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聖剣祭.4

こんなにも麗しい少女を、私は未だかつて見たことがなかった。

 私は予想外の事態に目を丸くし、硬直してしまっていた。


「あ!」と身長の高い少女が、大きな声を上げる。


 私も身長が160cm後半はあるため、かなり高い自覚があったが、彼女は私よりも大きそうだ。人懐っこい笑みのおかげで威圧感はないが、それでも唐突に現れるとびっくりしてしまう。


「こら、大きな声出さない」

「あ…ごめん」


 長身の少女を諌めたのは、これまた驚くべき容姿をした少女だった。


 別に身長が馬鹿みたいに高いとか、低いとかではない。平均的だ。二輪の花のように左右に結われた髪の、その色が奇抜だったのだ。


 薄水色…いや、パステルブルーと呼ぶのだろうか。とにかく、見慣れない色だ。普通ではない。頭頂部が少し黒く染まっていることからも、当たり前だが地毛ではない。


(な、なんて派手な色なの…!?)


 無遠慮にも、ついつい、じっとその少女を凝視してしまう。自分は人から視線を向けられるのが怖いくせに…。


 自分がされて嫌なことでも、油断すれば自分も行為者にまわるのが人間だ。黄金律など、あったものではない。


 すると、私の視線に気がついた派手な髪色の少女が表情を曇らせた。ただ、それも束の間のことで、すぐに過剰なまでに表情を明るくして声を発した。


「『はぁい!シューティングスター★の星欠杏ほしかけあんずだよぉ!よろしくね!』」

「…え?」


 何が起きたのか、全く分からなかった。


 理解ができない、とかそういう次元ではない。それを遥かに超越した混沌の中に身を置いていた。


 空っぽだと思っていた部屋の中に、すでに色々な物が置かれていることとか。


 見知らぬ少女たちが待ち受けていたこととか。


 そんなの、一切合切どうでもよくなっていた。


 人間、あまりに予期せぬ事態に巻き込まれるとフリーズしてしまうものなのだと思い知った瞬間でもある。


「な、生自己紹介…!こんな近くで見られるなんて…!」


 口元に両手を当てた長身の少女が、何やら感動した様子でぼやいている。とはいえ、私や梢、そして、星欠杏と名乗った少女は各々凍りついた雰囲気に困惑していた。


「あー…もしかして、私のこと知ってるわけじゃなかった?」

「貴方の、ことを…?い、いえ」


 杏の問いかけに私はぎこちない動きで首を縦に振る。


「そっか」


 頬をかきながら視線を逸らした杏は、しばし、居心地が悪そうに口を閉ざしていたのだが、隣に立っていた長身の少女がびっくりした様子で声を発したことで、再び口を開いた。


「え!?杏ちゃんを知らないの!?」

「ちょっと…『星欠さん』でしょ。北条さん」

「あ、ごめんなさい…『星欠さん』」

「私のことを知らない人の前じゃ、特に気をつけてよね」


 どこかよそよそしい口調で、杏は長身の少女に告げた。言った側も言われた側もバツの悪い雰囲気をまとっていて、息苦しい感情を肌で感じることができる。


「はいはい、二人とも、まずは自己紹介からでしょ。あ、杏のはやり直しね」


 微妙な雰囲気になってしまった空気を仕切り直すために、梢が手を叩いてそう言った。それでいくらかほっとした表情になった二人は、改めて、私のほうへと向き直って自己紹介を始めた。


