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約束の場所、アヴァロン学院~剣と百合の校章~  作者: null
七章 凍えるような寒さのなかで
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凍えるような寒さのなかで.2

 十二月の凍えるような風は、このアヴァロン学院にだって分け隔てなくやってきていた。


 水は生き物を拒絶するかのような冷たさに覆われ、空気は体温を奪わんとするように私たちの身を取り巻く。


 白い吐息を漏らしながら、花月寮への道を一人進む。


 いつも隣にいたルームメイトたちはいない。


 梢の件で気まずい思いをしたが、決して村八分にされているわけではなく、むしろ、私のほうが三人と距離を置いていた。


 今の自分の状況に、三人を巻き込みたくなかったからだ。


 すれ違う生徒たちから、好奇と失望に染まった眼差しを向けられながら、私は歯を食いしばって真っ直ぐ背筋を伸ばす。


 選んだのは私だ。ならば、今は誹りも軽蔑も甘んじて受け入れよう。


 寮に辿り着くと、花一輪咲いていない花壇の前に薊と明鈴が立っていた。


 薊は私に気がつくと、すうっと目を細め、顔を逸らした。明鈴は、困惑した顔つきで薊と私を見比べてから、薊に従い視線を背ける。


「…ご機嫌よう、水宮寺さん、神田さん」


 まともな返しを貰えないと分かっていて、声をかける。案の定、薊の返事は鋭く、冷淡だった。


「声をかけないで下さいまし。貴方に返す挨拶など、一言たりともありませんわ」

「…そうですか」


 礼儀は果たした、と体を反転させようとすると、小さく手を合わせて片目をつむる明鈴と目が合う。


『ごめんね』と口の形が動く。彼女なりに気遣ってくれることが、萎びかけていた私の魂に少し薪をくべる。


 軽く微笑んでみせてから、再度、背中を向けて寮に入ろうとする。すると、今度は薊の声が聞こえた。


「貴方には、失望しました」


 ぐさり、と胸に刺さる言葉だった。今すぐにでも釈明したいとも思ったが、何もかもが机上の空論である今、私にそのための言葉は与えられていなかった。


 黙って扉を開けて、中へと入る。そうしながら、私は、薊や他の生徒たちが私に失望の眼差しを向けることになった、あの日のことを思い出していた。




「アルトリア先輩に用事があって参りました」


 何をしに来たのか、という蘭香の問いに対し、半開きの扉越しに私は答えた。


 蘭香の顔が少しばかりの驚きに染まる。だが、彼女はすぐにふっと微笑むと、「後夜祭なら、アルトリアは出ないと思うわよ?」とこちらの先手を取ろうとするような解答をよこした。


