、われらのー、チョー巨大ロボー」
夢中で歌う小春ちゃんに自分のことを重ね合わせてみる。
私が魔法少女ムーンライトプリンセスを楽しみにしているように、きっと小春ちゃんも毎週の放送を楽しみにしているのだろう。
それから、小春ちゃんが勧めてくれた座布団に座り、最後までアニメを観た。
最後まで小春ちゃんは、画面に映し出される映像に没入していた。まるで本当に巨大ロボットを操縦しているかのような小春ちゃんが可笑しくって可愛くって、私は違う意味でたった三十分の放送を楽しんだのだった。
小春ちゃんは、見終わってから私に感想を聞いてきた。
「どうやった? 面白かったやろ」
「そうだね……」
昭和の匂いがプンプン漂うロボットアニメだった。
小春ちゃんのようには感情移入できなかったけれど、小春ちゃんと並んで見たジャイアントデッカーは、きっと私の思い出になるに違いない。
「うん。私も楽しかった」
小春ちゃんは素直に共感してくれたことを喜ぶ。
「そっかー、さくらちゃんも気に入ってくれたんや。ジャイアントデッカーは学校でも無茶苦茶流行ってる神アニメなんよ。たっつんな、このシリーズのプラモ、だいぶ集めてるみたいやねん」
「へー、そうなんだ」
あのウサギを逃がしてしまって必死になっていた坊主頭の男の子を、私は思い浮かべて納得した。
あの年頃の男子はそんなものなのかも知れない。きっと学校で小春ちゃんとジャイアントデッカーの話題で盛り上がっているのだろう。
次回予告まできっちり観終えて、小春ちゃんは突然大きな声を上げた。
「あっ!」
「なに! 小春ちゃん」
「さくらちゃん、ムーライトなんとかの方を観たかったんやないの? うちひょっとしてやらかしてしもうたん?」
「ううん、録画してるから大丈夫。私、小春ちゃんの好きなアニメ一緒に観られて楽しかったよ」
「うちもさくらちゃんと観れて楽しかった」
小春ちゃんはほっと胸を撫でおろして、私の手を取った。
「さあ、今日捕った虫、見せに行こう」
「そうだね」
小春ちゃんが言っていたとおり、お母さんは二階の部屋で小春ちゃんのお母さんとおしゃべりしていた。
「あら、おかえり」
「お母さん、これ見て」
「あら、凄い収穫ね。虫かごがパンパンじゃない」
私が自慢げに虫かごを見せると、お母さんはちょっと苦笑交じりに中身を覗き込んでそう言った。
「ちょっと見えにくいけど、初めて網で蝉を捕まえたんだ。ねえ、バッタは逃がしてあげるつもりだけど、蝉だけ持って帰っていい?」
「すぐ死んじゃうけど、いいの?」
「そうだった。ねえお母さん、クマゼミってどのくらい生きれるの?」
「そうねー、大体一週間くらいかな」
お母さんの説明を聞いてどうしようか悩んでいると、小春ちゃんが、助言をくれた。
「さくらちゃんにはカブトムシがおるやん。ちゃんと世話したら何年も生きるらしいよ」
「ホント? じゃあ蝉は逃がしてあげようかな」
「それがええよ。今から外に出て逃がしてあげようよ」
それから二人のお母さんと一緒に、私と小春ちゃんは虫かごを持って外に出た。
もう夕日は山の向こうに姿を隠してはいたが、それでもまだ明るい夏の空が、私たちの頭上に広がっていた。
夏虫の鳴き始めた細い坂道を下って、分校跡へ続く通りへと出る。
そこから少し歩いて、見晴らしのいい原っぱで小春ちゃんは脚を止めた。
「ここがいいかな」
「うん」
私が虫かごの蓋を開けると、バッタが順番に跳び出してきた、
子供たちの遊びに付き合ってくれた昆虫たちは、狭い虫かごからまた広々としたこの里山へと帰ってゆく。
あらかたバッタが外に出ていった後、「ビッ!」と捨て台詞を残して、クマゼミが飛び出して森へと帰っていった。
「あれはうちが捕まえたやつや」
そして、続いて私のクマゼミが、透明な羽を羽ばたかせて空へと舞い上がった。
「バイバイ」
私は名残惜し気に手を振ってその姿を見送る。
私の初めてのクマゼミは、こうして静かに森へと帰っていった。




