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約束の場所、アヴァロン学院~剣と百合の校章~  作者: null
五章 夏の思い出
18/35

夏の思い出.1

 八月の熱気は、絶海の孤島に建てられたこのアヴァロン学院にも例外なく、夏の風に乗って訪れていた。


 本土のコンクリートジャングルで感じていた暑さに比べれば、森に囲まれ、標高の高い場所に位置する花月寮は比較的涼しい。


 自然溢れるこの島で送る、初めての夏休みに浮足立つ者は多かったものの、半月も経てば思ったよりもすることがないからと、冷房の効いた寮から出なくなる生徒ばかりになった。


 本来、インドア派の私は外が涼しかろうが暑かろうが関係なく、好き好んで外出することはない。だが、そうも言っていられない状況だってある。


 ルームメイトたちが、こぞって海に行きたいと言い出したのだ。


 私は本から顔を上げて、三人の顔を見やった。


「えっと…学院のプールがあると思うのだけれど、そっちじゃ駄目なの?」


 この灼熱の中、わざわざ学院を出て海岸に行こうなど、私には理解できなかった。


 そのため、怪訝な顔で尋ねたのだが、なんだか、とてもかわいそうなものを扱うような目で見られてしまった。


「え…いや、そういう問題じゃないでしょ」と杏が白けた顔で答える。

「…深さの問題?」


 小首を傾げて見せれば、ぷっ、と三人に笑われた。


「玲、私たちは『泳ぎたい』んじゃなくて、『海』に行きたいんだよ」

「ど、どうしてなの?この暑い時期に」

「この暑い時期だからだよ?ほら、青春の一ページ」

「あぁ、なるほど…」


 ようやく合点がいった。確かに、夏に海を訪れるのは人生謳歌のテンプレートとして想像されることが多い気がする。


 正直、私自身はそんなものに興味はない。だが、愛すべきルームメイトたちが望むのであれば話は別だ。


「分かったわ、梢。私も行くわ」ぱたん、と本を閉じて頷く。


 未だにほんのちょっぴり恥ずかしい、名前呼び。みんなが――特に梢と杏が強く希望したため、一か月ほど前の湖畔祭の日以来、三人のことは名前で呼ぶようにしている。


 また、話し方もいい加減に堅苦しいということで、フランクに変えた。時間はかかったが、今はこっちのほうが落ちつくようになった。


「当たり前よ、あんたに『来ない』という選択肢はそもそも存在しないの。ほら、行くわよ」

「まぁ、随分な物言いだわ。杏らしいと言えば、杏らしいけれど」

「はいはい、うっさいわよ。先に出てるわ」


 だいぶ黒味を帯びてきた、杏の髪。あまり切っていないため、長くなってきている。


 そして、宣言どおりに扉から廊下へと出た杏を純風が追った。彼女は扉の前で一度立ち止まると、「星欠さんと待ってるね」とこちらを振り返った。


 結果的に、純風だけが杏のことを『星欠さん』と呼んでいることになった。杏、と呼ぶのなら構わない、とお許しは出たようだが、それは少し違うかな、と純風はやんわりと断っていた。


 何が違うのか、理解はできなかった。ただ、純風にとってはとても大事なラインなのだろうことは想像できた。


 杏が明鈴に突っかかった出来事の発端は、純風と杏の不和に原因があったのだ、と梢がこっそりと教えてくれた。


 それで周囲に当たり散らすなど言語道断、としっかり者のルームメイトが二人を諭し、仲直りするよう命じたそうだが…。


 二人は、ほんの少しだけでも歩み寄ることができたのだろうか?


