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聖剣祭.3

私は、これから五年もの時をここで過ごす。

紺碧の海に囲まれた、逃げる場もないアヴァロン学院という牢獄で。

「ごめんなさいね、突然、大変なことに巻き込んでしまって」


 開口一番、学院長は穏やかな口調でこちらを気遣った。


『剣の儀』の後、私は学院長に連れられて、彼女の居城である学院長室に足を運んでいた。突き刺さる無数の視線から逃れられることを思えば、ありがたくもあった。


「が、学院長が謝ることじゃありません…!私が、そのぅ、湖月さんの事情も聞かず、無理やり舞台に引っ張って行ってしまったことが原因です」


 同席している若い教師は自らを南涼香と名乗った。涼香の額には脂汗を浮かんでおり、強い焦燥や後悔に駆られていることが分かる。


「もちろん、南先生にも落ち度はあるでしょう。ですが、貴方たち教師のミスは、その上司である私の責任でもあるのです」

「学院長…ですが…」

「二度は言いません。貴方も、私ではなく湖月さんに謝罪しなさい」


 涼香は学院長にぴしゃりと言いつけられたことで、姿勢を正した。


 二人の謝罪を受けて私は、慌てて首を左右に振った。


 元を正せば、その場で涼香に事情を話せなかった私にも非はある。引きこもり、誰とも会話しなくなっていた弊害が出てしまった。


 学院長室は、その名に恥じぬ荘厳さが施された部屋だった。様々なトロフィー、賞状、巨大な本棚に並べられた分厚い本の数々…。誰が弾くかも分からない、角に置かれたグランドピアノも不思議と部屋の雰囲気にマッチしていた。


 ビロードの赤いカーテンの隙間からは、陽光が差し込んできていた。窓の向こうは先ほどの一件があった広場がある。一応、聖剣広場という名前があるらしい。


 残りわずかになった祭り気分を惜しむような、生徒たちの和やかな声が聞こえてくる。みんな楽しそうで、熱も冷めやらぬようだ。


「さて、改めて――」学院長が柔和な笑みを浮かべて、私のほうへと右手を差し出す。「ようこそ、アヴァロン学院へ」


 学院長も、見た目からして欧米人なのは一目瞭然だ。だからこそ、この日本人には縁遠い、握手を求める仕草が板についていた。


 無礼にならぬよう、慌てて相手の手を掴む。皺だらけの手は、想像していたよりも強く壮健なイメージを私に抱かせた。


「私たちは、貴方を歓迎します。湖月玲さん」

「どうも…」


 学院長は柔和な笑みを崩さぬまま、座席に着いた。


「ところで、お祖母様は元気?」

「え?」と目を丸くしてしまう。


 そう言えば、学院関係者に知り合いがいると祖母が言っていた気がする。まさか、学院長だったのか。


「は、はい。あの…祖母とお知り合いなのですか?」

「ええ、そうよ。私と貴方のお祖母様はここの同級生だったの。お聞きにならなかったの?」


 聞いていたかもしれない、と思い、反応に困る。とりあえず曖昧に笑ってみせたが、出された紅茶に映った私の顔は、作り笑いも上手くできていなかった。


「懐かしいわ」と微笑んだ学院長は、まるで幼子のようだった。この一瞬だけは、女学生だった時代に戻ることができたのかもしれない。


 それから少しばかり他愛のない思い出話があって、本題に戻った。ここでいう本題とは、学院に入学するにあたっての手続きと、ここでの暮らしに関する簡単な説明などだ。


 全ての書類にサインを終えた私は、静かにため息を吐いた。


(これでもう、後戻りはできないわ)


 私は、これから五年もの時をここで過ごす。


 紺碧の海に囲まれた、逃げる場もないアヴァロン学院という牢獄で。


 とても幸せなこととは思えなかった。出だしも最悪だった。


「南先生が、貴方のクラスの担任になります。とは言っても、一学年に一クラスしかないのですけどね」


 それを聞いて、涼香が頭を下げる。未だに緊張している面持ちだ。


「よろしくね、湖月さん。あんなことの後だと、頼りなく思えちゃうかもしれないけれど…普段は大丈夫だから!」

「…はい、こちらこそ、よろしくお願いします」



「それでは、今度は学院の中を案内しましょう」


 一通り口頭での説明が終わったらしく、学院長がそう言った。


「雨見さん。こちらに」


(――雨見?)


