聖剣祭.2
『王』が現れたんだ。抜いた剣を台座に戻すような喜劇じみた真似はいらない。
剣が、あまりに呆気なく台座から抜けてしまい、私は目を丸くしてその切っ先を仰ぎ見ていた。
きらりと光る、本物と見紛うほどに質の高い剣。
ふらり、と一歩、二歩と後退する。剣を抜いた反動で尻もちつきそうになるのをどうにかこらえ、唖然と剣を見つめ続けた。
(この剣、ぬ、抜けないはずじゃ…)
すると、呆然としていた私に向けて、例の教師が大声を発して近づいてきた。
「あ、貴方!何をやっているの!?」
「え、あ…」
ふと我に帰ると、周囲は酷く騒然としていた。
誰も彼もが私を見ていた。私が剣を抜いてしまったことに驚きを隠せない態度や、咎める様子を示していた。
「『アーサー』役でもないのに、王の剣を抜いてしまうなんて、こんなこと…!」
それを聞いた私は、頭の中で自然と情報が整理されていくのを感じた。
アヴァロン学院、アーサー王の絵画、聖剣祭、そして、この石の台座に刺さった剣のオブジェ。
(そうか…王を示す剣…。たしか、アーサー王伝説で、そんなシーンがあったはずだわ)
――剣を抜いた者が、真の王たる資格を持つとされる…。
そんなふうに言われている剣を、アーサーが引き抜いたことから『王』の物語は始まる。
だとしたら、私に求められていた役割は…。
私はその結論に至った瞬間、自らの頭の回転の鈍さを呪った。同時に、自分のやってしまったことの大きさを思い知らされた。
「あ、あの…」
喉がカラカラに乾いて、続く言葉が出ない。
向けられる無数の視線と、苦言に、頭がどうにかなりそうだと膝が震え始めたそのとき、唐突に人垣の向こうから凛とした声が轟いた。
「どうしたんだい、みんな。そんな険しい顔を並べて」
人垣が自然と二つに割れる。その間を堂々たる佇まいで歩いて来るのは、とても身長の高いブロンドの髪を持つ女性だった。
彼女はぴたり、と私の真正面、数メートル先の辺りで立ち止まると、じっとこちらを見つめ、それから、ふっと頬を綻ばせて続けた。
「王以外は誰も抜けないと謳われた聖剣が抜かれたんだ。狂喜乱舞して見せるか、拍手でも贈るところじゃないのかい?」
同じ白いセーラーワンピースに身を包んでいるところから、きっと同じ生徒なのだろうが…、彼女の立ち居振る舞いは普通ではなかった。
ゆうに170cmは越えるだろう身の丈。
美しい月がまとう、円環の如き金色のポニーテール。
やたらと長い手足、針金でも通っているみたいにピンと伸びた背筋、そして、紺碧を宿す瞳。
その姿は、流暢な日本語が不可解に思えるほどに、日本人の思い描く典型的な欧米人のものであった。
外国人に知り合いなんていない。それなのに、彼女の堂々たる姿に、私は強烈な既視感を覚えていた。
(この人、誰かに似ている…)
彼女の登場に、ざわめきは音を消した。代わりに、その静けさをぶち破るようにして誰かがまた人垣の中から現れる。
「何を悠長なことをおっしゃっているの、アルトリア様!あの聖剣のオブジェは、本来、貴方がお抜きになるはずだったものじゃありませんか」
アルトリア、と呼ばれた女性は、現れた女生徒に苦笑して見せると、困ったふうな口調でこう返した。
「おい…そう怖い顔をしないでくれ、薊。場を丸く収めようとしているんじゃないか」
「丸く?」今度は、薊と呼ばれた少女が口元を歪めた。ただし、彼女のほうは随分と物々しい感じの笑みだ。
「この状況、どうやっても丸くなど収まりません。その呆けた娘に、抜かれた剣を戻してでももらいますか?馬鹿馬鹿しい…」
「なるほど、もう一度台座に戻してもらう、か。面白いジョークだね」
薊の攻撃的な語調に対し、アルトリアの口調は飄々としていて余裕がある様子だった。それが気に入らなかったのか、薊はますます目つきを険しくして、アルトリアの冗談に牙を剥いた。
「笑いごとではないのですよ。アルトリア様」
「ん…あぁ、いや、すまない…口が滑った」
じろりと睨みつけてくる薊の視線を、顔を背けてかわしたアルトリアは、さて、と仕切り直してから再び私と向かい合った。
「アーサーが抜くはずだった聖剣を、君が先に抜いてしまった。だとすれば、君は何者なのかな?」
