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鎮魂祭.1

 美しい友愛の定義とは、なんだろうか?


 一緒にいる時間が楽しいかどうか、趣味が一緒かどうか、対等であるかどうか?


 私は、この三人といる時間、それを考えずにはいられない。


 茶目っ気があるが、根は真面目な梢。


 皮肉屋で意地悪なことばかり言うが、なんだかんだ言って優しい杏。


 紳士的で裏表がなく、時折、変に高ぶっている純風。


 そして、物静かで、本の虫の私。


 四人とも、全く違う。似通ったものなどない。


 それなのに、言葉では言い表せない美しく澄んだ友愛を感じてしまうのはどうしてなのか。


「げ、劇に割り込むって、本気…!?」


 梢の発した頓狂な声で、私の意識は現実に戻される。


 ちょうど、四人で菱形を作るような形で座っており、梢は対面に位置していた。


「割り込むというほどではないわ。ほんの一部だけ流れを変えて、その後は元の流れにそっと戻すつもり。気づかない人は気づかない程度のものよ」

「いやいや、半分以上は気づくでしょ…」


 感覚が麻痺しつつあるらしい私に対し、梢は顔をしかめてくる。薊の協力が得られそうだという安心感、自信からか、私は臆することなく言葉を紡いだ。


「気づかれたとしても、中止にはできないわ。小嵐先輩が百日紅先輩の協力を得られているなら、自然と劇は続く。伝統を重んじる学院長なら、鎮魂祭が中止になるような騒ぎにするより、ちょっとしたサプライズにして場を収めるはずよ」


「ちょっとしたサプライズ、ね…。だいそれた計画を考えるようになっただけあって、言うようになったじゃない」


 杏が口笛を鳴らしながら、そんなふうにからかう。心なしか、彼女はご機嫌そうだ。アイドルをしていたとだけあって、派手なことが好き――というのは、偏見か。


 それから、思案げにしている純風を見やると、杏は尋ねた。


「で、どうすんの」

「え?」

「『え?』じゃないでしょ」


 杏がとても可愛らしい声で純風の物真似をする。馬鹿にしているのか、彼女にはこんなふうに聞こえているのか…。


「玲以外は、この中であんただけが唯一の当事者なのよ?つまり、あんたがやるか、やらないかで、この話は大きく舵が取られるってこと」

「あぁ…そっか」


「そっかって、あんた…」前屈みになって、杏が純風を下から睨みつける。「ふん、どーせ、お人好しのあんたのことだから、手放しでこの話を飲むつもりなんでしょうけど」


 そうだ。私も勝手にそんなふうに思っていた節がある。


 紳士的で慈愛深い純風なら、真剣に頼めば理由も聞かずに受け入れてくれると。


 しかし…。


「いやぁ、それは無理かな」

「はぁ!?」


 頓狂な声を上げたのは杏だ。思うに、杏こそが誰よりも純風の純朴さを信じているようだった。


「な、な、なんでよ?この流れで、嘘ぉ?」

「だって…」と純風が私に視線を投げる。その瞳に曇りはない。「私、まだ理由を聞いてないもん。伝統だとか、よく分かんないけど、元の劇も誰かがそれなりに頑張って作ったものでしょ?それを理由も聞かず変えちゃうなんて、私にはできないよ」


 あまりに正しい言い分に、私はハッと目が覚めるような思いを感じた。


 確かに、私は先人たちの努力を汚そうとしているのかもしれない。もちろん、それよりも大事にするものが私の中にはある。そう考える以上、退くつもりはないが、その行為の重みは忘れてはならないものだ。


「どうして、そこまでしてアルトリア様のことを気にかけるの?」


 私は軽く何度か頷くと、ごくり、とつばを飲んだ。


 話すべきときが来たのだろう。


 梢も私の緊張した様子から察したのか、慌てて、「純風、待って、それは…」と間に入るように言葉を発したが、私はそれをやんわりと片手で制した。


「いいの、梢。時が来たんだわ、きっと」

「いや、でも…」


「心配してくれて、ありがとう、梢」ふっと微笑み、彼女に語りかける。「でも、大丈夫。私が言ったのよ?悲しい過去は、忘れてしまおうとするのではなく、対峙し、乗り越えることこそが大事なのだと。――だから、今はただ見守っていて。私に力を貸して」


 焦燥にかられていた梢の顔が段々と、凛としたものに変わっていく。蛹が蝶へと生まれ出でるかのように。


 やがて、彼女はゆっくりと頷いた。


「分かった。…苦しくなったら、言って。いつでも止めるから」


 毅然とした梢の表情。狼のような、騎士のような凛々しさに、私は彼女が自分のことを好きだなんて、やっぱり嘘だったんじゃないかとさえ思った。




 すでに時刻は午前一時を過ぎている。深い闇が指先を伸ばす夜に相応しい、重い話題が始まっていた。


 杏と純風は粛々と話を聞いている。この手の話題には、人から言葉を奪う魔力があるようだった。


 話の詳細までは知らなかったらしい梢は、痛々しげに眉をひそめてこちらを何度も窺っていた。ただ、私の意志をくんでか、口を挟むことはなかった。


 今回の話において、アルトリアにしたときとは決定的に違うところが一つだけあった。それは、私が早霧の『ごめんね』という言葉を耳にして、逃げ出したことを正直に語ったことだ。