 見ているだけでは、まるで分からない。ただ、あの日、杏が伸ばした指先が純風に届いたことを思えば、決して後退はしていないだろう。




 長い坂を下り、商店街を通る。店先に置かれた商品は、初めてここを通ったときと比べて、夏色に染まりつつある。


「帰りに花火でも買って帰ろうか」と梢が笑う。

「花火ぃ?子どもじゃあるまいし」

「あー。杏なんて、どこからどう見ても子どもじゃん」

「あ?どこ見てんのよ、変態」

「ふっ、杏に『見るだけ』のものはないでしょ」

「ちっ…」


 そのやり取り自体が子どものケンカのようだったが、それは言わないでおいた。


 なんだかんだ楽しそうに見えたというのもあるが、首を突っ込めば私にまで火の粉が降りかかることは容易く想像できたからだ。


(…それにしても、花火かぁ)


 最後にしたのはいつだったろうか?確か、祖父母を含めた家族全員、六人でやったのが最後だから…もう、五年近く前だろうか。


 暑さも忘れて優しい郷愁に浸っていると、いつの間にか、海沿いに出ていた。アルトリアと共に辿った道とは正反対を進んでいる。


 海の蒼は、一気に私を現実に引き戻す。


 反射された太陽光の眩しさに両目を覆って立ち止まっていると、それを訝しんだ純風が私の手を引いた。


「どうしたの、行こう?玲」

「え――…」


 私の目を焼き尽くすと思っていた眩しい太陽光は、ただ、海の蒼を色鮮やかに映しただけだった。


「…ええ、ごめんなさい」

「ん?ふふ、変な玲」


 純風の暖かい手。夏の暑さとは違う、心の芯をほぐす温みだ。


 テトラポットの葬列を横目に、私たちは砂浜へと続く階段を降りる。未だに下らないことで言い合いを続けている杏と梢に、自らへの異物感を募らせる。


「大丈夫?玲」無言の私を気遣ってか、純風が下の段でこちらを見上げて立ち止まった。「体調悪い?少し日陰で休もっか?」


 せっかく純風が心配してくれているというのに、私の視線は純風の瑞々しい、白い首筋に吸い寄せられていた。


 今日の彼女は、白のブラウスに紺のジーパンといった出で立ちだった。


 可愛いものが趣味だというのに、随分とシンプルだ。自分が身にまとうものに趣味嗜好が表れるわけではないということだろうか?


 何も答えない私を不思議がって、純風が首を傾ける。私はそれで我に返ると、「大丈夫よ。心配かけてごめんなさい」と純風の隣に並んだ。


 石段はそう広くはない。まあまあくっつかなければ危なげな幅だ。


「そう?――手、つなごうか?」

「えっ?…もう、そんなに子どもに見えるかしら、私」

「あはは、ごめん、ごめん」


 肩を並べて見れば、改めて純風の身長の高さが分かる。私だって、160cm後半はあるので女生徒の中ではかなり高い。それにも関わらず、純風は少し上の目線だ。もしかすると、170cmを越えるのかもしれない。


