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約束の場所、アヴァロン学院~剣と百合の校章~  作者: null
二章 アヴァロン学院
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アヴァロン学院.4

「そんなことがあったんだ」と心配そうに私の横顔を一瞥したのは、梢である。「それじゃあ結局、『湖畔祭』にもアーサー役として出るってこと?」

「…そう、なってしまいました」

「なってしまいましたって…、しかも、アルトリア先輩と一緒に?なんでそんなことになるかな」

「…成り行きで」

「ふふ、もう、どんな成り行きなの?それ」


 学院長からの提案を受けた後、私は自室へと戻ってからルームメイトと共に夕食を取った。


 夕食を終えた私は、困ったような顔で笑う梢の声を聴きながら、自分の部屋へと続く長い廊下を進んでいた。課題を進めるために先に部屋に戻った杏や純風とは別々だ。


 道中、すれ違う生徒たちの何人かが、ぺこり、と頭を下げて挨拶してくれる。それを見て、梢が難しい顔をした。


「ちょっと前までは湖月さんのことを無視してたのに…調子が良いなぁ」


 確かに、梢が言ったように少し前までは、聖剣祭で分不相応なことをしてしまった私を遠巻きにする者、邪険にする者は少なくなかった。


 ただ、一部は変わりつつあった。


「いいんです。私が悪かったのですから」

「そんなことはないでしょ。――それにしても、みんな現金なんだから」


 それを聞いて、私はほんの少しだけ微笑みを洩らした。つい昨日のことを思い出したのだ。


 私が微笑んだのを見て、梢は生真面目にしていた顔を和ませ、「あー、湖月さんってば、絶対に思い出し笑いだ」と言った。


 いくら近代的な改築を重ねているとはいえ、花月寮は半世紀前からある木造建築だ。隙間風は吹き込むし、虫も頻繁に出る。実際、今も窓の外では大きめの蛾がこちらを見つめていた。


 梢が気付かずによかった。彼女――というか、多くの同級生たちが虫を嫌う。


 不快害虫とされるゴキブリやクモ、ムカデに慄くのは理解できたが、蛾や蝶、カナブン。果てにはヤモリやカエルにまで震えあがるのは全くもって理解できなかった。


 数日前、部屋に入ってきたクモを平気で追い出したところ、色んな部屋からお願いされるようになってしまった。


 ゴキブリに関しては私だって得意ではなかったが、人間の都合で悲鳴と共に叩き潰される虫たちが哀れに思えて、追い出し役を買って出た。


 私を頼ってくる少女たちの中には、私を邪険に扱っていた者も混ざっていた。背に腹は代えられない、ということだろうか。


「私がひぃひぃ言ってたの、思い出したんでしょ」


 梢もそのうちの一人だった。着替えの途中だったから仕方がないが、私にとっては、虫の出現より、肌着一枚で抱きついてこられたことのほうがびっくりしてしまった。


「あ、その、ごめんなさい…」

「え?…そ、そう、図星なんだ」


 羞恥からか、梢が頬に紅葉を散らす。申し訳ないとは思ったものの、フォローをする勇気はなかった。


 隣で、「恥ずかしいなぁ」とか、「情けのない奴とか、思ってない?あ、やっぱり、答えなくていいや…」などとぼやく梢に気付かないふりをして、私は自室の扉を開ける。


 その瞬間、思わず私は硬直してしまった。突然、足を止めてしまったせいで、後ろから来ていた梢が私の背中にドンッ、と当たる。


「痛っ、ちょっと、湖月さん?急に止まらないで――」


 梢も室内の様子に気がついたのだろう。言葉を途絶えさせて、ぴたりと動きを止めてしまった。


 追い詰められたような格好で机に寄りかかる純風。そして、彼女のタイを引っ張って、下から睨みつけ身を寄せている杏。


 ただならぬ雰囲気だった。密接な距離感に対し、流れている空気感はぴりついている。


「…おかえり」紡ぐべき言葉を見失い、視線を逸らした私に向かって杏が呟くように言う。「そんなところでぼうっとしてないで、入りなよ。自分の部屋なんだから」


 杏は未だに黒く染まらぬ団子結びの頭を揺らすと、「疲れたから、少しだけ仮眠を取る」と言い残して、寝室へと消えていった。


 ぽつん、と置き去りにされた純風は、数秒だけ暗い顔をして、フローリングを見つめていた。だが、すぐにいつもの穏やかな微笑みを浮かべると、未だに入り口に佇んでいる二人に向けて言った。