「大丈夫です。用事というのは、後夜祭のことではありませんから」

「…だったら、どうしたの?」

「あの、アルトリア先輩はいらっしゃらないんですか?」


 アルトリアに会わせたくなさそうな態度に顔をしかめていると、リビングの奥、寝室のほうの扉が開き、中から見覚えのある顔が覗いた。


 少し癖毛らしい黒い髪の毛を無造作に伸ばしている女性は、たしか――帷、と呼ばれていた生徒だ。

 帷は私が来ていることに気付いたが、興味なさそうに机の上の本を手に取り、そのまま私のいる場所までやってきた。


「通っても?」

「あ、はい…」


 有無を言わさぬ様子に、反射的に道を譲ってしまう。だが、蘭香がこの調子である以上、今は帷に聞くほうが効率的である気もした。


「あ、あの!」帷の背中に呼びかける。ぴたりと、彼女の動きは止まった。「何だ」

「アルトリア先輩は、中にはいらっしゃらないのですか?」


 首だけで振り向いていた帷は、鬱陶しそうな視線でこちらを見つめると、ため息交じりに言った。


「いるよ。だけどな、お前が『アーサー様』を求めているなら、もう帰ったほうがいいな。今のあいつは、諦めで塗り固めた、臆病で頑固な馬鹿野郎だ」


 ふんっ、と何に苛立ったのか、帷は鼻を鳴らして廊下の奥へと消えた。同じ読書家のようだが、私とは根本が違う生き物のようである。


「…はぁ」と蘭香が物言いたげにため息を吐いた。「もういいわ。中に入って」


 私は大人しく従って中に入ると、アルトリアがいるらしい寝室へと向かった。


 部屋は真っ暗だった。


 その深淵は、嫌でもあの日を思い出させた。


「アルトリア、いい加減に起きて」


 蘭香が闇の中にいるらしいアルトリアに向かって声をかける。だが、空気は固形物のように固まり、動かない。


 すうっと、隣で蘭香が大きく息を吸った。


「いい加減にしなさい、アルトリアっ!」大気が震えたのかと思うほどの声量に、思わず、体が跳ねる。「湖月さんが来てるわよ。この子にくらい、ちゃんとした顔を見せなさい」


 やがて、闇の中で何かが動いた。


「…玲が?」アルトリアの声…のはずだが、とても無気力だった。

「ええ、そうよ。私や帷に甘えるのはいいけれど、この子は駄目よ。分かるでしょ」


 そんなことはない、と思いつつ、一歩前に出て蘭香の顔を覗く。


 軽く頷けば、蘭香は複雑そうな顔をしながらも、私とアルトリアを部屋の中に二人きりにしてくれた。


「アルトリア先輩、大事な話があって来ました」

「…悪いが、また今度にしてくれないか」

「お時間は取らせません」

「気分が悪いんだ。休ませてくれ」


 嘘だ。それなら、蘭香が会わせてくれるはずはない。


 だとしたら、私に会いたくない理由は…。


「転院するって、どういうことですか」


 これに違いない。


「アルトリア先輩、言ってましたよね。四年生になったら服飾科に入りたいって」


 アルトリアは私の言葉を無視し続けているが、構うものか。


「どうして、みんなの前では何も言わなかったんですか?貴方の本当の気持ちは、転院して学院の経営を考えることじゃなくて、服飾の道を選ぶことだったのでしょう?」

「…うるさい。帰ってくれ」


 一方的な言い分だ。今度は私が無視をする。


「自分の気持ちをごまかさない。そうやって生きられるのなら、そうするべきだと、貴方が言ったじゃないですか」


 アルトリアは、何も答えない。


 それが我慢できなくて、私は強く言い放つ。


「逃げる気ですか」


 瞬間、がばっとアルトリアが布団を蹴った気配がした。


「黙れ!君に僕の何が分かる!?」


 カーテンの隙間から差し込む月明に照らされ、アルトリアの乱れた金色の髪と、陰ったサファイアの瞳が輝いた。鈍い輝きだ。人の心が、嫌な光を帯びて実体を得たかのようだった。


「君には関係のないことだ!家の事情に、部外者の君が首を突っ込むな!」


 これには、さすがの私もカチンときた。


「最初に他人の事情に首を突っ込んだのは、貴方のほうでしょうっ!」


 ガチャリ、と後ろの扉が開く。心配そうな蘭香の顔も意識のうちには入らない。ただ、ドアの隙間から差し込む光のせいで、取り乱したアルトリアの顔が浮き彫りになったことばかりが頭にあった。


