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約束の場所、アヴァロン学院~剣と百合の校章~  作者: null
七章 凍えるような寒さのなかで
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凍えるような寒さのなかで.4

 小嵐帷という人間は、偏屈さの塊のような人だった。


 あの後、帷は黙々と私のノートを読み耽ったかと思うと、重箱の隅を突くようにダメ出ししてきた。


 アレが駄目だ、コレが駄目だ、と具体的に指摘してくれるのはありがたいが、いちいち鼻を鳴らすものだから、つい、むくれてしまう。


 帷は、計画について一通りのフィードバックを行うと、やおら私に、「それで、一番の問題点はどこだと思う?」と聞いてきた。


 自分で文句をつけたうえに、私の口からも言わせたいのか…と不服に思ったが、想像以上に彼女の顔が真面目だったので、仕方がなく正直に答える。


「この計画には、劇に出る複数の生徒の協力がいることです。特に、一騎討ちを交代する予定のボールス役と、一騎討ちの後に出番がくるモルドレッド役は調整が必要ですから、不可欠です」


「ふ、そうだな。だが、現実可能性を考慮するなら、劇を中断させないためにも、一騎討ち後のキャスト全員の協力をこぎつけておいたほうがいいだろうな」


 理想はそうだ。だが、そうなってくるといよいよ絵空事で終わる。


「それは無理です。ボールス役は私のルームメイトですから、協力を依頼できるかもしれませんが…ベディヴィア役の水宮寺さんと、ヴィヴィアン役の百日紅先輩はとても不可能です」

「ほぅ、なぜそう思う?」


「なぜって…こんなことに付き合ったら、色んなところから酷く怒られます。デメリットが大きすぎるのに、彼女らに返せるメリットは一つもない。…むしろ、私は二人に嫌われているように思いますから、説得など無理かと…」


「なんだ、無理、無理と言ってばかりだな。本当にやる気があるのか?」

「だって…」

「難題に対し、少し考えただけで『無理』と言ってのけるのは、自分が無能だとひけらかしているようなものだ」

「う…」


 少し苛立った様子の口調に怯んで言葉に詰まっていると、急に帷が低く、悲しそうな声を発した。


「…あいつを見くびるな。あの馬鹿は、ヘタレのくせに頑固者でどうしようもない奴だが、人望はある。それにあの二人の性格を鑑みれば、あいつの苦しみを少しでも解決できるかもしれない手段が目の前にあれば、協力してくれる可能性はゼロじゃない」


 もちろん、手段が現実的ならな、と付け加えた帷は、それから気恥ずかしそうに髪をなで上げた。狼を彷彿とさせる彼女の姿に少しだけ見惚れながら、並べられた言葉の整理を行う。


「つまり、私のためではなく、アルトリア先輩のために手伝ってくれるかもしれない、と」

「そうだ。そういうふうに話を誘導する」

「…あの、さっきから気になっていたんですが…貴方は協力して下さるのですか?」


 計画を練るにあたって、すでにキャストは調べてある。そのため、小嵐帷が計画に重要なモルドレッド役ということは知っていた。


 じろり、と帷に睨まれる。そんなこと聞くまでもないだろう、と言っているようだ。


「ふん、それはお前と計画の現実性次第だ。――私は蘭香の奴を説得する。そして、お前は北条純風と水宮寺薊。この三人の協力さえ獲得できれば、残りの問題は些細なもんだ」


 私はこの十数分の間に、小嵐帷という人間の強引さと思考力に舌を巻いていた。


 正直、こんな計画は『無理』の塊だ。それが今、『もしかすると、努力次第でできるかも』という感覚のものになりつつある。ひとえに、帷のおかげである。


「ありがとうございます」私は素直に礼を口にしつつ、小首を傾げて尋ねる。「こんなにしてくれるのは、アルトリア先輩のためですか?」

「違う」


 即答だった。


「私は、自分のことを『僕』だなんて呼ぶ、妙な女は嫌いだ。あいつのせいでこの三年間、あの部屋に片時たりとも平穏は訪れなかったんだ」


 初めは照れ隠しかとも思ったが、どうやら、そうではないらしい。眉間に怒りが滲み出ていた。


「…だが、蘭香のほうには借りがある」


 帷は腰を上げると、話は終わりだとでもいうふうに背中を向けたが、ややあって立ち止まり、振り返らずにこう言った。


「とにかく、お前も行動に移せ。湖月玲。…それと、そのチープな台本は使えん。私が書くから待っていろ」




 帷にああ言われてから、一週間ほどが経った。アヴァロン学院は一年の始まりに浮かれた様子も見せていたが、私はというと、目下、薊を説得しようと奮闘中だった。


 行動に移せ、とも帷に言われていたから、とにかく声をかけるところから始めてみようと思った。


 薊は物言いこそ冷淡だが、間違いなく、心の奥底は清冽で、他人を思い遣ることのできる人間だ。だから、とにかく声をかけて事情を話せば…と考えたまではよかったが、現実は非情だった。


