表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/35

聖杯祭.2

 聖杯祭の準備は着々と進んでいた。


 生徒たちは、十一月の催し物に間に合うように急いでいるというより、日々繰り返される講座のちょっとした退屈さを吹き飛ばしたがっているように見えた。


 事実、日曜日だというのにすでに多くの一年生が寮におらず、学院に向かったようだった。


 私も、部屋から出る準備をしているところだ。聖杯祭の準備といえばそうなのだが、みんなとは少し違う。


 アーサー役としてのまわり方について、アルトリアに習いに行く必要があるのだ。


 アルトリアとの約束は、十二時に図書館の敷地にあるテラスで待ち合わせとなっている。『ランチも一緒にどうかな?』という気障な誘い文句に応じて、お腹は空かせてある。


 誰もいなくなった自室の洗面所、鏡の前でおかしなところがないか確認する。


 おかしなところ、というと自分でも変だが、どこを見たらいいのかは分からない。


 整っているかと聞かれると答えには困るのだが、どうせ気にしたところで、自分の顔は変えられない。どうせ気にするなら髪型だ。これなら、多少のことで変化する。


 しばし、時間を忘れて前髪をいじっていたのだが、アルトリアと会うためだけにこれだけ長い時間、鏡の前で自分の顔を見ていたと思うと急に恥ずかしくなってきて、私はその場を立ち去った。


 以前、アルトリアに譲ってもらった黒のワンピースを着て外に出る。上には学院外の商店街で購入したカーキ色のパーカーを羽織る。


 森を抜けて、学院近くへと出る。それから、敷地を囲う石造りの高い塀に沿って進めば、すぐに巨大な図書館が現れる。


 レンガ風の焦げ茶色の建物は、五階建てで最上部に鐘楼があしらわれている。


 レンガで出来た門を抜けて図書館の敷地に入れば、学院の古めかしいデザインとは本質を異にする大きな自動扉が目に入る。『景観を損ねる』という者もいるらしいが、自分が生きていくのは、あくまで現代社会であることを思い出すにはちょうど良いと私は思っている。


 一週間のうち、半分以上は図書館に足を運ぶ私だが、今日用事があるのは厳密には図書館ではない。その敷地にあるテラスなのだ。


 建物の横を通って、図書館の裏手に出る。すると、敷地を縫うように流れる小川が足元に見えるようになる。小川を遡っていけば、やがて、蓮の浮いた池に辿り着く。そこに、約束のテラスが併設されている。


 普段であれば、水のきらめきとモダン建築を眺められるこの場所は人気のスポットなのだが、今日は利用者もまばらだ。おそらく、学院のほうで作業を進めている生徒たちが多いのだろう。


 さて、待ち人はどこだろうか、と探すも、アルトリアの姿はない。テラスに置かれた日時計を見れば、約束の時間には少し早いことが窺えた。


(…たまには、日頃のお礼も含めて食べ物でも買っておこうかしら)


 何かといえば贈り物をしてくるアルトリアは、自分が施しを受けそうになると極度に遠慮した。嫌がっているというより、それが普通だと言わんばかりの様子だ。


 テラスの店員に声をかけ、サンドイッチと飲み物を注文する。ウェイトレスに促され、奥の席へとつく。


 約束の時間になる一分ほど前、アルトリアは先ほど私が通った道と同じ道を辿ってこちらにやって来た。


「おはよう、玲。すまないね、少し遅れて…」


 彼女は私が返事をするより先に、テーブルの上のサンドイッチとコーヒーを見つけると、怪訝そうな顔で尋ねてきた。


「…なんだい、それは」

「えっと、私と、アルトリア先輩の昼食です。ここのサンドイッチ、お好きだとおっしゃられていましたよね?」

「確かに、そう言ったが…。うぅむ」

「ふふ、言いたいことは分かります。ですが、たまには我慢して私からのプレゼントも受け取って下さい」


 片手を差し出し、着席を促す。そうでもしないと、アルトリアは改めて支払いをしてくると言いかねない。そういう精神的なものにこだわるのが、アルトリアという女だった。


 アルトリアは肩を竦めて椅子に腰を下ろすと、「私に奢られる下級生はいくらでもいるがね、私に奢る人間は蘭香ぐらいで類を見ないよ」と呆れたような、感心したような笑いを漏らした。