「お姉ちゃんのこと、散々かき回したくせに…!自分だけは触れられたくない、関わらないでって、そんなの、卑怯だわっ!」

「それは…っ!」

「今の貴方が何を言ったところで、それは言い訳よ、アルトリア!」


 あえて、先輩という敬称を外す。それだけ怒っていると気付いてほしかった。


「恰好ばかり取り繕って、言いたいことは何一つ言えない。――貴方は、こうして仮面も外さぬままどこかに行くつもり!?」


 アルトリアの顔が苦虫を噛み潰しでもしたような形に歪む。痛いところを躊躇なく突かれて、色んな感情が巻き起こっていることだろう。


 蘭香に引きずられ、部屋から出されそうになっているところ、寝室から身を乗り出したアルトリアが絞り出すように言った。


「言っただろう…っ!僕は、『その強さ』を持ち得ないと!もう、勘弁してくれ…」


 照明の下に現れたアルトリアの瞳は酷く充血していた。泣いたのか、眠れていないのかは定かではない。ただ少なくとも、彼女は追い詰められているように見えた。


 だが、言及をやめるつもりはない。ここはアルトリアの本心を聞いておきたかった。


「…分かりました」バッと蘭香の腕を払う。「では、私にも考えがあります」

「…考え?」


 はい、とアルトリアに向かって頷く。


「私、もうアーサー役から降りさせて頂きます」




 回想を終え、花月寮のバルコニーまで移動した私は、冬の清冽な空気に身を震わせながら今後のことを考えていた。


 別に、ただのあてつけで役を降りたわけではない。私なりに考えがあってのことだ。だが、周囲の生徒にとってそんなことは関係ないし、知るよしもない。


 私をバッシングする生徒もいた。分かりやすい嫌がらせは誰もしなかったが、陰で無責任でわがままな奴だと愚痴を言われているのを何度か聞いた。


 孤独に耐えるだけの意志が今の私にあったことは、僥倖であったと言えるだろう。ひとえに、過去を越えるという壮大な使命感と、友人たちのおかげだ。


 テーブルの上にノートを広げ、シャーペンを走らせる。少しでも現実味のある計画にするため、アウトプットを繰り返す必要があった。


 そうして、しばらく時間が経っていた。日が沈み、アンティークの電灯が私を照らす時間帯になっても、私は食事も取らずに思惟に耽った。


 アルトリアの、よくできた仮面を引き剥がす。早霧に似ている、と自分のことを評した彼女の心をあるがままに解き放つことこそ、今の私が担うべき役割だと信じていた。


 ありがた迷惑かもしれない、自己満足かもしれない。


 それでも、私の心が強く望んでいた。


 早霧への贖罪の一環であったことは明白だ。だが、私に道を示し、元気づけ、昔のように良き友人と笑い会える自分に還してくれたアルトリアを、心の底から救いたいと願っているのも真実だ。


(救う、だなんて…おこがましいわね、本当)


 自嘲気味の笑みを浮かべていると、バルコニーと廊下を隔てる扉が開いた。


 振り向けば、そこには純風が立っていた。


「玲、風ひくよ」

「…ええ、もう少ししたら夕食を食べて部屋に戻るわ」

「せっかくなら、一緒に食べない?私、お腹空いちゃった」


 純風の優しい嘘に、つい口元が緩む。


 私は、純風の口元を指さして言った。


「口の端、少しだけケチャップが付いているわ。今晩はオムライスなのね」

「あ…うぅ」


 純風が困った顔になったのを見て、私はいくばくかの罪悪感を覚えずにはいられなかった。


「…ごめんなさい、純風。心配をかけているわよね」

「本当だよ、もぅ」彼女は私の隣に腰を下ろした。「梢はなんだか真剣な顔で考え事ばっかりだし、杏ちゃんは『好きにさせとけ』なんて言うし…」

「迷惑をかけているのは重々承知しているわ」

「迷惑だなんて…。ただ、んー…」


 純風は逡巡する様子を見せると、空を仰いだ。


 天空には星々が惜しみなく輝いている。冬は空気が澄んでいるから、どこまでもはっきりと捉えられる気がした。


「もっと、私たちにも事情を話してくれていいんじゃないかなぁ、とは思うよ?梢は何か知ってるんだろうけど、頑なに話さないし。百日紅先輩とか、アルトリア様に聞いても、避けられるか、ごまかされるかだし」


 私はそれを聞いて、梢が義理堅く私の秘密を守ってくれていることを知った。愚痴の一つでも言ったほうが、梢だって気が楽だろうに…。彼女のこういう忠誠心を彷彿とさせる行動は尊敬するばかりである。


 とはいえ…。


「…ごめんなさい、今はまだ、話せないわ」


 もっと、話に具体性が帯びてからしか語ることはできない。今のままでは、私のアルトリアの仮面を引き剥がす計画はあまりに荒唐無稽すぎるからだ。


 純風は、「そっか」と静かに呟くと、無理だけはしないこと、それから、時が来たら必ず話すこと、いつだって力になることを口にした。


 やっぱり、純風はとても頼りになる紳士的な友人だ。そんな彼女を困らせる自分のことを浅ましく思ったが、このワガママだけは突き通さねばとも思った。

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