 学校、寮、通学路…幾度となく声をかけようとしたが、呼びかけても無視されるか、『私に関わらないで下さいまし』と一蹴されるのみ。


 さて、どうしたものかと相変わらず酷く寒いバルコニーで考え事をしていると、玄関の開く音が聞こえた。


 月の沈み方からして、すでに零時近い。一体、誰が外に出たりするのだろう…。


 不審に思った私は、バルコニーの手すりから身を乗り出して下の様子を窺った。すると、花壇のほうへと歩いていく、薊と明鈴の姿が見えた。


 また、燕の雛に手を合わせるのだろう。薊はあの夏から、度々ああしている。


 何はともあれ、話しかけるチャンスだ。人目もないし、こんな夜更けであれば薊も過剰に強い態度は取らない。明鈴だって、私に気遣いしてくれているのは明白なので、障害にはならない。


 ノートを片手に下の階に降りる。玄関の扉を開けて外に出て裏手にまわれば、すぐに薊たちの姿が確認できた。


 薊も私に気づいたようで、すぐに表情を険しくした。


 私は、足早に部屋へと戻られてしまう前に声をかけた。


「水宮寺さん…!」

「話しかけないでと、何度言ったら分かりますの?」


 虫でも見るような目だ。入学当初ならこれだけで身を固くし、震えていただろうが、今の私はもう違う。


「水宮寺さんが話を聞いてくれるまでは、何度でも声をかけます」

「そう。一生やってなさいな」


 そのまま、薊が横を通り抜けようとする。せっかくのチャンスなのに、と焦った私は、思わず彼女の手を掴んでいた。


「なっ…」と驚きで目を丸くした薊の目に、同じように驚いた私の顔が映る。


 自分でもびっくりする行動だったが、今更、後にはひけない。


「お願いします、話だけでも聞いて下さい」

「は、離しなさい」


 刹那、衝動的に振り払っただろう薊の手が、そのまま私の頬に当たった。


 ぱしん、と高い音が月夜に木霊す。ヒリヒリと頬が痛んだものの、おかげで薊の動きが止まった。


「あ、その、ごめんなさい、叩くつもりは…」


 罪悪感でいっぱいになっている彼女を見て、チャンスだと悟る。


「お話、聞いて下さりますか?」

「あ、貴方…」


 頬を叩かれてもなお、同じことしか口にしない私に、初めて薊がたじろいだ。この一年近い時間の中で、決して見ることのできなかった顔だ。


「あの、薊、話だけでも聞いてあげたほうがいいんじゃないかなぁ…?」

「明鈴、貴方まで…」

「だって、湖月さん、やっぱり何か理由がありそうだし」


 思わぬところから援軍が来た。明鈴は私に攻撃的な態度こそ取らないが、薊に反対するような姿勢は一度も見せたことがなかったから、これは僥倖と言うべきことだろう。


 薊は明鈴と私の顔を見比べ、ややあって、浅いため息を吐くと、「下らない話だったら、即刻、打ち切りますからね」と肩を竦めた。




 薊は小さくも想いの込められたお墓の前にあるベンチに座って、私の話を聞いていた。


 彼女は帷と同様、話の最中は一切口を挟まず、こんこんと目を閉じて聞いていた。一方で、明鈴は「え?」とか、「いや、ちょっと」とか口を挟んでいたが、薊に、「おだまり」とぴしゃりと言いつけられて口を閉ざした。


 話が終わっても、彼女は目と口を閉ざしていたのだが、ややあって目を開くと、私のノートに狙いを定めた。


「それも寄越しなさい」

「え?いや、これは」

「ここ最近、ずっとそのノートとにらめっこしているでしょう。早くしなさい」


 帷のときは気にする余裕もなかったが、ここには私個人の感想や、劇の改変よりもよっぽど荒唐無稽な話が記されているため、本当は恥ずかしくて見せたくない物なのだ。


 だが、薊はこちらの都合など関係なく、再三ノートを要求してきた。この強引さにはやはり打ち勝つ術はなく、渋々ノートを渡すはめになった。


 再び、無言の時間が過ぎた。薊の視線が私の文字の上を走る間、どうにも落ち着かない、まるで着替えを見られているような気持ちになってしまった。


 薊は一通りノートに目を通すと、静かにそれを閉じ、「おかけなさい」と私を呼んだ。まるで女王だ、とも思ったが、話を打ち切られなかったあたり、及第点には達していたようだ。


 薊の隣に腰をかける。明鈴も含めて三人で座っているので、ぎゅうぎゅうだ。薊の肩が私の肩に触れる度、どうしてかとても緊張した。


「二つ、貴方にどうしても言っておきたいことがありますわ」

「え、あ、どうぞ」

「一つ――湖月さん、貴方は大馬鹿者ですわね」

「え…」


「なんですの、この計画は。貴方、こんなものを一人で黙々と一ヵ月以上考えていましたの?とてもではないですが、この計画は個人の力で行える範疇を越えていますわ。独力で進められる限界に、とうの昔にぶつかっていたのではなくて?」