「星欠さんの言う通り、そんなところに立ってないで、中に入ったら?」

「え、ええ…」


 なんでもなかったふうにしている純風に促され、中に入る。


(さっきのって…なんでもないことだったのかしら?)


 自分の席に荷物を置いて、課題の準備を進めながらさっきのことを考えていると、やおらに梢が口を開いた。


「たまには、怒ってもいいと思うよ」


 一瞬、梢が何の話をしているのかが分からなかった。しかし、純風が、「ごめんね、変な空気にしちゃって」とため息混じりに応じたことでピンときた。


「そりゃあ私だって、優しいところは純風の長所だと思ってるよ?でも、『優しさ』と『甘さ』は全く違うからね。杏だって、純風が何も言い返さないから、ついつい言いすぎちゃうんだと思う」

「…そうだね、ごめん」

「だから、ごめんじゃなくて――」

「でも」と純風が梢の言葉を遮った。


 普段、聞き上手な印象が強い純風のことを思えば、とても意外なことだった。梢にしてもそうだったのだろう。眉を上げて続く言葉を待っていた。


「私、杏ちゃんを悪く言うことだけはできない」


 強く、凛とした言葉だった。まるで鋼鉄の壁にでもぶつかったみたいに、相手の意志の硬さを思い知ることができた。


 純風はあっという間に、人懐っこい大型犬みたいな微笑みを浮かべ直すと、お風呂に入ってくると言って、大浴場に向かうべく部屋から出て行った。


 呆気に取られていた梢は、ハッと我に返ると一つため息を吐いて、「私には言えるんだけどなぁ」と愚痴っぽくこぼした。


 ふと、純風の席を見やれば、そこには、実物の彼女とはまるで違う雰囲気の星欠杏が笑いかけている姿があった。


 どちらかがまやかしだったとして、それは、やはり何か問題となり得るのだろうか。




 梅雨入り後は、アヴァロン学院の周辺の海が大きく荒れていた。


 休日でもなければ、町のほうへと降りていくことはないのだが、学院の三階や、森の外、図書館などからでも十分にそれらは一望できる。


 海があんなにも荒々しいものだと、内陸育ちの私は知らなかった。


 きっと、ここに来なければずっと知らないままだっただろう。


 そうだ。知らなかったことが無数にある。


 例えば、森の匂い。緑の優しくて、落ち着く香り。


 誰かとの共同生活にだって、驚くほど慣れてしまうということも。


 …相変わらず、私のことを良く思わない人は多いし、その冷たさや無関心さには慣れないけれど。


 今日は、七月に行われる『湖畔祭』の打ち合わせがあった。


 打ち合わせとは言っても、どういったことをするのか、アルトリアが説明してくれるというだけだ。


 アルトリアのことはできるだけ避けている。この島にやって来た翌日、彼女から無遠慮な指摘を受けて強く反応してしまったことを、未だに私は気にしていた。


 あちらはまるで気にしていない様子だったが、機会があれば、その話を彼女が口にしそうな気がした。だから、廊下の向こうにあの王子様然としている上級生がやって来たときは、隠れるか、回れ右をしているのだ。