 また知らない名前だ、と学院長の視線の先を追う。彼女の眼差しは学院長室と廊下を隔てる扉の向こうへと向けられていた。


「はい」


 澄んだ声だった。アルトリアとは違って、高潔さを感じさせるものはないが、誠実な印象を与える響きを持っている。


 やがて、開かれた扉の先から、私と同じ白のセーラーワンピースに身を包んだ少女が現れた。


 私はその少女を見た瞬間、緊張していながらも、精一杯、優雅に振る舞おうという気概を読み取り、思わず感嘆の息を漏らしかけた。


 少女は学院長に手招きされると、恭しくスカートの裾を広げてお辞儀をしてから、その傍らに並んだ。


 私の横を通る際に、彼女と目が合った。さっと朱に染まった顔を背けた少女に、なぜだかこちらもそわそわした心地になる。


(…まるで、お人形さんみたいだわ)


 私は平凡な感想を抱いた。だが、彼女の大人と子どもの狭間にたゆたう、羽化しかけの美しさを表現するには適当すぎるとも思った。


 やや色素の薄いさらさらのショートヘアが、開け放たれた窓から入り込んでくる風に揺れている。肩に触れるか触れないか、といった長さである。


「湖月さん、紹介します。貴方たち一年生の級長をしています、雨見梢あまみこずえさんです」

「どうも」


 少女――雨見梢は、目礼してから気もそぞろといった感じで、前髪をいじった。それから、自分でその落ち着きのない行為を咎めるように、指先を揃えて太もものあたりにくっつける。


「あら、珍しいわね、雨見さん。緊張しているの?」

「し、シスター・マルキオ、それは触れない約束ですよ…」


 マルキオ、というのは学院長の名前らしい。


 マルキオは羞恥で顔を赤くした梢を見て、嬉しそうにはにかんだ。高齢だというのに、少女然としている。


 改めてマルキオは、梢に向けて学院内を案内するよう告げた。


 どこを案内する必要があるか、マルキオと梢、涼香の三人で復唱し合っている傍ら、私はこっそりと梢の横顔を盗み見た。


(…やっぱり、可愛らしい人だわ)


 こうして、色んな人との出会いが待っているのだと考えたら、得も言われぬ感覚がした。


 ドキドキするような、緊張で目眩がするような…。


 すると、ちょうど話が終わったらしく、梢が私のほうを振り返った。


 視線が交差する。再び交わされる目礼。他人行儀な感じがしたが、互いに酷く緊張しているのだと理解できていたから、私も悪い気はしなかった。



 学院の設備に関しておおまかな説明を聞き終えたのは、夕焼けがアヴァロン学院を覆う森を赤く染めるように彩り始めた頃だった。


 最後に、私が寝泊まりすることとなる『花月寮』の案内を行う…そう素っ気なく告げた梢に従い、学院よりさらに南、切り分けられた森の中へと進んだ。


 花月寮には、私の荷物がすでに届いているということだ。あまりの荷物の少なさに運搬を担当した生徒が驚いていたことを、梢が話してくれた。


 まぁ、少ないも何もここアヴァロン学院は、携帯やゲームを始めとする娯楽品の持ち込みは禁じられている。


 このご時世、なかなかありえないルールだと思った。そうした趣味もなく、携帯などあっても使わない私でも片眉をひそめたくなるような内容だ。


 それにしても…と私は後ろを振り返り、少しずつ遠ざかっていく学院を見つめた。


 梢が案内してくれた施設の数々は、とんでもない規模、そして、数の多さだった。


 学院に隣接する巨大な図書館を始め、見たこともない花や野菜を管理する温室、様々な部が活動を行っている旧校舎、映画や歴史的資料を見ることができるうえに、望遠鏡まで設置されている文化棟…。

数え出すとキリがない。これらが五年制とはいえ、一学年一クラスしかない生徒たちのために用意されているとはにわかに信じがたかった。


 少なくとも五年間を過ごすのに、退屈はしなさそうだった。退屈を覚えられるほど、私がこの場所に落ち着きを見出せればの話だが。


「着いたよ」


 梢の言葉に顔を上げると、目の前には三階建ての大きな建物があった。


 花月寮は、左右が前に突き出したシンメトリー構造の木造建築だった。各階には窓が規則正しく間隔を開けて並んでいて、外壁は白い。一見して、歴史のある建造物だということが分かる。


