第10話 二人の少女と夏の午後
プールで解散して、みんなお昼ご飯を食べに帰って行ったので、また小春ちゃんと二人になった。
真夏の直射日光が照りつける中、小春ちゃんはそのまま帰ろうとせず、学校の裏手から、ちょっと自転車で走ったところにある駄菓子屋に立ち寄った。
分校跡へ行く途中の見晴らしのいい通りで、昨日彼女が教えてくれたオレンジの屋根の駄菓子屋だった。
昨日は豆粒のようだった建物を見上げて、私はちょっとした高揚感を覚えていた。
店先に自転車を停めると、小春ちゃんは少し建て付けの悪そうな木製の引き戸に手をかけて、先に中へ入っていった。
続いて店内に足を踏み入れたが、外の明るさとの差に目が追いついていかず、いまいち中の様子が良く分からない。
ゆるく冷房が効いている。独特の匂いは、駄菓子屋特有のものなのだろうか。
目が慣れてくると、あまり明るくない狭い店内に、たくさんの駄菓子が並んでいるのが見て取れた。
「おばちゃーん」
「その声は小春ちゃんやね」
少し背中の曲がった眼鏡をかけたおばあちゃんが奥から出て来た。
隣で突っ立っていた私を見て、おばあちゃんはびっくりした顔をする。
「誰や? 見たことない子やな」
「さくらちゃん言うねん。東京から来た子なんや」
「ああ、山村留学の……ほんまに来てくれたんやねえ」
小さな村での新しい試みは、この地域の人々の間で噂となり、浸透しているみたいだ。
「それでな、今日はプールやったんやけど、ここを紹介したくて直行したんや」
「それは嬉しいわ。でもあんたらお腹空いてるんとちがうん?」
「ここでアイス食べて帰るねん。ちょっとはお腹の足しになるやろ」
アイスクリームの入った冷凍庫をガラス越しに物色し始めた小春ちゃんに、おばあちゃんが声を掛けた。
「うちも丁度お昼ご飯にしようと思うてたところなんや。焼きそばやけど食べていくか?」
「ほんま!? ご馳走してくれるん?」
すかさず小春ちゃんは食いついた。
「中に入り。すぐに作ったげるから」
私はただただ感心していた。
行き当たりばったりに、お昼ご飯をご馳走してもらえるほど、小春ちゃんは顔が広く、皆から愛されていた。
小春ちゃんは遠慮なく一段高くなっている座敷に上がり込ませてもらい、ひと息つく。私も遠慮がちに後に続いて上がらせてもらった。
しばらくすると奥の台所からじゅうじゅうと音がして、甘辛いソースのいい匂いがしてきた。
猛烈に食欲をそそられて、勝手にお腹から、「ぐう」という恥ずかしい音が鳴った。
気恥ずかしさを、私は笑って誤魔化す。
「へへへへ」
「さくらちゃん、ええ音なったなあ」
小春ちゃんは、お腹の虫を笑い飛ばす。
昨日友達になったばかりの女の子と、初めて入った駄菓子屋で焼きそばを御馳走になる。
私は不思議な気持ちで、夏の妖精の横顔に目を向けていた。
「お待たせ」
思いがけず訪れたちょっと特別な夏の午後。
おばあちゃんが作ってくれた焼きそばは、何だか特別な味がした。
駄菓子屋に上がり込んで焼きそばをご馳走になるという貴重な体験をし、「ごちそうさま」とお礼を言ってから、普段から持ち歩いているGPS機能のついた子供用携帯で家に電話を掛けておいた。
「うん。小春ちゃんと一緒にご飯食べさせてもらった。うん、わかった。それじゃあね」
通話中から気付いていたが、熱い視線がずっと携帯電話に刺さっていた。
「さくらちゃん携帯持ってるんやね」
「うん。子供用の携帯。防犯ブザーにもなるの」
「うちもそれで家に電話してええ?」
「うん。どうぞ」
「やった! どうやって使うん?」
ちょっとおもちゃ感覚で小春ちゃんは携帯を操作し、家にお昼ご飯を済ませたことを伝え終えた。
それからアイスを買って、丁度木陰になっている外のベンチで、私たちは並んで座る。
なかなか立派な桜の木が、二人の頭上で枝葉を広げている。
濃い緑の葉が強い陽光を遮り、二人にひと時の休憩場所を提供してくれていた。
重ねて持っていたカップアイスの一つを小春ちゃんに手渡されて、私は「ありがとう」と言って蓋を開ける。
送迎をしなくて済んだ山ちゃんから、二人分のアイスクリーム代をもらっていた。
いつもは手を出せない、ちょっとお高いバニラ味のカップアイスを木のさじで掬って、小春ちゃんは幸せそうに味わう。
「これ滅多に食べへんねん。焼きそばも食べさして貰えたし、ほんまラッキーやわ」
「なんだか小春ちゃんといると、色々なことが起こるね」
同じカップアイスを味わいながら、私はしみじみとそう言った。
「おばちゃん多分さくらちゃんを歓迎してくれたんやよ。うちは便乗させてもらった感じや」
「そうなのかな? 小春ちゃんの人望じゃない?」
アイスを食べる手を止めて、小春ちゃんは照れ笑いを浮かべた。
「もう、さくらちゃん、おだてんといて。うち本気にしてしまいそうや」
「おだててなんかないよ。真面目に感心してるの。小春ちゃんはすごいって」
お世辞とかではなく、私は本気でそう思った。裏表のない彼女の朗らかさが人を惹きつけ、こうして特別なことを起こさせているのだ。
誉め言葉を受け止めて、日焼けしているのに、それと分かるくらい彼女の顔は紅くなった。
「もう、さくらちゃんったら、買い被りすぎやよ」