朗らかで優しげな口調だった。私の怯えて真っ青になった内心を慮るような。
その声のおかげで、いくらか私の心中は穏やかになった。とはいえ、気休め程度のものだ。未だに無数の視線は突き刺さっている。
「あ、あの…私、今日からここにお邪魔することになっていて、その、『コレ』を抜いてはいけなかったというのを知らなかったんです…」
どうにか紡ぎ出した音を繋ぎ合わせて言葉を作る。緊張で馬鹿みたいに喉が乾いていたし、指先だって震えていたが、事情を説明しないことには状況は良くならないだろう、となけなしの勇気を振り絞った。
しかし…。
「『知らなかった』では済まされないことですのよ」
ぴしゃり、と薊に叱りつけられる。
この気の強さ、遠慮のなさ…。間違いない、私が心底苦手なタイプだ。
心が竦んで言葉が紡げなくなったところを、薊は畳みかけるように続けた。
「確かに見ない顔ですが…貴方、名前は何というの」
私が、『名前…』と頭の中で反芻していると、「全く、名前ぐらい、早く名乗りなさいな」と薊に急かされてしまった。そのため、慌てて名前を名乗った。
「こ、湖月玲…です」
「ふぅん、そう」
まるで興味がなさそうだった。
「湖月さん、この聖剣祭において、『剣の儀』はとても大事なものですわ。剣を抜いた者は今後の催事においても大事な役割を全うする必要もありますし…そもそも、円卓の会に選ばれた方以外が剣を抜くことはご法度ですの」
「…すみません」
知らない単語がいくつも出てきたが、一先ず謝罪する。だが、薊はそんな謝罪では納得できないようだった。
「すみません、ではなくて…。どう責任を取られるおつもりですの?湖月さんとやら」
腕を組み、ウェーブのかかった髪を払って見せた薊からは、とてつもない圧迫感が放たれていた。目元の黒子も薊の強気さを際立たせるようだった。
誰もが薊の言葉に圧され、押し黙っているような感じがした。私を連れて来た教師だけが、わたわたと舞台に上がるか、上がるまいかを悩んでいる様子だ。
(どう、と言われても…)
やがて、教師らしき一団のほうに動きがあった。高齢の女性が、人垣をかき分けて前に進み出たのだ。
しかし、老人が何かを告げよと口を開きかけた刹那、それを打ち消すみたいにしてアルトリアが声を発した。
「一先ず、『剣の儀』を終えよう」どこまでも響く、凛とした声だ。天すら駆け上がり、雲を射抜くようだ。「抜きっぱなしでは、剣もかわいそうだ」
「どのようにしてですか?まさか、本気で剣を台座に戻すおつもりではありませんわよね?」
「まさか。そんなことをしたら、薊や学院長が怒るだろう」
「当たり前です。これは由緒正しき習わしなのですから、正当な理由なく、半端なことは認められません。せめて、『剣の儀』を初めからやり直して――」
「いや、その必要はない」
アルトリアは、薊の強い語調にも今度は顔を逸らさなかった。
真っ直ぐ、アルトリアが私の元へと近寄ってくる。
距離が縮まれば縮まるほど、アルトリアという女性の毅然とした姿、神々しい雰囲気、整った顔立ちが明らかになった。
この世のものとは思えないほど、アルトリアは澄んだ存在感を放っていた。
静かだった。少なくとも、この瞬間だけは。
「『王』が現れたんだ。抜いた剣を台座に戻すような喜劇じみた真似はいらない。そうだろう?」
薊は、アルトリアの言葉を聞いて絶句していた。いや、薊だけではない。周囲の大人や生徒たちも同様だった。例外は前に歩み出ていた老女だけだ。
アルトリアの綺麗な眼差しに、嫌な予感がした。
彼女が妙なことを口走る前に、先手を打ってしまおう。
「こ、これ、お返しします」私は、抜いたレプリカの剣を真っ直ぐアルトリアの胸元へと突き返した。「元々貴方が抜く予定だったものなら、これでいいのではないでしょうか」
ざわ、と周囲がどよめいた。
また間違えてしまったかもしれない、と胸が痛む中、アルトリアは私のなけなしの勇気などまるで聞こえなかったと言わんばかりに笑った。
「悪いが、それでは僕が怒られてしまう。せめて今だけでも、『剣の儀』を無事終えるために協力してもらう。いいかい?」
「そんな、私、どうしたらいいか…」