 純風は、私がじっと自分を見ていたことで何か誤解してしまったらしく、少しだけ自信なさげに目を逸らすと、ぼそぼそと声を発した。


「あ、せ、狭いよね。ごめんね?体、でかくて」


 語弊がある言い回しだ。


 純風は運動神経が抜きん出て優れており、その能力に相応しい、肉食獣の如きしなやかな体つきをしている。


 確かに肩幅は私たちの誰よりも広いが、無駄がなく、美しい獣を連想させるスリムさも持ち合わせているから、石段を共に降りるにあたって、一切の支障はない。


「何を言っているの?純風。そんなことないわ。貴方の身長が高くて、私が何に困ると思うの?」

「…うぅ、そうだよね。ごめん」

「えっと…私が言えたことではないけれど、変に邪推することはないと思うわ。気になることがあれば、尋ねてもらえればきちんと答えるから」

「れ、玲…!」

「きゃっ」ぎゅっ、と突然純風に手を握られ、変な声が出る。

「あぁ、同じように身長が高いにしても、玲みたいに可愛い女の子に生まれたかったなぁ…」

「す、純風も十分に可愛いと思うけど」

「全然、足りないよぅ」


 眉をへの字に曲げて肩を落とす純風。彼女のこうした態度は、やはり、十分に可愛らしいと思うが…。


「手だって、こんなに柔らかくて、ふにふに。あぁ…どうしてこう、神様って不平等なんだろ」


 純風が全く下を向かずに降りていくものだから、気が気ではなかったが、彼女はバランスを崩しかけることもなく砂浜に辿り着いた。


 運動神経が抜群だと、こういうことも自然とできるのかと不思議に思いながら、いつまでも私の手を揉んでいる純風を横目で観察する。


「だ、誰でもこうではないの?」

「…はぁ、違うよぉ」


 そう言うと、純風は自分の手を私に触らせるように動かした。


「あ…」

「ね、全然違うでしょ」


 純風の言う通りだ。彼女の指先は固く、関節部や自然と骨張っている部分はとても硬い。ありえないことだが、何か硬いものを殴り続けていたみたいだった。心なし、手そのものが大きくも感じられる。


「うぅ、ショックだなぁ…」


 私がかける言葉もなく、曖昧な苦笑を浮かべていると、純風が体を少し傾けて下からこちらを覗き、前の二人が自分たちのやり取りなど気にも留めていないのを確認して口を開いた。


「二人には内緒にしておいてほしいんだけどね?玲。私って、実家が古武術家なの」


 古武術、と頭の中で言葉を噛み砕く。


「それって、ずっと昔の時代からある、武術の流派みたいなものよね?」

「うん、そうなの」

「なるほど、純風の家は、由緒正しきお家なのね。すごいわ」

「すごくなんてないよ」


 純風にしては珍しく、相当辟易とした様子で愚痴っぽく声を漏らした。


「しきたりとか、生活習慣とか、色んなものが時代錯誤もいいところの古臭い家なんて、うんざりするばっかり。おかげで、小さい頃から稽古三昧。まぁ、物心がついて、普通の家じゃないんだって気づいてからは、稽古なんてやめちゃって、女の子らしい趣味に没頭し始めたんだけどね」

「そ、そう…。お家の事情で大変だったのね」

「そうだよぅ」


 だが…稽古などやめた、というのは嘘じゃないかと私は勝手に思っていた。


 純風が朝起きて、暁に正座してみせることも稽古の一貫だろうし、そもそも、やめたにしては体つきが引き締まりすぎている気がする。


(…まぁ、重箱の隅をつつく必要はないわね)


 ゆっくりと砂浜を歩きつつ、純風の話に耳を傾ける。せっかく、自分の話をしてくれているのだから、一生懸命に聞きたいと思った。


「あんな女の子らしさの欠片もないようなことを、自分の娘にさせるなんて、本当、どうかしてるよ」


 おかげで、中学生の頃は嫌な思いをすることも多かったらしい。なまじ、男子生徒よりも身長が高く、腕っぷしが立った彼女は、頼りにされることはあれど、胸襟を開いて話せる仲間には恵まれなかったとのことだ。


