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幕間 重なる影

 夏が終わるのは、にわか雨のようにいつも唐突だ。その後に得られるものが大きな虹のような秋ならば、去りゆく夏も報われるだろう。


 九月初週、夏休みが終わって最初の登校は、浮足立つ喧騒の中にあった。


 ずっと寮で会っていたメンバーもいるわけだが、多くの生徒が長期休暇は実家に帰っている。そのため、久しぶりに顔を合わせる級友には募る話もあったのだ。


 十一月の聖杯祭のことを考えてか、玲も『アーサー役』として適切な振る舞いを心がけているようだ。とはいえ、アルトリアのように掴みどころのない、遊び人のような態度ではない。


 玲は常に品のある振る舞いを意識するようになっていた。声の大きさや歩き方だけではない、応対の仕方、人前に立っているときの佇まいなど、可能な限り多くを学ぼうとしているようだった。


 学びを求める相手はそれぞれで、杏や純風、私に声をかけることもあるが、一番多いのは薊だ。


 誰よりも薊を恐れていたはずの玲も、今では数少ない薊の話し相手だ。面白くない気もしたが、彼女がそれを望むなら、口を出す権利は私にはない。


 九月になって変化したことが、他にもある。


 オース(誓い)を交わしているクラスメイトがいくらか増えたことだ。


 オースの気配を感じるものは随所にあった。


 剣と百合の花が象られたアヴァロン学院の校章。これの剣か百合か、片方を失い、片方を余分に得ている者の姿が増えていた。それから、やたらと距離感の近い生徒たちもよく見かける。誰と誰がオースを交わした、と噂話で聞くこともあった。


 特別なペアがいることが、何か幸せの証のようなクラスの雰囲気に、私は違和感を覚えずにはいられなかった。


 穿った物の見方かもしれないが、少女たちの多くが、関係の深さを再確認することよりも、『オースを交わす』こと自体に目的を置いているような気がしたからだ。


 ペアのいない悲しい人間の嫉妬だろうか?いや、形ばかりの誓いなど、私はいらない。


 オースを交わすのであれば、誰にも知られずとも誇りにできるものを交わしたい。そして、それは、できる限り心の清らかな人とが良い。


 そう、例えば…。


「ん?どうしたのかしら、梢」

「え!?」


 ぼうっと盗み見ていたのが、いつの間にかバレていたらしい。玲はくすぐったそうにはにかむと、「私の顔、そんなに面白い?」と言った。


 余裕のある表情に、もしかして、心の声が漏れていたかと心配になったが、当然ながら、そういうわけではなさそうだった。


「あ、いやいや。気にしないで、ぼうっとしてただけだから…」

「うぅん…。梢がぼうっとしているときは、注意しなさいって杏に言われちゃったものね…どうしようかしら」

「ちょ、もうその手の話は勘弁して。忘れてよ…」

「ふふ、冗談よ」


 玲はそう言って微笑むと、担任の涼香に呼び出しを受けているからと言って、教室から出て行った。


 彼女の後ろ姿をじっと見守るクラスメイトが何人かいるものの、玲はまるで気づきはしない。それが嬉しくもあり、そして、むず痒くもあった。


 私はいつものメンバーと帰路についた。つまり、杏と純風の間に挟まれて歩く、代わり映えしない風景をお供にしていることになる。


 しかし、学院から出る直前、私は課題を提出し忘れていることを思い出した。


「あ…ごめん、二人とも、先に行ってて。日本文学の課題出し忘れてた」

「待ってようか?」

「いやいや、いいよ。杏と一緒に帰ってて」


 杏は梢と顔を見合わせると、「食事当番だからね、さっさと帰ってきてよ」と言い残して去っていった。


 学院の昇降口から真っ直ぐ教室へと向かうより、聖剣広場を通ったほうが近道だ。私は足早にそちらへと向かった。


 規則正しく並んだツツジの間を抜け、聖剣広場へと出る。夏場は美しい噴水が稼働し、涼みにくる生徒も多いが、今は誰もいないようだった。


(ん、あれ…?もしかして、あの人…)