「それは光栄です」

「ふふ。そういう物言い、ルームメイトの星欠杏に似てきたのではないかな?」


 急に杏の名前が出たので目を丸くすれば、アルトリアは、「君の交友関係くらい、よく把握しているよ。なんでも、変わり者揃いみたいじゃないか」と自分のことを棚に上げて笑った。


「まぁ、確かに個性的かもしれませんね。ですが、とても良き隣人です」

「『隣人を愛せる』のは素敵なことだ。充足した時間を送っている証明でもあるかな?」

「自分に余裕がないと、他人を気遣えないものですからね」

「そうだな。それが真理だ。――ま、一部例外はいるがね」


 それから私たちは、聖杯祭の話をする前にランチにありついた。


 食事中に出た話題は、おすすめの本の話やら、学院の噂話、島で最も紅葉を楽しめる場所がどこなのか、とか当たり障りのないものだった。


「そういえば、アルトリア先輩は四年生に上がったら、どの学科に進むのですか?」

「え?僕かい?」

「はい。その…進む先によっては、この島からいらっしゃらなくなるでしょう?」


 私の問いかけに、アルトリアは変な表情をした。何か言いづらそうな感じで顔をしかめたから、それでてっきり、私は彼女が本土に戻るような学科を選ぶのだと考えた。


「あの、戻られるのですか?」

「あ、いや…違うよ。違う」

「そうですか」とほっとしながら、再度尋ねる。「では、どちらに?」


 すると、アルトリアはやっぱり苦い顔をして視線を逸らしたのだが、ややあって、珍しく小さな声で歯切れ悪くこう言った。


「服飾科…かな」

「服飾科ですか」

「に、似合わないだろう?冗談だと思って、忘れてくれ…」


 オウム返しにすると、アルトリアはなぜか卑下するみたいに言った。そのため、私はきょとんとしてしまう。


「え?いえ、なるほどと思っていただけです」

「変な気遣いはいいよ」

「気遣いだなんて…色んな服を持ってましたし、それになにより、私が衣装を変えたりするとすぐにコメントされますよね?だから、お好きなのかなと思って」


 私が理由を語ると、アルトリアは途端に驚いた顔をしてから、浅く頷いた。


「自分には似合わない、と思ってしまうから…少し、コンプレックスなんだ。男の子扱いされたり、可愛いものが似合わないのが」


 そういえば、似たようなことを純風も言っていた、と話せば、仲良くやれそうだと彼女は肩を竦めた。


 その後、私が純風もアルトリアも自分がそう思っているだけで、可愛いものがきっと似合うと告げたところ、照れくさがった彼女に無理やり話題を変えられた。


「そう言えば、君の良き隣人の雨見梢だが…――どうにかならないかな、彼女」

「え?」言葉の意味が分からず、小首を傾げる。「どうにか、とは?何か、彼女が失礼をしましたか?」


「失礼というべきかどうかは別だが…。彼女、私の顔を見るとほとんどの場合、険しい顔で睨んでくるんだが」

「嘘、梢が?」

「ああ」

「…どうして?梢は、とても誠実な人なんです。モラルのない人間ではないから…私にとってはとても信じられない話だわ…」


 口に残っていたハムの後味が消えてなくなるくらいにはショッキングな話だったが、対するアルトリアは不思議がることなく、むしろ、「まぁ、なんとなく事情は分かるんだがね」とシニカルに微笑んだ。


