第11話 一日の終わり
小春ちゃんの段取りどおり、自転車を山道に入る手前の家に停めさせてもらい、二人は手を繋いで急坂を上がり始めた。
さっきまで自転車で風を切って走っていたので、少しは暑さを紛らわせていたが、炎天下でのハイキングはお喋りな元気娘をも黙らせてしまうほど過酷だった。
熱気を吸い込み、肩で息をしながら、二人は言葉少なく坂を上がっていく。
うだるような蝉の声。この暑さの中であんなに元気に大騒ぎしているから、きっと蝉は短命なのではないだろうか。黙って涼しい木陰でじっとしていればあと二、三日は生き永らえれる。きっとそうだ。
木陰を探しながら、私たちは坂を黙々と上がった。
水筒のお茶が空になって、小春ちゃんの大きな水筒の麦茶を分けてもらった。二人の水筒が空になってからしばらくして、やっと宿泊しているログハウスに到着した。
小春ちゃんは繋いだ手を天高く上げて「ゴール」と明るい声を上げた。
「意外と早かったねー」
「えっ? そういえばそうかも」
汗ぼとぼとで、息も上がって大変だったけれど、言われてみればあっという間だった気もする。
真っ赤な顔で戻ってきた私たちを、お母さんが、やっと帰って来たといって出迎えてくれた。
「疲れたでしょ。ジュース冷やしてあるから、ささ、二人とも中に入って」
「やった! ジュースや。おばさん、お邪魔します」
「小春ちゃんは元気やねえ。ホンマにお母さんにそっくりやわ」
顔を真っ赤にした二人はエアコンの効いた部屋で一息つく。お母さんは冷たいジュースとお菓子テーブルに置いた。
取り敢えず、コップのジュースを二人で一気に飲み干してから、私は今日してきた小さな冒険をお母さんに話し聴かせた。
自転車で学校まで行ったこと、脱走したウサギを捜したこと、プールで遊んだこと、駄菓子屋でお昼ご飯を食べさせてらったこと、急階段を上がってお稲荷さんにお参りしたこと、とにかく沢山あり過ぎて興奮しっぱなしの娘の話を、お母さんは楽しそうに聴いていた。
「びっくりした。今日だけでそんなに? でも楽しかったみたいで良かったわね」
「うん。すごく楽しかった。小春ちゃんと一緒だと、退屈する暇も無いの」
「本当ね。園枝ちゃんもそうだった。小春ちゃんを見てると昔の園枝ちゃんを見てるみたい」
小春ちゃんはそう言われて、出されたクッキーを頬張ったまま何度か頷いた。
お代わりを淹れてもらったジュースで、口の中のものを流し込んでからやっと口を開く。
「それ、村のみんなに言われる。お母さんとそっくりやって」
「ほらね。言ったとおりでしょ」
「へえ、じゃあ小春ちゃんと、小春ちゃんのお母さんの小学校時代の写真とを見比べてみたいな」
そう言うと、小春ちゃんはすぐにパッと顔をほころばせた。
「ええよ。うちにおいで。今からくる?」
「小春ちゃん、流石に今日はさくらも疲れたやろうからまた明日ね。今日はこの涼しい部屋でゆっくりしていってね」
お母さんはよくわかっていたようだ。
それからすぐに、二人は大きな欠伸を何度もして、やがて眠ってしまった。
日がずいぶん傾いてきてから、眠りこけてしまった小春ちゃんを、両親が迎えに来たみたいだった。
私は夢うつつで、お母さんの話し声を聴いていた。
「ごめんね明日香ちゃん。この子はしゃぎすぎて電池切れたみたいやわ」
「ええんよ。さくらのために頑張ってくれたみたいや。ほんまにありがとう。それとごめんね。うちの子もまだ眠ったままやから挨拶できへんのよ」
「小春はこのままお父さんに負ぶって帰ってもらうわ。じゃあまた明日ね」