「私は星欠杏。貴方と同じ一年生。以上」

「え?」

「『え?』って?」

「…それだけ、ですか?」

「それじゃあ、まずい?」

「でも、さっきのは…」

「『それだけ』よ」


 いや、たったそれだけのはずがない。だったら、先ほどの不可思議な口上はなんだったというのだろう。


「杏…」呆れた様子で梢がぼやくと、「分かった。分かったわよ」と杏は肩を竦めてから続けた。

「私、中学生までは『アイドル』だったの。さっきのは、そのときの台詞」

「アイドル…」


 なるほど、それで髪の色が奇抜なのか。いや、染めればいいのではとも思わないこともないが。


「あ、断っておくけれど、『元・アイドル』だから。妙な期待はしないで。そこの北条さんみたいに」

「う…」


 刺々しいパスを受けた背の高い少女は、大きな体を縮めてしゅんとしてみせた。傷ついた子犬をイメージさせる態度だが、背丈は大型犬だ。


 少女は自分の番であることに気づくと、一つ咳払いをしてから、精一杯明るい声で自己紹介を始めた。


「私は北条純風ほうじょうすみかっていうの。えっと、趣味は…」


 純風は部屋の壁に飾られた複数枚のポスターへと目を向けた。


 そこには、きらびやかな衣装を身にまとった少女たちの姿が映っており、そのどれもがおそらく『アイドル』のものであろうことが想像できた。


 その中の一枚によくよく目を見張れば、星欠杏らしき少女の姿も確認できた。今みたいな仏頂面ではなく、満天の星空みたいな笑顔だった。


「え、えへへ…。可愛いものが好きで…」

「は、はぁ…」


 適当に相槌を打つ。共感を示してあげたいが、その勇気は私にはない。


 空っぽであるはずの『私の部屋』には、すでに様々な物が置かれていた。


 ポスターやアウターだけではない。部屋の四隅にはシンプルな学習机が四つずつ配置されており、その中の一つだけが何も置かれていなかった。おそらくは私の机がそれに当たるのだろう。だが、ということは…。


