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湖の乙女.1

 七月に入れば、日を追うごとに烈日はその勢いを増していった。


 本土のコンクリートジャングルとは違い、土と森と水で出来たこの島は、閉塞感を伴わない夏を感じることができる。


 森の中は一段と涼しく、晴れやかだ。


 海辺に出れば、潮の匂いと日差しで十分に夏を満喫できるし、島にある大きな湖は避暑地としてレジャー気分になれる。


 四角い棺桶みたいな部屋の中では、決して得られなかった経験の数々。


 充実している、と形容すればそれは嘘になる。不安や恐れは後を絶たない。


 だが、運命はいつだって人の背中を突き飛ばす。進む意思があろうと、なかろうと。


 身構えることのできるものは、運命とは呼ばない。


 私は、学院裏の湖にかかる桟橋の上で佇んでいた。


 手には金の装飾が施された真っ白な衣装。


 湖面には、困っている自分の顔が映っている。ここに来て、以前とは比較にならないくらいの日差しを浴びているはずなのに、相変わらず生気を失ったみたいに真っ白だ。


「本番は、本当にこれを着るんですよね…」

「ああ、もちろん」隣でシニカルに笑うのはアルトリアだ。「これは由緒正しき衣装だからね。代々続いているぶん、サイズも粒揃い。まぁ、自然と背の高い人が多かったみたいだけれど」

「へぇ…」


 正直、あまり私は興味がなかった。だが、湖畔祭のリハーサルを見学に来ている生徒たちはその限りではないらしく、興味津々といった様子で私やアルトリアのことを眺めていた。


(相変わらず、見世物パンダみたいな状況…。おかげというか、なんというか、視線にも少しだけ慣れたけれど…)


 私が惰性のようにして抱いている諦めをため息に込めて吐き出したとき、ちょうど、桟橋の先から声が聞こえた。


「貴方たちはまだ良いほうよ。私なんて、本番ははしたないドレスを着なくちゃいけないのよ?」


 声の持ち主は蘭香だった。


 浅瀬をざぶざぶと裸足で歩いてくる彼女は、明らかな不満を示している。いくら夏日とは言えど、湖の浅瀬でスカートを捲し上げて歩くのには抵抗があるのだろう。


「はしたないなんて、あんまりな言い分だと思わないかい?ドレスもそうだが、『湖の乙女』ともあろうお方が言うべきことじゃないね」

「露出が多いドレスなんだから、仕方がないじゃない。それに、『湖の乙女』の役は別に私が望んであてがわれた役じゃないわ」

「それが分かっていて、円卓の会会長の座に就いたのだろう?文句を言うな、蘭香」

「…どうしてかしら、アルトリアに正論を言われても、うんと頷きたくないのは…」


 円卓の会――普通の学校で言う生徒会のようなものだ。蘭香は四月にその会の新会長となったばかりらしい。その結果、彼女もアヴァロン学院伝統の行事に駆り出されるとのことだった。


 ――湖畔祭は、アーサーが湖の乙女から聖剣を賜る場面を演じるお祭りだ。


 諸説はあるが、ここで言う聖剣はアーサーを『王』にした聖剣とは別の物とされている。そのため、湖畔祭では聖剣祭のときに使った剣とは別物が用意される。


 流れとしては、湖に立ち寄ったアーサーが湖の乙女から聖剣を貰い受けるといった芝居が終わった後、祭が始まることになっている。


 秋の催し物ほど派手ではないが、祭の間は湖畔の入水が解放されたり、文化棟の展望室の入場が許可されたりするなどして、生徒たちが羽目を外せるようになっているらしい。


 娯楽に飢え、フラストレーションを溜めている学生も少なくはない。そのため、湖畔祭を楽しみにしている者は数多かった。


 もちろん、私はその限りではない。湖畔祭の芝居が行われている間、全校生徒の視線を一様に浴びることになるのだから、想像しただけでも気分が悪くなりそうだった。


 当日、アルトリアに任せきりにするというのも考えた。しかし、どうにもそれは難しそうな雰囲気だった。


 それに…祖母がアーサーの役を演じていたと聞いたとき、その軌跡をなぞることに私自身が魅力を感じていたというのもある。


 祖母に話したら、きっと喜んでくれるだろう。そうなれば、私が学院に来たことにわずかながらも意味があったと思えるかもしれない。


 上手くは演じられない、という情けのない確信があった。しかし、そもそも上手く演じる必要もないのだ。


 誰も私に期待などしていない。私が果たすべき責任は、伝統に則って演じきるというだけだから。


「湖月さんも大変ね。こんなことに巻き込まれて」

「え?」急に話を振られて、慌てて振り返る。「湖月さんはゆっくりと、静かな学院生活を送りたかったのよね?だったら、今はその真逆じゃない」


 少し前にした話をよく覚えている。蘭香は間違いなく、世話好きの才能を遺憾なく誰にでも発揮できるタイプだ。


「…そうですね」


 苦笑すれば、アルトリアが小言を呟きながら肩を竦めた。


「…はぁ、頼むから、来週の本番では厳かにな。学院行事に憧れや理想を抱いている子たちはたくさんいるんだから。…夢を壊さないでくれよ」




 中世の城を模したような学院校舎では、湖畔祭に向けた準備が行われていた。


 教室の中はたいしていつもと変わらないが、学院正門付近、中庭、湖沿岸と屋台の準備が進んでいる。白いセーラーワンピース以外にも、体操服に身を包んだ生徒の姿が散見される。