「うん。園枝ちゃん、また明日ね」
キッチンから夕食のカレーの匂いがして来て、私はようやく目を開いた。
「小春ちゃん……」
そこにいたはずの小春ちゃんがいなくなっていた。
時計を見る前に私は窓の外に目をやった。外はもう真っ暗になっていた。
「小春ちゃんなら、お父さんに負ぶわれて帰って行ったわよ」
ぼんやりと聴こえていた声は夢ではなかったようだ。
「なんだか声が聴こえてた気がする……それでいつ帰ったの?」
「一時間くらい前。あの子も熟睡してしまってて、全く起きる気配がなかったんで園枝ちゃんに電話したの」
「そう、バイバイって言いたかったな」
ぼんやりとした頭で食卓に着いた私の前に、今日の夕食のカレーが置かれた。
食欲をそそるスパイスの臭いで、また頭の中が少しずつはっきりしてきた。
「二人とも飛ばし過ぎたみたいね。あんまり無茶したら駄目よ」
「うん」
やや眠たそうにスプーンを口に運ぶ娘に、お母さんは、今日起こったウサギ脱走事件について、詳しくどうやって解決したのかを聞いてきた。
私は手を止めて、それはもう興奮を隠すことなく、彼女の名探偵っぷりを熱く語った。
「昨日の杖の時もそうだったけど、小春ちゃんにかかれば逃げ出したウサギぐらいあっという間だったんだから。ホントすごかったんだから」
お母さんは娘の熱い語り口に耳を傾けていたが、最後にクスクスと笑い声をあげた。
「なあに? 何で笑ってるのお母さん」
「あ、ごめんね。ちょっと思い出しちゃって」
そしてお母さんは、懐かしい昔の話を聞かせてくれた。
「小春ちゃんと同じなのよ。里山の名探偵。園枝ちゃんはそう呼ばれていたわ」
「小春ちゃんのお母さんも?」
「そうよ。小春ちゃんのおばあちゃん、つまりは園枝ちゃんのお母さんは昔探偵小説を書いていてね……」
「それは今日小春ちゃんから聞いた。じゃあお母さんもおばあちゃんの影響で?」
「ええ、そうみたいよ。園枝ちゃんは小春ちゃんのように村の小さな事件を次々に解決してたわ」
お母さんの口調はずいぶん楽しげだった。
小春ちゃんと共に小さな冒険をした私には、楽し気に昔を振り返ったお母さんの気持ちがよく理解できた。
「ねえ、小春ちゃんのおばあちゃんってどんな人だったの?」
「そうね、少し浮世離れしたような……あ、浮世離れってのは、私達みたいな普通の感覚じゃないっていうかそんな感じのことなの。でも悪い意味じゃないのよ。常識に囚われず、正しい解釈を出来た人。そんな印象かな」
「おばあちゃんも村の小さな事件を解決してたの?」
「時々村の人たちの相談に乗ってあげたりしてたわ。なんでも村で頭を抱えていた害獣被害を解決したのをきっかけに、里山の名探偵と呼ばれるようになったんだって」
「初代里山の名探偵ってことか……」
里山の名探偵がおばあちゃんからから始まり、小春ちゃんが三代目だということを私は知った。
「おばあちゃんの影響を受けて、園枝さんと小春ちゃんは推理力を磨いたんだね」
「そうね。でもきっとそれだけじゃない。才能というか、特別な何かを園枝ちゃんは持っていた。私はずっと園枝ちゃんに手を引かれて冒険していたんだ。今日のさくらのように」
いつの間にか娘と同じように、お母さんのスプーンを持つ手も止まっていた。
遠い昔。母の少女時代に起こった特別な出会い。
その特別な幼馴染の名前を口にするたびに、お母さんの表情が少女のようにほころぶ。
お母さんと特別な友達はいったいどんな少女時代を送ったのだろう。
私は小春ちゃんのことを思い浮かべながら、遠い昔の二人に思いを馳せてみたのだった。