 その事情を問いただすも、アルトリアは訳あり顔で微笑むだけだ。話す気がなさそうだったが、私がどうしてもしつこく詰問すれば、観念したふうに両手を上下させた。


「ここからは僕の憶測だから、変に誤解して、彼女と問題を起こさないと約束してくれよ?」

「もちろんです。教えてください」


 指を一本だけ立てて、顎の下に添えるアルトリアはどこか知的に見えた。


「それはね、僕が君と仲良くしているからさ」

「私が、アルトリア先輩と…?」


 しばし、沈黙し熟考する。彼女の言葉を飲み込み、意味を図るために必要な時間だった。


 しかし、どれだけ考えてもその理屈が分からず、私は眉間に皺を寄せる。


「あの、どうしてそんなことが理由になるのですか?」

「何?分からないかい?」

「分かりません。アルトリア先輩と私のことが、梢に関係があるとは思えません」

「…あぁ、そうか、そう…。あのね、玲。絶対に今の台詞を彼女に言うんじゃないぞ。理由は聞くな。僕はこれ以上、恨まれたくはない」




 ランチを終えた私たちは、聖杯祭の話に移っていた。と言っても、その話自体は比較的すぐに終わった。


 聖杯祭では、他の祭のときのような芝居をする必要はない。ちょっとしたルールを守って、各学年がやっている催しに顔を出す、ただそれだけでいいのだ。


 そのルールというのがやはり変わっていて、私が他の生徒と接するときは、敬語や名字呼びではならないというものなのだ。


 王としての威厳を保つため、という理由らしいが、あまりピンとこない。当然、ルールである以上、従うまでではある。伝統的なものなら、誰も逆上してきたりはしないだろう。


 どうやら、聖杯祭は思ったよりも大変ではなさそうだ。知らない人と話すのは不安だが、少なくとも、全校生徒の視線の雨の中、不格好に踊る必要はないわけである。


 打ち合わせを終えると、アルトリアが、「腹ごなしにその辺を歩かないかい?」と提案してきた。


 ここから見える黄色い蓮の花だけでも想像できると思うが、この時期、池の周りはとても過ごしやすいし趣深い。私に断る理由は一切なかった。


 池の中央へと真っ直ぐ伸びた石橋を渡る。柵の上にトンボがとまっているのを見ながら、口を開く。


「あれから、百日紅先輩に怒られることはありませんか?」


 少しいじわるのつもりで言ったのだが、思いのほか、アルトリアの顔は深刻そうに憂いを帯びた。


「あ、ああ…」


 反応が悪い。皮肉の一つでも返してくると思っていた私は、立ち止まったアルトリアを怪訝な表情で見つめた。


 池の水面に私とアルトリアの姿が映る。一対の黒と金の影が、魚が飛び跳ねた際に起きた波でぐちゃぐちゃに揺れた。


 そのまま、無言で歩き始めたアルトリアの背中に声をかける。


「あの、大丈夫ですか?」

「…そうだね。少し、大事な話をさせてくれ」

「大事な話…?」


 それが何なのか問う暇もなく、アルトリアは森のほうへと向かう。寮の周囲にある森とは違い、多種多様な木々が植えられている、いわば、人の鑑賞のために設えられた『自然』だ。


 アルトリアのすらりとした背中が、少しずつ木の影に滲む。芝生を越えて、遊歩道を進み、丘になっているところを上がる。道にはみ出ている草木をかわしながら進めば、やがて、アスファルトで舗装された場所に出た。その先には、小さな東屋と小川があった。


 木の良い香りに包まれながら、私たちはそこに腰を下ろした。人気のない場所だ。誰にも聞かれたくない話をするのだろうと容易に予測できた。


 私は黙ってアルトリアが口火を切るのを待った。だが、彼女はいつまで待っても俯いているだけで、何も言葉にしない。


「アルトリア先輩…話せますか?」

「え?」と驚いたふうに顔を上げるアルトリア。「あ、あぁ、すまない…。僕が連れて来たのに…」


 そうして、彼女は口元を歪めた。それが不格好な作り笑いだと気付いたとき、なぜだか、胸が苦しくなった。


(私の前でまで、そんなもの、被らなくてもいいのに…)


 道化を演じている。それは、アルトリアが言ったことだ。


 そんな薄気味悪い、仮面のような笑み。私は好きではない。


「どうぞ」と促しても、アルトリアは動かない。言い出しづらそうに組んだ指先を動かすだけだ。


「…珍しいですね、そんなふうに迷われるなんて。私相手に、気を遣わなくてもいいんですよ?」


 アルトリアはそれを聞いて、ハッとした様子で目を見開いたが、ややあって、薄く笑うと、「…ふ、迷ってばかりさ、僕なんて」と自嘲した。


 結局、イメージを押し付けた形にはなったが、それで何か気持ちが固まったのだろう。彼女は体を斜めに向けて、私の目を真っすぐ見つめた。


「単刀直入に言おう。君のお姉さんについて、聞かせてほしいんだ」


 初めは何を言われているか分からなかった。ただ、青くきらきら輝くサファイアの瞳が、あまりに綺麗だと…そんなことばかり考えていた。


「困惑するのも分かる。でも、その、興味本位で聞いているわけじゃないんだ。真面目に、聞いている」


 アルトリアのたおやかな指が私の手に触れたことで、ハッと我に返る。


「――…君のお姉さんがどんな人だったのか、教えてはくれないだろうか?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