誓い.1
「…穏やかじゃないね。二人とも」
薊に捕らえられた私を見て、アルトリアがいつになく真面目な顔で言った。
「アルトリア様…」
彼女の姿を捉えた薊は、一度苦々しい顔をして私を睨んだかと思うと、鼻を鳴らして私から離れた。
「どうしたんだい、薊。とても怖い顔をしていたが」
「怖い顔は生まれつきです。…別に何でもありませんわ」
「そんなことはない、いつもの薊はチャーミングだよ」
「お上手ですこと」
口の軽い女の冗談だと思っているのか、薊は少しも嬉しそうな顔を見せない。
それでも、はは、と笑ったアルトリアは、何でもない様子で、ほっとした顔をしている私のそばに来ると、「この子と約束があるんだ。借りてもいいかな?」と告げた。
「…本気で、湖月さんと『湖畔祭』に出るおつもりですか」
「まぁ、玲がやれそうなら」
「玲…?」あっと言う間に、薊の眉間に深い渓谷ができる。「また随分と仲良くなられましたのね、アルトリア様」
「失言だったかな」と苦笑しつつ肩を竦めれば、ますます薊は面白くなさそうに鼻を鳴らす。そして、私のことを一瞥しながら嫌味たっぷりに言った。
「こんなにおどおどしている彼女をアーサー役にするなど…シスター・マルキオもどうかしていますわ」
「どうかな。やれるかもしれないだろう?」
「いいえ。そもそも、『やれる』『やれない』の問題ではありません。私は相応しくないと申し上げたいのですわ」
腰に手を当てて、改めて私に向き直る薊。彼女の後ろに、滑り込むようにして明鈴が隠れる。明鈴はアルトリアが来て、借りてきた猫みたいに大人しくなってしまった。
「このアヴァロン学院において、『アーサー役』を担うことは生徒たちの『王』になることを意味する。――こんな人間の頭に王冠が載ろうというのです。反対して当然でしょう」
「…僕は、『王』になったつもりはないよ」
「貴方がどうお考えかは重要ではありません。ただ、『そうなってしまう』のですわ」
薊の物言いに、今度はアルトリアが分かりやすく嫌そうな顔をした。
それで一瞬、口を開きかけていたのだが、突き刺さる薊の視線を受けて、少しずつ何かを諦めるみたいに冷笑を浮かべた。
そんな彼女を見て、私はアルトリアも薊を恐れているのだと直感する。意外な印象ではあったが、彼女も普通の感覚を持っていると分かって親近感を覚えた。
「薊が言うことも分かるけれど、学院長のご意思だ。玲は、アーサー役として動いてもらう」
「…貴方のオーサーは私だと言うのに、その子の味方をするのですね」
「そう言わないでくれ、薊。分かるだろう?役目なんだ。僕の」
どんな言葉を受けても、薊は顔色一つ変えることはなかったが、そのうち、スカートの裾を広げてぺこりと一礼すると、明鈴を伴って本院のほうへと消えていった。
「悪かったね、さっきは」
湖畔祭の流れを振り返っている最中、突拍子もなくアルトリアがそう言った。
自分でも意外だったのだろう、彼女はその言葉の先をどう続けたらいいか迷っている様子で視線を伏せた。
それからややあって、自嘲気味に笑うと、A4の紙の上に頬杖をついて、資料室に並べてある重厚な本棚の一点を見つめて続ける。
「薊には、いつも言い負かされてしまう。情けのないことにね」
少しだけ力の入っていない口調に、私は内心で驚きながら応じる。
「いえ…おかげで助かりました。アルトリア先輩が来てくれなければ、まだ叱られたでしょうから」
「あの子、君に対してはいつもあんな感じかい?」
「まぁ、そうですね。今日は一段と機嫌が悪かったみたいです」
「すまないね、苦労をかける」
貴方の何が私に苦労をかけているのか、と不思議に思い、ついアルトリアの表情を盗み見る。
白人らしい、白い頬。紺碧の空と海を望む瞳が憂いを帯びていて、怖いくらいに美しかった。
その絶景から瞳を背けつつ、口を開く。
「先輩が謝るようなことじゃありません。あのとき、無思慮に剣を抜いた私が悪いんです」
「おい、そんなことはないぞ。知らなかったことなんだ、どうしようもないじゃないか」
「入学する前に、少しでも下調べをしておけばよかっただけです。そうすれば、こんなことにはならなかった」
「…自分を責めることに慣れているね、君は」