「大丈夫、心配いらないさ」
すっ、とアルトリアが私の背後にまわった。それから、たおやかな指先を自然な動作で私の手に絡める。
「あ…」
金木犀の甘い匂いがした。『僕』なんて一人称だが、どう考えても、疑いようもないほど女の匂いだ。
「僕が手を添える。君は、それに応じて動いてくれればいい」
何の躊躇もなく耳元に寄せられた唇が、囁くように言葉を紡ぐ。脳髄がショートしそうな甘い響きに、思わず喉が鳴った。
そのまま、アルトリアは老人に対して、「構いませんよね、学院長」と告げた。なるほど、堂々としていると思ったら、相応の責任者だったらしい。
学院長はしばし私の顔を見つめて逡巡しているようだった。伝統ある儀礼行為を、こんな小娘に任せていいのか悩んでいるのだろう。
やがて、学院長が首を縦に振って承諾してみせた。最高責任者の許可が出てしまえば、もはや誰も口
出しできないようで、薊も苦虫を噛み潰した顔つきで押し黙った。
肝心の私の承諾を得ていないが、そんなもの別に必要もないらしい。どうにもならない大きな流れに飲まれるみたいに、私はアルトリアの指示に従わざるを得なくなった。
アルトリアと密着している背中には、彼女の女性らしい体つきが生々しく感じられ、胸がドギマギした。集中砲火される視線の最中、そんなことを考えられる自分が、どこか自分じゃないみたいだ。
ゆっくりと私の両手が操られ、剣のレプリカはその切っ先を蒼天に向けた。
(み、みんなが…私たちを見ている…)
私の指先の震えが伝わり、カタカタと剣が音を鳴る。
――どうしてお前が。
そんなふうに言われているような気がして…。
その緊張を読み取ったアルトリアが、後ろから静かに、私にしか聞こえない声で励ましの言葉を送ってくる。
「大丈夫、堂々としていればいい。君のスタイルなら見栄えも良いから」
「堂々となんて、できません…」
「そんなことはないさ。ほら、同じ一年生のみんなを見てごらん」
アルトリアに促され、同学年らしい一団に目を向ける。
誰もが私たちを見ていた。
ある者は熱心に、ある者は妬ましそうに、そしてある者は――心奪われるように。
白で統一された、ある種、異常な集団。少女たちに宿る未熟で妄信的な憧れが、私の体を突き上げるようにして捉えていた。
「今は、君が『王』だ。背筋を伸ばして、自信を持って剣を握れ」
緩やかに離れていくアルトリアの指先、そして、体の感触。最後に彼女がぐっと押し上げた背骨が、妙な熱を帯びていた。
理由も分からぬまま、私はアルトリアの残した残り火に酔いしれていたいと考えていた。そんなこと、どうやってすればいいかも分からないのに。
そのまま、彼女の指示に従い、剣の切っ先を下ろす。
「そう、そのまま…切っ先で地面を打てば、役目は終わりだ」
カツン、と剣が石畳を打った高い音が広場中に響き渡る。
空は雲ひとつない快晴だった。五月の行楽日和そのものである。
言葉にし難い昂揚感と慣れ親しんだ緊張感に、全身から汗が吹き出る。
すると、水を打ったような静寂の中、パチパチパチ…と拍手の音が鳴り出した。
音のするほうを無意識に見たところ、そこには、アルトリアが学院長と呼んでいた老人が立っており、私のことをじっと見据えたまま、微笑みと共に拍手を送ってくれていた。
続けて、アルトリアが手を鳴らす。「上出来だ」とやけに嬉しそうなのが不思議に映った。
それから拍手の波はうねり、広がり、その場にいた人々へと伝搬していく。一部、手を叩いてみせない者たちもいたが、私は万雷の拍手に内心でヒヤヒヤしながら頭を下げた。
(とんでもないことに、なってしまったわ)
こんなはずではなかった、と後悔に苛まれて肩を丸めた私を、学院長と、先ほど私を連れてきた教師が呼び寄せる。
私が、平謝りする女教師の声をぼうっと聞きながら、導かれるがまま学院へと足を踏み入れようとしていると、唐突に、アルトリアが行く手を遮った。
彼女は夢見心地のようなこちらの顔を見て薄く笑うと、「久しぶりに刺激的だった。それじゃあ、またね、玲」と親しげに私の名前を呼ぶのだった。
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