 聞けば、アルトリアは三年生ということであった。道理で色々な差を感じてしまうわけだ。


 彼女は、女として成熟しているように感じた。欧米人と日本人の根っこからある違いなのかもしれないが。


 横風にあおられた雨が、渡り廊下の窓に叩きつけられてパシパシ、と音を立てる。窓をキャンバスにしてランダムに描き出される雨粒が美しい。


 アルトリアとの待ち合わせは、文化棟になっている。


 文化棟や旧校舎は、学院とは渡り廊下で繋がっていて、すぐに行き来できる。おかげで雨に濡れたり、靴を履き替えたりしなくても移動できるから、とてもありがたい。


 窓の外を横目にしながら歩いていると、ふと、嫌な人物が目の前からやってきた。


 天井から吊られているみたいに伸びた背筋、周囲が自分に平伏して当然、とでも言いたげな不遜な眼差し。緩く波打った髪。


(…水宮寺薊。よりにもよって、こんなときに)


 薊もこちらに気がついたらしく、私に視線を合わせると、ぴたりと足を止めた。


 彼女の後ろには、腰巾着の神田明鈴かんだめいりんもいる。こちらもこちらで、なかなかの曲者だった。


 明鈴は、自分が一人のときは私のことなど見えていないように行動しているが、ああして薊と並んでいると、嬉々として私に攻撃してくる。


 その攻撃も、威圧的だが筋は通っているように感じられる薊のものとは違い、妙な言いがかりばかりだ。正直に言って、明鈴のほうが不愉快である。


 私は無理があると自分で分かっていながら、気が付かなかったフリをして俯きながら横を通り過ぎようとした。だが、少し近づいたあたりで、「ごきげんよう」といつもの挨拶をされてしまった。


「…ごきげんよう」


 渋々、挨拶を返す。以前、面倒事を避けるために挨拶を返さず無視したら、普段の倍以上の小言をくらったことがある。


 周囲に誰もいないことを確認すると、薊の隣に並んでいた明鈴が小走りで近寄って来て、下から見上げるように言った。


「なぁに、今日は一人なの?騎士様たちはいないんだ」


 ここでいう、『騎士様』は梢を筆頭にしたルームメイトたちのことだ。


 ろくに言い返せもしない私を守ってくれる彼女らを皮肉っているつもりだろう。しかし、この明鈴という少女は本当に嫌味の尽きない人間であった。


 まさに、虎の威をかる狐。


 狡猾さを隠そうともしない様子には、さすがの私も苦いものを感じてしまう。


「はい、まぁ…」


 先を急いでいるので、と小さな声で彼女らに告げるも、横に避けた私の行く手を阻むように明鈴が立ち位置を変える。


「ちょっとぉ、クラスメイトなのに素っ気ないじゃん。薊がわざわざ挨拶してくれたんだよ?もう少し何かあってもいいんじゃない」

「そう言われましても…」


 何か、とは何だ。あまりに曖昧な物言い、こういうのが不愉快だった。


 沈黙を守っている薊を窺えば、彼女もちょうどこちらを観察しているところだった。


 じっ、と向けられた視線に体が震えそうになる。


 あまりに真っ直ぐ向けられた視線。酷く攻撃的に感じられた。


「す、すみません、人を待たせているんです。失礼します」


 ぺこりと一礼したことで、長い前髪が揺れた。


 時折視界を遮る前髪は、断ち切れない未練によく似ていた。そろそろ切らなくては、と考えているうちに伸び続けているところとかが。


「あっ」と避けられた明鈴が悔しそうに声を出す。


(良かった、逃がしてもらえそう――)


 そう安心しかけたのも束の間。薊の白くしなやかな腕が私の行く手を遮った。


「きゃっ…!」


 よく割れなかったな、と思うほどの勢いで、薊の手のひらが雨で彩られる窓ガラスの上に落ちる。遮断器が降りたみたいにして、私は前に進めなくなる。


「人を待たせている、と申し上げましたわよね」

「え、あ…」

「どこの、誰ですの?わざわざ文化棟で待ち合わせるくらいならば、貴方のルームメイトではないでしょう」


 じろり、と向けられた瞳からは、『それが誰かの検討くらい、だいたいついているわ』という薊の心の声が伝わってくるかのようだ。


 私は、薊が何かとアルトリアを気にしていることを知っていたため、ここで直接、彼女の名前を口にするのは危険だと判断した。だが、だからといって、気の利く嘘を吐けるような器用さは持ち合わせていない。