急に別人のような声色になったアルトリアに驚き、顔を上げる。彼女はいつものような飄々とした表情ではなく、疲れたような顔になっていた。
「慣れている?私が?自分を、責めるのに?」
「そうだ。そしてそれは、決して良いことじゃない」
まさか、そんなことを言われるとは考えもしていなかったので、私は相手の視線を気にするようなこともなく、ただ呆然とアルトリアを見つめ、次の言葉を待った。
「過剰に低い自己評価は、自分のみならず周囲の評価も狂わせる。そんなことでは、運命でさえも、本当に納まるべき場所に君を導くことは難しくなるだろう」
私はそれを耳にして、昔読んだ本の一節を思い出した。
――運命は、人の魂をもっとも相応しい場所へと導く。
たしか、シェイクスピアの言葉だ。
アルトリアの口にする、『納まるべき場所』とはどこのことだろう。まさか、それが『アーサー』役なのだとすれば、お門違いもいいところだ。
器ではない、と嘲る薊の言葉を思い出して、悔しさや恐怖が胸に湧き上がる。私はそれを握り潰すように拳を固める。
「難しいです。私には」
「まぁ、君が君をどう評価しようとも、たしかにそれは君の自由だ。僕が強く関与するところではないね」
「すみません」浅く頷きながら返すと、「だけどね」と前置きしたうえでアルトリアが続けた。
「薊の威圧的な態度を謝罪する義務が僕にないとは、やはり、言えないのさ」
「どうしてですか?上級生だから?」
「はは、勘弁してくれ。そんな歳を重ねただけで与えられる勲章を振りかざすなんて、恥ずかしくてできたものじゃない」
それならばどうして、と小首を傾げてみせると、アルトリアは返事をせずに立ち上がり、資料室の本棚から一冊の本を手にして戻ってきた。
タイトルは、『誓い(オース)の起源と、その変遷』というものだった。
他の本より比較的劣化していない。その代わりと言ってはなんだが、若干、作りがチープには見える。
「誓い(オース)…?」
「冒頭だけでも読んでごらん。入学して間もない君が、この学院のことを知る、という意味でも参考になると思うよ」
私は言われたとおりに表紙をめくった。著者のところには、『小嵐帷』と手書きで書いてあった。
本の冒頭数ページの内容を要約すれば、以下の通りであった。
アヴァロン学院には、学生が始めた特別な習慣として『誓い(オース)』というものが存在している。
文字通り、生徒間同士で行われる誓いや約束のようなものをオースと呼称し、オースで結ばれている者同士のことをオーサーと呼ぶようだ。
一応、学院非公式の制度のようだが、今では事実上、黙認されているらしい。多感な時代を共に過ごす生徒たちのアイデンティティの形成に役立つと考えられている、と記載があった。
オースは、二人の関係性によって様々な種類があるらしい。
強い友愛を示す、唯一無二の親友としての契り。
師事する者とされる者で結ばれる、疑似姉妹的な契り。
アーサー王伝説にちなんだ、支える者と支えられる者を意識した、騎士と姫の契り。
そして、互いをパートナーとして認め合う者同士で結ばれる、比翼の契り。
とにかく、周囲に、あるいは自分たちの間に、特別なものがあることを示すための制度だ。
オースを交わす方法は半世紀近く前から変わっていない。
校章として交付されている『騎士の剣と百合の花』のブローチ。これらの剣の土台と、花の土台。それぞれを交換するという単純なものだ。
私はオースに関する書籍が、教師や専門家ではなく、学生によって作成されたことを直感した。この小嵐帷という生徒が、自分の学校の慣習をまとめたのだろう。子どもが作るものとしてはよくできていた。
再び表紙を閉じれば、目の前に、早く感想をとせがむアルトリアの顔があった。
「…この学院には、本当に古今稀に見るような風習があるんですね」
「驚きだろう?どこのフィクションの世界だって笑いたくなるが、この閉鎖的な環境では無理もないかと、三年経った今なら理解できなくもないよ」
苦笑するアルトリアを見つめつつ、私は本題に戻る。
「アルトリアさんのオーサーが、水宮寺さんというわけですね」
「ご明答」