「…すごい」


 城を模した学院といい、花月寮といい、まるで御伽噺の中から出てきたみたいだった。


「この学院が設立された頃からある寮みたいだよ。もちろん、何度も修理や改装を繰り返しているみたいだけど」

「設立された頃…というと?」

「んー…多分、半世紀以上前じゃない?」

「半世紀…」

「中もすごいから、期待していいよ」


 ふっ、と梢が相好を崩す。ここまで緊張している様子で言葉数も少なかった彼女だからこそ、その微笑みは貴重で価値あるものに感じられた。


 ぼうっと相手の表情を眺めていると、私の眼差しに気づいた梢が、気恥ずかしそうに顔を逸らした。


(ジロジロ見られるのは、誰だって嫌なことだものね)


 無遠慮過ぎた、と反省しながら進む梢の後に続く。


 重厚な両開きの扉を開く。多少、軋んだ音を響かせてはいたが、それもむしろ趣あるものに思えた。


 玄関は横長に広く、生徒たちの靴が靴箱に規則正しく並べられていた。一部を覗いて、没個性な黒のローファーで統一されている。


 ガラス窓がはめられた引き戸の先へと進むと、食堂に出た。


 その瞬間、また無数の視線が私の体に突き刺さった。


 白の衣装をまとった、有象無象の可愛らしい人形たち。


 その視線に含まれるものが、たとえどれだけ純粋なものであったとしても、私には息苦しかった。


 体を固く強張らせた私を見かねてか、梢が優しく肩を叩いた。


「花月寮にいるのは、みんな一年生だから。そんなに緊張しないでいいよ」


 私は梢の気遣いを受けて感謝や安堵の気持ちを抱くより先に、肩に触れられたことに対して大きな驚きを覚えてしまっていた。


 目を丸くして、梢の手を見つめる。すると、彼女も私が何に驚愕を示したのかを悟ったらしく、慌てた様子でこちらの肩を掴んでいた手を離した。


「あ、いや…っ!」


 梢も自分の行動に驚いているのか、赤い顔をして自らの右手を横目で確認していた。


 不思議にも、じんわりと熱くなっていく私の左肩。その熱を拭うためにそっと右手を肩に添えたところ、梢がしゅんとした表情になった。


「ご、ごめん…急に馴れ馴れしくして…。そんなつもりじゃ、なかったんだけど…」

「いえ…その、別にそういうつもりでは…」


 慌てた梢の様子を見て、私も急いで言葉を紡ぐが、上手いこと説明ができない。二人揃って不安そうな顔をしているところを見るに、言わないほうがまだマシだったかもしれない。


(せっかく、気を遣ってくれているのに…。どうして、こうも上手く話せないの…)


 気落ちした感じで片手を差し出す梢に促され、食堂にいるメンバーに軽く頭を下げ、自己紹介する。


 内容はとても簡単だ。名前だけを口にする。それだけである。


 今日からクラスメイトになるらしい少女たちから、逃げるようにして素早く食堂を後にする。


 大浴場や裏庭、森が一望できる二階のテラスなど、寮内の設備を一通り説明した後、梢は最後に私の部屋にあたる場所へと案内すると告げた。


(…良かった、やっと一人になれそう)


 ずっと引きこもってきた私にとって、こんなにも隙間ない人との関わりはこたえるものがあった。しかも、『剣の儀』などという舞台に上げられて、あんな目に遭えば…。


 ここに来ての疲れが、どっと一気に肩に降り積もる。気を張っていたために気づかなかったのか、頭痛も酷い。


 こめかみがドクン、ドクンと脈動する。


 さっさと横になりたかった。可能なら目を閉じて、眠りの世界へと逃げ込みたい。


「ここが君の寮室。先に言っておくけれど、こっちはあまり期待しないでね」

「…私は、ぐっすりと眠られればそれで構いません」

「あー…うん。善処するよう言っておくよ」

「え…?それは、どういう――」


 私が言い終える前に、梢が扉を開けた。


 扉の向こうに、やや縦長の空間が広がった。いや、広がると表現するには微妙な間取りだ。決して広くはない。


 ただ、そんなことはすぐにどうでもよくなった。


 驚いたことに、『私の部屋』には先客が二名もいたからだ。

次回の更新は水曜日に行います。

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