 明日はいよいよ湖畔祭当日。もうすでに何度かリハーサルをこなしていたため、ある程度、不安は小さくなっていた。


 問題は当日。大勢の視線にさらされてなお、きちんと工程をこなせるかどうかだ。


(…はぁ。ずっとこうしていても、せっかく小さくなった不安がまた大きくなるだけね。早々に部屋へ戻ろうかしら)


 正門を抜け、花月寮がある森へと至る道に出る。梢は円卓の会の手伝いを申し出ているらしく、夕方までは戻らないようだ。杏と純風の行方は不明だが、あの二人が一緒に行動しているとは思えない。おそらく、各々で放課後を過ごしているのだろう。


 数分ほど歩いて、花月寮の前に戻ってくる。珍しく人気の少ない様子だ。やはり、みんな明日の準備で忙しいようだ。


 玄関の扉を開けて中に入れば、しんとした食堂が待っていた。そのまま上の階に上がり、自分の部屋を目指す。


 途中、バルコニーの前を通るのだが、そこで見知った人影が下を見下ろしているのに気がついた。


 小さな背中、片目を覆うまでに伸びた前髪。神田明鈴だ。


 嫌な人間の顔を見てしまった、とちょっとだけ眉間に皺を寄せていると、ふわり、と風が巻き上げた隙間から、明鈴の憂慮に染まった瞳が見えた。


 日頃の腰巾着のような態度からは想像もつかないほどにシリアスな雰囲気だ。黙っていれば、小さく美しい花に見えなくもない。


 不意に、こちらの気配に気がついたのか、明鈴が顔を上げた。すると、顔を真っ赤にして、顔色を窺うみたいに下からじっと見つめてきた。


 この状況で無視すると、何を言われるか分からない。明鈴一人では牙を剥いては来ないのだが、後々が面倒なのだ。


 バルコニーと廊下を隔てるガラスの扉を開けて、中に入る。さらに、先手必勝で挨拶をする。


「ご機嫌よう、神田――」

「しーっ!」


 口元に人差し指を添えて、黙れのジェスチャー。何ごとかと怪訝に思いつつ、頷く。


 明鈴はしばし逡巡した様子で階下と私を見交わすと、諦めたふうにため息を吐き手招きしてみせた。


 大人しくそれに従い、明鈴の隣に移動する。思ったよりも小さい。おそらく、150cmギリギリだろう。


 声を発さないでいると、明鈴がバルコニーから見える下のほうを指さした。静かにそちらを確認すれば、そこには何か小さな生き物に餌をやっている薊がいた。


(あれは…燕?しかも、雛鳥ね)


 そういえば、花月寮に燕の巣があった。毎年巣作りに燕が戻ってくると聞いていたが…。


 明鈴は薊の様子を私に確認させると、ゆっくりと廊下のほうへと移動した。視線からも、ついてきてほしそうだったので、彼女の後ろに従う。


 明鈴はこちらを振り向くと、どこか言いづらそうに口を閉ざした。口火を切るのは自分なのかと不思議に思いつつ、尋ねてみることにした。


「水宮寺さん、落ちた雛鳥の世話をされているのですか?」


 これには、なぜか明鈴も表情を明るくした。聞いてほしかったのかもしれない。


「そうそう。ね、優しいでしょ、薊」


 薊を優しい人間に認定すると、ほとんどの人類が該当してしまうのではないだろうか…。


 しかし、意外なことではあるが、確かに薊は雛鳥の世話をしていた。餌を与えているようだったが、手に握られていたのは虫だったと思う。彼女も虫が苦手ではないとしても、なかなかできないことだ。


「…そうですね。優しい方だと思います」


 少なくとも、人間以外には。


 含みのある心内を察したのか、明鈴はバツが悪そうに眉をひそめると、廊下の壁に背を預けながら言った。


「なんかさぁ、薊のこと誤解してない?」

「…何のことでしょう?」

「とぼけないでよ。薊のこと、怖い人だって思ってるでしょ」


 この問いかけには、答えに窮した。


 正直に語れば怖い人だと思っている。そもそも、日々ああして威圧的なコミュニケーションを取るのに、そう思われないことのほうが想像しづらいのではないか。だが、ここで頷けば後々禍根を残すことになるのも分かっている。