アルトリアにやっと普段通りの飄々とした様子が戻ってきたことに、どうしてか私はほっとしていた。だと言うのに、すぐに彼女は生真面目な表情を浮かべた。
「薊のオーサーとして、私には玲に謝る義務があるということだ。それに――」
アルトリアはそこで一旦言葉を区切ると、逡巡するように本の表紙の上に視線を落とした。
机を間に挟んで、俯いたアルトリアと向き合う。
放課後の資料室には自分たち以外は誰もいない。古めかしい装飾に相応しい、荘厳な静寂だけが時を共にしている。
こんな環境で自分の特別な相手であるオーサーと毛嫌いしている相手が二人きりになるというのであれば、良い気はしないだろう。
ややあって、アルトリアが顔を上げた。そして、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「桟橋では、失礼をした。君の事情も知らずあまりに軽々しい発言だったと反省している」
私はそれを聞いて、はっと湖での出来事を思い出した。
アルトリアは、きちんと謝るべきタイミングを見計らっていたのだ。
しょんぼりとした面持ちで謝罪する彼女に、私は慌てて両手を浮かせた。
「そんな、あのときは私のほうが失礼なことをしてしまって…。謝りたいと思って――…」
そこで、私は言葉を紡ぐのをやめた。
アルトリアの口にした言葉が意味する別のものに、気づいてしまったのだ。
(君の『事情』も知らずに…?)
つまり、今は私の事情を知っているということだ。
勝手に、覗いたのだ。
私の目蓋の裏側に宿る、黒壇の闇に彩られた深淵を。
ふつふつと、水底から昇る泡沫の如く、疑心と悲しみ、そして、憤りが湧いた。
ぎゅっ、と拳を握りしめ、唇を固く結ぶ。
相手を睨みつける、という行動に自分で驚く暇もなく、忌々しげに私は言葉を発した。
「最低っ…!私のことを学院長に詮索したのね」
私の『事情』を知っているのは、学院長だけだ。
詮索した彼女もそうだが、学院長も学院長だ。いくら身内とはいえ、指導者のくせに、人のプライバシーを勝手に話してしまうなんて…本当にありえないことだ。
アルトリアは祖母の名誉を守るためか、自分が執拗に食い下がったと説明したが、だからといって許されることではない。
「すまない、でも、どうしても気になったんだ。祖母も桟橋の出来事を話したら、訳あり顔で落ち込んでしまったし…」
アルトリアは変わらず申し訳なさそうな顔をしていた。だが、もはやそんなことは何の免罪符にもならない。
「あのときの玲は、とても苦しそうに見えたから、僕が何か力になれないかって――」
「人の心に土足で踏み入るなって、言ったでしょう!?」
ヒステリーに声を張り上げている自分が、どこか遠い他人みたいだった。
何かの力?
冗談じゃない。
この痛みは、体温みたいに分かち合えるものじゃない。
「失礼します…っ!」
アルトリアは激昂し腰を浮かせた私を前にして額に手を当てると、「すまない。誰にも口外しないと約束する。…だから、落ち着いてくれ」と頼み込んだ。
「当たり前です!それに、落ち着けって…私をかき乱したのは…!」
そこまで口にしてから、アルトリアの心の底から落ち込んだ様子に気がついた。
アルトリアが単純な好奇心で首を突っ込んだわけではないのは理解できる。もちろん、それで許されるわけではないが…。
私は一つ大きなため息を吐いてみせると、ドカッ、と椅子に座り直して、アルトリアから目を背けた。
「絶対に誰にも言わないで…下さい」
「…ああ、約束する」
その後、すさまじく重苦しい空気の中、アルトリアは『湖畔祭』と『オース』に関して私に説明を続けた。だが、当然ながら、説明のほとんどが私の頭の中に入らなかった。
こちらの『事情』を知られたこともそうだが、再び彼女の前で感情を爆発させてしまったことも、私を深く追い詰めていた。
アルトリアは、全ての説明を終え、一人部屋を後にする直前、一度だけこちらを振り返ると、ほんの少しだけ余裕を取り戻した面持ちで言った。
「玲、今度はもっと楽しい話をしよう。学院の外でも案内するから…邪険にしないでもらえると嬉しい」
楽しい話なんて想像もつかない私は、アルトリアの言葉に肯定も否定もしないまま、彼女が悲しげな微笑を浮かべて立ち去るまで、じっと動けずにいるのだった。