 こちらの沈黙に、「どうしましたの、まさか、申し上げられませんの?」と苛ついた口調で薊が言う。


 氷の刃の如き面持ちに、明鈴さえも少し離れたところから事態を見守っている。


「そ、その、私は、別に」


 無意識のうちに、足が下がる。情けのない逃亡とは思わなかった。


 だが――…。


 ドンッ、と今度は反対側の手で退路が断たれる。ちょうど、薊の両手と窓ガラスとで閉じ込められた形になった。


 逃げ場を失った私を、明鈴がどうしてか顔を真っ赤にして、口元を抑え見つめている。薊もほんの少し顔を赤らめているが、これは怒りからのものだと本能的に悟った。


「うだうだ言わず、早く答えなさい!」

「あ、アルトリア先輩です…っ!」


 有無を言わせない威圧的な問いかけに、夢中になって反応する。そうしてしまってから、失敗だった、と絶望に背筋をなで上げられながら私は青ざめた。


「やっぱり…!」


 ただでさえ恐ろしかった薊の形相が、より恐ろしいものへと変貌していく。それでも、ある種の美しさを保ったままなのは、彼女の堂々とした振る舞いの成せるものだろうか。


「湖月さん、貴方、『湖畔祭』にも出るつもりなのね。分も弁えず」

「私は、そんなつもりなかったんです…!ただ、学院長やアルトリア先輩が――」

「最終的に決めたのは貴方でしょう。人のせいにして、恥ずかしいと思わないの!?」


 確かにこれは正論だった。


 あの場で相手の強引さに負けない意志をもって、拒否することは論理的に無理なことではなかった。しかし、それは、『それができる人間』の言い分だ。


 自分の選択だ、絶対に断ることもできるはずだ、と言うのは、強い人間の傲慢なのだ。誰でもそうあれるなら、囲い込みの犯罪は起こらない。


 頭の中には、どれだけだって反論の言葉が浮かんだ。問題なのは、それを薊相手に口にする勇気が微塵もないことだ。


 責め立てる薊に、不安と恐怖で体が小さく震え始める。瞳だって、勝手にうるみ始め、情けのない醜態をさらした。


 そんな私を見て、薊が少し驚いたふうにした後、不敵に笑う。


「ここに来て日も浅いのに、ルームメイトの方々といい、アルトリア様といい、随分と可愛がられていますのね。こんなに愛らしいから、当然なのかしら」


 最後の言葉は嫌味だろう。言葉の内容と表情がまるで合っていない。


 すっ、と薊の白魚のような指先が伸びてくる。叩かれるのか、と反射的に目をつむったところ、薊は私の頬にかかった髪を指ですくい、耳元に引っ掛けた。


 繰り返し首筋を撫でられ、肌が粟立つ。薊がどうしてこんなことをするのか、全く分からないまま身を竦めて彼女を見つめる。


「それなら、私も可愛がって差し上げましょうか?」


 言葉の意味は分からなかった。だが、薊の冷徹な眼差しと嘲笑を受けて、決して良い意味ではないことは理解できた。


「や、やめてください…」


 慌てて、私の頬にかかった手を押し返す。それが気に入らなかったのか、薊は急に真顔になって私の手を掴んだ。


 彼女の口が、何か鋭い破片を吐き出そうというとき、カツン、カツン、と文化棟のほうから高い足音が聞こえてきた。


 渡り廊下の先から、誰かが来ている。生徒であればあてにならないかもしれないが、教師であれば、助けてもらえるかもしれない。


「あ…」私はその姿を見て思わず、息を洩らした。


 曲がり角から姿を見せたのは、金糸を高く結ったアルトリアだった。

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