 誰もいないと思っていた広場に、人影が二つあった。水しぶきで濡れることを恐れず、噴水に腰かけているのは…。


(アルトリア先輩と、百日紅先輩だ)


 シニカルに口元を歪めるアルトリアと、腰に手を当てて何やら叱りつけている蘭香。この二人が並んでいると絵になる。


 盗み聞きしたかったわけではないが、私は自然と息を殺してゆっくり近寄っていた。


「だから言ったのよ、資料室の清掃なんて貴方が請け負うべきじゃないって。あれほど!口を酸っぱくして!」

「分かった、分かったよ。そう大きな声を出さないでくれ。…もういいじゃないか、蘭香のおかげで夏休みの間には終わったのだから」

「どの口が…」


 蘭香はまだ毒づきたかったようだが、そのうちため息を吐いて諦めると、急にしんみりした顔になって城のような学院を見つめた。


「頼まれたら断れないのは、アルトリアの悪い癖よ」

「分かっているよ」

「人の期待に答えようとするのはとてもよいことだと思うわ。でも、無理をしたり、自分を押し殺そうとしたりするなら、それはもう『善いこと』じゃなくなるわ」


 今度は、アルトリアは何も反応しなかった。でも、聞いていないわけじゃないはずだ。


「例の件、本当に受けるの?それは、絶対に貴方がしなくてはならないこと?」

「…ああ。どう考えても、『僕』にしかできないことだろう」

「いいえ、違うわ。そう感じるだけで、実際は貴方でなくともできることよ」

「…勘弁してくれよ、蘭香。家の問題を僕にどうしろって言うんだ…」


 かなり真剣な話のようだから、聞いてしまうのは憚られる。早々に去ったほうがいいだろう。


 そう考えた私は、速やかに聖剣広場を抜けようとした。しかし、蘭香の口から紡がれた言葉が聞こえた瞬間、無意識に立ち止まってしまった。


「無理を抱えた人間の行く末なんて、哀れなものよ」


 一瞬で、蘭香の空気がぴりついた。


 さすがにアルトリアも怪訝に思ったのか、顔を上げた。


「どうした、君らしくもない言い方だな」


 蘭香自身も理解していたのだろう、彼女は言いづらそうに俯いていた。しかし、ややあって顔を上げると、アルトリアを真っ直ぐ視線で貫いた。


「貴方が気に入っている、湖月さんの話、私も学院長に伺ったわ」


 はっ、とアルトリアは目を見張った。それから、一気に顔を赤くして、「おい、冗談だろ、お祖母様は君にまで話したのか」と苛立ち混じりに言った。


「いいえ、学院長室に用事があって行ったとき、たまたま先生同士で話しているのを聞いただけよ」


 どうしてそこで玲の名前が出るのだろう。しかも、『湖月さんの話』というのが、どこか不穏な気配をまとっているように感じられるのはどうしてなのだろうか。


 学院内へと続く扉のそばに身を潜め、私は話の続きを待った。盗み聞きしている自覚が今度こそあった。


 アルトリアは開き直ったような蘭香の態度に眉をひそめると、大儀そうな様子で片手を振り、「もういい、その話はしない。他言しないと玲と約束したんだ」と体を横に向けた。


 言葉どおり、もう話すことはないと言わんばかりの態度だったが、蘭香はそんなアルトリアをまるで意にも介さず言葉を重ねた。


「アルトリアらしくもないくらい、湖月さんにご執心だと思ったら…そういうことだったのね」

「くどい。僕は喋らないぞ」


 ふっ、と蘭香が口元を綻ばせた。決して慈愛によるものではない。何か、傷ついたものに触れないようにしているみたいな笑みだった。


「頑張りすぎる自分と重ねてしまったのね。――湖月さんの、自殺したお姉さんを」

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