 全てを語り終えた私は、長息を吐いて床を見つめた。


「これが…私がみんなに隠していた全部で、引きこもっていた理由。もう、秘密は何も残っていないわ」


 何か悪いものが体から抜けていく、そんな感じがして、疲労感というか、安堵というか…。


「玲」名前を呼ばれて顔を上げれば、涙目の純風が微笑んでいた。「話してくれて、ありがとう。私、とっても嬉しいよ」


 ただでさえ涙声で聞き取りづらかったが、嗚咽まで漏らし始めたことで、いよいよ何を言っているか分からなくなる。


 そのとき、杏がため息と共に純風の隣に移動した。


「あぁ、もう泣き虫なんだから」


 純風の涙を手で拭う杏からは、普段の純風への刺々しさは消えており、今では不器用な親密さだけが残っていた。


「ご、ごめんねぇ、杏ちゃん」

「あーもう、うっさい。自分で話させておいて、全く…」


 杏は純風を落ち着かせると、静かにこちらを向いた。


「前、向けたみたいだね」


 湖畔祭の終わりに言われていた言葉を思い出す。それに相応しい選択を自分がしたのか、自分ではよく分からなかった。


 杏はどこか泣き笑いみたいな表情になると、「私さ、正直に言うと、日を追うごとに別人みたいになっていく玲のこと、ちょっと怖いなって、思ってた。こんなに人間ってあっさり変わっていくのかなってね」と告げた。


 純風が寄りかかって泣いていることも気にしない杏は、そのまま自然な手付きで彼女の背中を叩きながら続けた。


「でも、そうじゃないわね。玲は変わってなかったんだ。ただ、きっと、考えていた。どうしたらいいのか、どうするべきなのか…そして、少しずつ、顔を上げて進む準備ができてきた。――私は、玲が、苦しみと向き合う人が前に進むための手伝いなら喜んでするよ」


 今まで、そうして生きてきたように。


 最後に彼女は、言葉なく付け足したように感じた。


 それは、私の勝手な妄想だったのかもしれない。だが、私にはそれこそが星欠杏という人間の性なのだという不思議な確信があった。


「…私は」と話を始めたのは梢だった。ほんの少しだけ瞳が潤んでいる。「純風みたいに泣いてもあげられないし、杏みたいに自分の感情を上手に言葉にして、気の利いたことを伝えることもできない。だけど…」


 真っ直ぐ、梢の瞳が私を貫く。魂が震えるような、強い眼差しと輝きだ。


「そばにいることぐらいはできる。玲が転んだとき、立ち上がるまで見守ることはできる。泣いているときに、肩を抱くくらいはできるから…」


 私は、『ありがとう』と言った。『とても素敵な友人に恵まれて、幸せ』だとも。


 だが、それらは言葉として空気を震わせることはなかった。


 震えていたのは私の体。


 涙が流れている、と自覚したとき、私は途方もない悲しみと、どうすることもできなくらいの感動を同時に抱いた。


 どうして、あのときに限ってお姉ちゃんのそばにいてあげられなかったのだろう。


 変な冗談で追い詰めて、死なせてしまったのだろう。


 何一言、言ってあげられなかった。


 言葉、そう、言葉だ。


 無力だった、言葉にしなかった言葉の数々。


 窮地に陥った人間を救うのは、言葉だったはずだ。


 今、何を考えているのか。


 不安なことはないのか、話しておきたいことはないのか。


 ただ、聞けば良かった。


 解決できなかったとしても、ただ、聞くことはできた。そばにいることはできた…。


 葬式でも、数えきれない『ごめんなさい』を抱えた私は顔を上げられなかった。


 誰かが、私を責めているような気がした。


 周りの目が、いつも私を問い詰めているような気がした。


『お前のせいだ』『何もしなかったんじゃないか』『どうして、出来損ないの妹のほうが』。


『なんで、お前がここにいるんだ』『墓参りにも行かずに、忘れようとしているんじゃないのか』。


 …そんなふうに、言われているような気がしていた。


 それらの言葉は、いつだって私の声を真似して語りかけてきた。


 今なら分かる。それらは全て、葛藤する自分の心が生み出した言葉だったのだと。


 あの夜を忘れたいと思っている。思い出したくないと思っている。そんな自分と、お姉ちゃんのこと、いつだって思い出して大事にしたいと思っている自分がせめぎ合っていたんだ。


 そして、この涙は、そんなアンビバレントな自分を受け入れた証のような気がした。


 ぎゅっと、誰かが私の肩を抱いた。


 その力強さに、私は息を深く吸った。


「お願い、みんな」


 きっとこれは、お姉ちゃんがずっと、ずっと口にしたかった言葉だ。


「手伝って、力を貸して」


 こんなにも短い言葉も言えなくなっていたお姉ちゃんは…どれだけ苦しかったのだろう。

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