 とどのつまり、私には二択しか残されていないのだ。


 欺瞞を口にし、体裁を保つか。


 オブラートに包みつつ、本音を言うか。


 少しばかり悩んでいた私は、明鈴が疑わしそうな瞳をしていることに気がついて、急いで言葉を紡いだ。


「…少しだけ、ですけど」


 精一杯の本音。そして、避けられない嘘が言葉に染みて漏れた。


「ほぅら!あのね、そんなことないんだって。薊はああ見えても、とっても優しいし、律儀なの。そりゃあ、顔立ちがキリッとしてて、自分の気持ちをまっすぐ伝えすぎるから、怖く見えるときもあるけど…とにかく、良い人なの。だから…」


 私は、何かに突き動かされるように薊を称える明鈴を見ていると、不思議と感心した気持ちになった。


 日頃、私を小言で小突き回す明鈴が、好かれていない自覚があるだろう私に向かって話しかけたこともそうだが、何より、これだけ明鈴に慕われている薊と、そうまでして薊の本当の姿を伝えたいと思える明鈴に感心したのだ。


 私には、これだけ思える相手はいない。


 それは酷く、悲劇的なことの気がした。


「だから、あのさ…」

「はい」


 私は、自然と明鈴の言葉の続きを促していた。


 杏に腰巾着、と揶揄される明鈴が口にする、薊を想う気持ちがどのようなものか知りたかった。


 それを知れば、私の虚をそれで埋められるような気がしたのだ。


 だが…それは果たせなかった。


「優しい、ねぇ…」高く、可愛らしい声が抑揚なく響いた。「その言葉は、ラーメンに付いてくるコーヒーぐらい水宮寺にはミスマッチなものだと思うけど?」


 廊下の先から現れたパステルブルーの頭を見て、反射的に私は彼女の名前を呼ぶ。


「星欠さん」

「おかえり、湖月。――で、なんで、この腰巾着と一緒にいるの?」


 腰巾着と揶揄された明鈴は、「な、何さ」と怯えながらも反抗的な姿勢を見せたが、すぐに杏から、「あ?」と睨まれてしまったことで言葉を失った。


 私が事情を杏に伝えると、彼女は、「へぇ」と薄笑いを浮かべて明鈴を一瞥した。


「雛鳥が落ちてたって言うけど、飛ぶ練習してただけじゃないの?」

「し、知らないよ、そんなの」

「だとしたらさ、ちゃんと親鳥が見守ってるわけだから、水宮寺は余計なお世話したことになるんだよ?それで優しい、なんて恩着せがましいんじゃない?」

「そんな、決めつけるみたいな言い方――」

「は?何?何言ってるか分かんないから、ぼそぼそ喋んないでくれる?」

「ぴっ…」


 明鈴は奇妙な悲鳴を発すると、驚いたことに慌てた様子で私の背後に隠れた。


「え…?あの…」


 私の制服にしがみつく明鈴を首だけで振り返れば、彼女は小刻みに震えていた。


 なんとなく分かっていたことだが、やはり、明鈴の本質は臆病者のようだ。


「あんたさぁ、よりにもよって日頃いびってる湖月に助けを求めるわけ?呆れた、誇りとかないの?」


 杏の言うことももっともだったが、どうにも今日は杏の様子がおかしい。普段よりもかなり攻撃的だ。いつもの余裕のある皮肉だとか、ユーモアが見られない。


 その後も杏は、明鈴を罵り続けた。段々と鋭く尖っていく言葉の節々に、いつも明鈴に小突かれている私でさえ彼女を気の毒に思うほどだった。


「あの、そのくらいにしてあげては?」

「ん?いいじゃん、別に。そいつは虎の威を借りてる狐なんだから、虎がいないときに痛めつけといたほうがいいよ」

「痛めつけるなんて…」


 ぎゅっ、と明鈴の手に力がこもるのが分かった。


 彼女だって、何も感じていないわけではない。


 プライドを傷つけられ、脅され…不安と悔しさの間にのたうちまわっているのだ。


 杏はゆっくりとした足取りで近寄ってくると、私の後ろの明鈴を覗き込んだ。


「震えてんじゃん。はっ、お気の毒さま」


 執拗な追撃に、どうしてか私の鼓動が速くなる。


 何かがこらえきれなくなる、そんな予感と不安があった。


「言いたいことがあるなら、言いなよ。腰巾着」

「あの、星欠さん」

「黙ってて、湖月。…私はさ、お前らみたいに自分の気持ちも口にできない奴が大っ嫌いなんだよ。それで黙ってて、なんか解決すんの?――情けない、本当、本当に情けない。私があんただったら、死んだほうがマシだね」


 ――死んだほうがマシ。


 その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが弾けた。

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