「私ね、この学院には、少しでも『女の子らしく』なるために来たんだ。不純な動機でしょ?『アーサー王物語』なんて知らなかったし。ふふ」


 いたずらっぽく笑う彼女は、やはり愛らしく映る。私の目にこんなにもはっきり見えているものが、純風自身にはまるで見えていないことが不思議でたまらなかった。


 いや、それが当然なのか。


 人は、目に見えるものしか見えない。そして、自分の姿は自分では見えないのだ。それこそ、鏡でもない限り。


「話してくれて、ありがとう、純風」精一杯の感謝を込めて、その信頼に答えたいと思った。「純風が私のことを信じてくれているみたいで、とっても嬉しいわ」


 自分の気持ちを素直に口にする。アルトリアのおかげで、少しだけできるようになったことだ。


 純風は一瞬だけ目を丸くしたかと思うと、途端に大人びた顔つきになって、水面に落ちる水滴のように、澄んだ、穏やかな声で言った。


「信じてくれてるみたい、じゃなくて、信じてるんだよ?玲」


 きゅっ、と握られた手に力が入った。とはいえ、彼女を体現したような優しい強さだ。


「玲は、自分のことをいつもからかってくる相手を庇えるような人だから…。絶対、馬鹿にしたりしないって思ったんだ。えへへ…」


 親愛が滲む、素敵な笑顔だ。海岸を照りつける暑さすらも忘れさせる爽やかさに、思わず、私も心の底からの笑顔を浮かべた。


「やっぱり、純風は可愛いわ。きっと、私なんかより」

「むぅ、それはお世辞だって、私でも分かるよぉ」

「ううん、本当よ」


 きちんとこの気持ちが伝わるように、足を止める。


 砂を撫でる優しい海風が、純風と私の髪を揺らす。純風の髪を下のほうでまとめているリングが、銀光を帯びて眩しかった。


「純朴で、嘘偽りがなく、優しい。…そんな心を持つ貴方を、可愛いと呼ばずに何と呼ぶの?ふふ」




「何?あの雰囲気」気づいたら隣から消えていた杏が、少し後ろのほうでそう言った。「怪しすぎるんだけど」


 また何か言っている、と話半分で聞きながら振り返って目の当たりにした光景に、私はぎょっとして、口が半開きになった。


「ぬぁっ…!?」


 手をつなぎ、互いに見つめ合った状態で立ち止まっている玲と純風。はにかみ合っている二人の間に流れている雰囲気には、どこか気恥ずかしいものがある。


 直視することが憚られる、青春の輝きだ。


「死にかけのカエルみたいな声出さないでよ、気持ち悪い」


 杏の毒舌も聞こえないほどに、衝撃的な光景だった。


 湖畔祭で一皮剥けた玲は、段々と年相応の口調や仕草でやり取りすることが増えていた。とはいうものの、根本が私たちとは違うのだろう、やはり、彼女は幼い少女の群れで生きるにはあまりに浮世離れしていた。


 落ち着いた話し方、品のある照れ方、褒め方…。御伽噺に出てきた儚いお姫様そのものの立ち居振る舞いを部屋の外でも隠さなくなった玲は、あっという間に注目の的になった。


 玲は、『湖畔祭のせいで、変に注目を浴びている』と解釈してため息を吐いていたが、本当はそうではないことぐらい、私たちは分かっていた。


 ひとえに、彼女が本来持つ輝き、求心力の力だ。


『王』の台頭を感じさせる何かには、薊だって態度を変えていた。


 攻撃的な姿勢は鳴りを潜めたし、一言、二言、玲と世間話をしている姿も見られるようになった。


 薊は同年代の生徒と自ら関わりを持つ人間ではない。一匹狼に近いタイプだ。そのため、薊が関心を持っているということ自体が大きな意味を他の少女たちにも与えている。


 それにしても、少し面白くない。


 玲は杏や純風とはスキンシップを取っている姿がよく見られるが、私とだけは未だに希薄だ。


 たまにこちらから触れることはあるが、その度に目を丸くして飛び退かれることがある。


 そんなに驚く?と問いかければ、彼女は曖昧に笑って一歩下がるだけだ。


「やっぱり…杏が変なこと吹き込んだからだよ、そうに決まってる」

「あ?何をぶつぶつ言ってるの」

「…別に」

「いいから、さっさと止めておいでよ、梢」

「うん」


 そうだ。止めなければ。


 そんなふうに考え、勢い勇んで砂浜に足跡を刻んだ瞬間、はたと疑問が浮かんだ。


「…で、なんて言って止めるの?」


 というか、なぜ止めるのだろう?


「それは、ほら…」


 杏も何も考えていなかったのか、言葉を詰まらせた。しかし、ややあって、腰に手を当てると、「梢のくせに、頭使うな」とやたらと偉そうに頬を膨らませて、砂を蹴った。


「こら、玲!梢が他の女とイチャイチャするなってさ!」


 本当にとんでもない奴だ、と私は杏の背中を喚き散らしながら追うのだった。

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