「そんなことない。それと小春ちゃん、うさぎ見つけたでしょ。昨日はおばあちゃんの杖を見事に探し当ててみせた。どうしてそんなことができるの?」
「どうしてって、昔からそうしてきたから慣れてるんよ」
「昔からって?」
私はそのひと言を聞き流すことができなかった。
ちょっと的外れなことを言っていることも多いけれど、このお日様のような少女はたった二日間で、もう二度も抜群の推理力を発揮し、問題を解決に導いた。
気付けばいつの間にか、この少女のことをもっと知りたいと切望していた。
「みんな知ってるんやけど、うちのおばあちゃん、何冊か本を出してるんよ」
「作家ってこと?」
「うん。ミステリー作家ってやつやねんて。探偵小説とか好きで、いっぱい本棚にそんな感じの本並んでるねん。うちの家の周りってとにかく遊び友達がおらんやろ。うちが退屈してるのを気の毒に思ったおばあちゃんが、小説のトリックの話をなぞなぞ代わりに色々してくれたんよ」
これまでなぞなぞ代わりに、本物のミステリー作家のトリックを解いてきたみたいだ。聞けば聞くほど、型に嵌らない魅力的な女の子だった。
「それで、推理力を磨いたんだね」
「それと事件は結構身近に転がってるっておばあちゃんが教えてくれてん。おばあちゃんが言ってたみたいに、近所はじいちゃんばあちゃんばっかりやから、色々助けたらなアカンこと多いねん。それで探し物とか頼まれるようになって今に至るんよ」
周囲を取り巻く様々な環境が、彼女を特別な女の子に育てたと言うわけか。
「すごい。小春ちゃん、本物の探偵さんみたい」
「あんましおだてんといて。うち恥ずかしくなってきたわ」
溶けだした残りのアイスをかき込んで、小春ちゃんはベンチから腰を上げた。
緩やかな風が葉を揺らし木漏れ日が形を変える。
ザザザ、ザザ……
煌めく緑の背景が少女を彩る。その美しさに、見上げた私はハッとさせられる。
夏のエネルギーそのもののような快活な少女。それは日に焼けていてとてもしなやかだった。
一瞬の白昼夢に私が目を奪われていたことに、きっと彼女は気付いていない。
「案内したいとこいっぱいあり過ぎて、どこに行こうか迷うわー。お稲荷さんも行きたいし、いっつもみんなと遊んでる川も行きたいし、ちょっと遠いけど山の中にあるマス釣り場にも案内したいねん」
「山の中って、大変じゃない?」
「うちの家から車やったら四十分くらい。自転車やったら……」
何だか大変そうな匂いがしたので、話題を変えることにした。
「あの、山村留学のプログラムで、明日は分校跡の会館で工作するって言ってたの。小春ちゃんも来てくれる?」
「え! 行ってええん?」
「うん。山崎さんもお母さんと二人だったら寂しいだろうって、小春ちゃんとおばさんも誘っておいでって言ってた」
「行く行く。絶対行く。何時に行ったらええん?」
「会館に九時半って言ってた。小春ちゃんは直接行った方が早いよね」
「わかった。分校のグラウンドでうち待ってるから」
ようやくアイスを食べ終えて、もう一度駄菓子屋のおばあちゃんにお礼を言ってから私たちは出発した。
それから、あまり欲張らず、帰りに寄れるお稲荷さんへと二人は自転車を走らせた。
「さくらちゃん、ここやで」
自転車を停めたのは突然現れた急こう配の階段の前だった。
森林を貫くように、真っ直ぐ古い石段がとにかく続いていて、これを上がるのかと思うといきなり萎えた。
「百二十段あるねん。上まで競争しよう」
「ムリムリムリ。途中で死んじゃうよ」
早速駆けあがろうとする小春ちゃんを必死で引き留めた。
「しゃーない。今日は競争はせんとくわ。うちこう見えても男子より早く上がれるねん。たっつんにいつも辛酸舐めさしたってるねん」
こう見えてもと言ったけれど、私からすれば彼女が負けている姿の方が想像できなかった。
しかし、小春ちゃんは小学三年生にしては難しい言葉を知っている。辛酸を舐めさせるという言い回しを小学生なら普通しないだろう。
「いこ」
私の手を取って、小春ちゃんは軽い足取りで石段を上り始めた。
フウフウ言いながら階段を上がり終えると、大きな楠の木陰に、こじんまりしたお稲荷さんの社殿があった。
風が枝葉を揺らす音と、蝉の声。
急な階段を駆け上って来る風が心地よかった。
「へえ、なんだか雰囲気があるね」
「でしょ。ここのお稲荷さんは、よう願いごと聞いてくれはるねんよ。さあ、一緒に何かお願いしとこうよ」
朱に塗られた鳥居を抜けて、石段を二つ上がると、二人は繋いでいた手を放した。
賽銭を入れないで、ガラガラと鈴だけを鳴らしてから柏手を二回打つ。
「小学生やから、賽銭は勘弁してください。大人になったらちゃんと入れさせてもらいます」
前置きをしてから、小春ちゃんはムニャムニャと願い事をした。
何を言っているのかよく聞き取れない。隣で手を合わせる小春ちゃんを気にしつつ、自分も願いごとを呟いた。
「これでよし」
ひとつやるべきことを終えたかのような、そんな満足げな彼女の横顔を私は見つめる。
「これできっとええことあるよ」
そう言って手を繋いできた小春ちゃんと、また石段を降り始める。
どちらかが躓いたら、この石段を下まで転がり落ちるのだろうなと、頭の中で怖い想像をしながら、私は手を引くその後ろ姿に見とれていた。