「お、おっしゃる通りです」

「全く、お馬鹿な人」


 馬鹿げた計画を考えた自覚はあるが、こうも馬鹿、馬鹿と連呼される思うところもあるというもの。


 さすがの私も小言の一つでも返そうかと考えていると、途端に薊が声を小さくした。


「そして、二つめ…貴方がこうして独りで戦おうとしていることすら知らず、それどころか、耳を傾けようともせずに『失望した』などと言ってのけた私を、許して下さいまし」


 そっと、労わるように薊の手が私の手の上に重ねられる。


「水宮寺さん…」

「アルトリア様には、私も多少なりとも思い入れも感謝もありますわ。ですから、あの方が苦しんでいるというなら、小指の先ほどでも助力したいとも思います」


「そ、それでは…!」

「ええ、協力することはやぶさかではありませんわ。ただ、正直、この計画通りに事が動いたとして、それでアルトリア様の心に何か変化があるかは分かりませんわよ?」


「構いません。それでも、何もしないより後悔は少なくて済むはずです」

「そう…私としましても、職業選択の自由が脅かされているとなれば、水宮寺の名を持つ者として苦言を呈さずにはいられませんわ」


 薊の物言いを大仰だと感じることはなかった。彼女は、大物政治家の娘なのだ。考えなければならないことが、たくさんあるのだろう。


 すると、ぎゅっと私の手を握る薊の指先に力が込められた。彼女なりの強い想いが表に出ているのかとも思ったが、それにしては段々と強くなりすぎている気がする。


「あ、あの、痛いん、ですが…」


 ふっと、薊が微笑んだ。氷のような笑みだった。


「…とはいえ、私の名前の下に書いてあった、『助力を請うのに勇気がいる』『私を嫌っている』『怖い』――という記述は解せませんけれど」

「あ、いえ、あれは…」


 そう言えば、そんなことを書いた気がする。


 だから見せるのが嫌だったのだ、と歯噛みしながら、懸命に話を本題に戻す。しばらくは薊も不服そうだったが、そのうち、溜飲を下げてくれたようだった。


「な、なんか、とんでもない話になってる気がするけど…これ、滅茶苦茶怒られたりしない?最悪、退学とか…」


 一連の流れを聞いた明鈴が、不安そうに言う。


 そうならない保証はないなと内心で思いつつ、苦笑して見せていると、薊がふっ、と嘲笑するように息を洩らした。


「退学させられるかもしれませんわね。まぁ、学院随一の知能を誇る小嵐帷様や、円卓の会会長として勤勉に活動している百日紅蘭香様――そして、大規模な学院パトロンである水宮寺家、その嫡子である私を追い出す度胸を持った人間がいれば、ですけれど」




 薊から、蘭香の協力が確実になれば手伝ってくれる、という約束を取り付けた私は、月を背に花月寮へと戻った。


 みんな、もうとっくに寝静まっている頃だろう。できるだけ気配を消し、部屋へと戻る。窓から差す月明かりが、湖底を照らすように丸く、いくつもの円を廊下に描いていた。


 私は自分の部屋の前に来たとき、中から光が漏れていることに気づいて驚いた。すでに時刻は零時を過ぎているため、いつもなら三人とも眠っているはずだ。


 最近はずっとこの時間に出入りしているため、三人と顔を合わせることも最低限で済んでいたのだが、こうなっては話が別だ。


 さて、どうしたらいいだろうかと考えていると、不意に背後から声をかけられた。


「何してんの、入りなよ」

「きゃっ」飛び上がるほどにびっくりした。振り向けば、そこには杏が立っていた。「い、いつから私の後ろに…」


「あんたが水宮寺たちと話し終わって、中に入ってきてからずっとだけど」


 なるほど、外に出ていくのを見られていたのか。


 薊と話しているのを見ていただけなのか、それとも、話の中身まで聞いてしまったのか…。


 何はともあれ、こうして廊下で話していては、優しい眠りに就いている他の生徒たちに迷惑だ。


 私は大人しく部屋のドアノブに手をかけると、一瞬だけ躊躇ってから、それを回して中に入った。


「お」と声を上げたのは梢だ。


 彼女と目が合った瞬間、あの日の熱烈な愛の囁きが脳裏に蘇り顔が熱くなったが、当の本人はけろりとした感じで、「なんか、久しぶりにこの部屋でちゃんと顔を合わせた気がする」などと言っている。


 自分の部屋だというのに入ることに躊躇していると、ドン、と背中を杏に押された。つんのめる形にはなったが、おかげでみんなの前に出ることができた。


「さあ、これで逃げられないわよ」私の後ろで杏が言う。「さっき薊たちに話してたこと、梢と北条さんにも話しなさい」

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