 頭の中に嫌な想像が浮かぶ。すると、それを証明するかのように梢が奥の扉を開けながら言った。


「で、こっちが私『たち』の寝室で――」

「私、たち?」

「え?うん。どうしたの?」


 何かおかしなことがあるか、と首を傾げた梢に、藁にもすがる思いで尋ねる。


「…『私の』部屋、ではなくて…?」


 私の言葉を耳にした途端、三人はぽかんとした面持ちで互いの顔を見合わせた。それから、ふっ、と誰からともなく笑った。


「『私たち』の部屋だよ。全寮制だから、一人ひとりに部屋が与えられるわけがないじゃん」


 年相応のあどけなさを見せながら説明する梢に、一瞬、視線を奪われた。だが、そのうち私はくらりとする現実を思い出し、最後の一滴を絞り出すみたいに問う。


「じゃあ、貴方たちは…」

「そう」と杏が意地悪い微笑みを浮かべる。杏は、動揺している私に気がついたうえで笑っているらしい。


「あんたのルームメイト。これから五年間、この世界の果てみたいな場所で一緒に生活するありがたい友人ってこと」


 五年間、ルームメイト、一緒に生活する…。


 逃げ場のない現実に足の力が抜ける。


 ずるずるとフローリングへ座り込んだ私を見て、また三人はそれぞれ違った表情で顔を見合わせた。


 梢はどこか優しげな表情で苦笑していて、杏は相変わらずシニカルで意地悪げで、純風は気遣っているふうな微笑みを浮かべていた。


「あのぉ…よろしくね、えっと…」


 ――そうだ、名前も名乗っていない。


 名乗らなければ失礼だ、と思う傍ら、周りの音がドンドン遠くなっていくのを私は感じていた。




「え…嘘、気絶しちゃった?」


 杏が手を口に当てて驚きを示す横で、私、雨見梢は慌てて玲のそばにしゃがみ込み、その端正な顔を覗き込んだ。


「ちょっと、どうするのよ…!?」


 蒼白な玲の顔つき。よくよく見れば、目元にくまがある。あまり眠れていないことは明白だった。


「どうするって言っても…私たちが何かしたわけじゃないし」

「それはそうだけど…」


 ドライな対応をしてみせた杏に表情を曇らせれば、その代わりとでも言うみたいに、純風が特段人好きのする笑みを浮かべて、玲を挟んだ反対側に膝をついた。


「どうする?ベッドまで運ぶ?」

「とりあえず、そうするしかないかな」

「了解」


 純風は軽く頷くと、素早く玲の体をお姫様だっこで持ち上げた。それを見て、杏が口笛を鳴らす。


「さすが、力持ちぃ」


 からかうような杏の声に、ぴくり、と純風が体の動きを止めた。それから、じっと杏のほうを見つめると、泣き笑いみたいな面持ちで、「よく言われるよ」と笑いながら言った。


 それを見た杏も、複雑そうに顔をしかめる。ぼそぼそっと何か言っているようだったが、あえて聞かないふりをした。


 引っ張り上げられた玲の体が、そのまま奥の寝室へと運ばれていく。


 寝室は、ここよりも狭い部屋だ。左右の壁にくっつけるようにして二段ベッドが並んでいて、入り口から右手の上段が杏で、その下が純風の寝台。そして、左側の上が私である。


 そうなると、自然と私の下が玲の寝台ということになるが…。


 純風の後を追えば、実際に玲は私の下の寝台に寝かされていた。


 規則正しく上下する、玲の胸元。同年代とは思えないほどに凹凸に富んだ体つきだ。


 玲と相対していると、いくらか年上を相手にしているみたいで緊張した。それこそ、四年生や五年生と話しているような…。


 顔だって、驚くほど整っている。白い頬に長いまつげ、丸々としたオニキスの瞳はある種の芸術性を放つほどだ。


「なんか、とっても綺麗な子が来ちゃったわね」


 後ろから覗き込む杏の声に、びくりと肩を震わす。玲の端正な顔を夢中になって見つめていたことがバレたのかと思ったのだ。


 ひやひやしたが、杏の視線はひたすらに玲に注がれている。私の行動を見て言ったわけではないらしい。


「…うん。ちょっと儚げで、本物のお姫様みたい」

「ふぅん。良かったね、可愛い女の子好きでしょう?」

「あ、杏ちゃん――」

「ほ・し・か・け・さん」

「…うぅ、ごめん」


 ふん、と鼻を鳴らした杏は、純風の辛気臭い顔を厭うように寝室から出ていった。その顔には傷つけた自覚のある者特有の後悔がわずかに刻まれていた。


「杏ったら、あんな顔をするくらいなら言わなきゃいいのに…」


 私のフォローに、「いいんだよ」と笑う純風。


 純風も、こんな痛々しい作り笑いをするぐらいなら、自分の気持ちを言葉にすればいいと思うのだが…。


「一先ず、そっとしておいてあげようか。夕食時には目を覚ますだろうし」


 そう言うと、純風も寝室から出て行ってしまった。


 私と玲の二人だけになった部屋に、春の風が吹き込む。


 そう言えば、窓を開けっ放しにしていたな、と窓の外に一瞬だけ目をやる。


 夕暮れが差し込み、空気中を舞う塵を美しく象る。時間がゆったりと感じられた。


「ん…」


 風が、玲の頬を撫でる。それで長い黒髪が揺れた。


 杏や純風が机に向かって作業をしているのを確認してから、息を殺してベッドで眠る玲の顔を覗き込む。


(…綺麗だなぁ)


 こんなにも麗しい少女を、私は未だかつて見たことがなかった。


 純風や杏が言ったとおりだ。


 儚げで、とっても綺麗。


 こんな人がルームメイトになるなんて…とてもそわそわする。


 これから、ずっと同じ部屋で寝起きして、日々を過ごす。


 流転する四季の中で、彼女と…湖月玲と仲良くなることができたら、きっと素敵な学生生活になる気がした。


 すっと、無意識のうちに玲の頬に垂れた髪へ手を伸ばす。


 やっぱり、髪はサラサラだった。


(――はっ…。ダメ、ダメ。これじゃあ、寝込みを襲ってるみたいじゃないか)


 自分の行動を恥じつつ、立ち上がる。


 西洋文学の課題がまだ終わっていない。玲のせいにするわけじゃないが、校内案内をしていたので、その時間がなかったのだ。


 立ち上がった私は、寝室の入り口で佇むルームメイト二人の姿に驚いて足を止めた。


「あ…えっと…見てた?」


 じっとりとした視線を向けてくる杏と純風は、どちらからともなく口を開く。


「…何してんの?」

「いや、その…」


 何をしていたのか、自分でも説明できずに口ごもる。


「私、知り合って間もない人に許可なく触るのは…ダメだと思うよ?」

「ちょ、ちが――」

「違うの?」


 純風の真っ直ぐな視線を受けて、顔を背けてしまう。これでは自分の悪趣味さを肯定しているようなものだった。


「…内緒にしてて下さい」


 結局、私が友人になって間もない二人にできたのは、そんな情けのないお願いだけだった。

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