聖剣祭.1
初めましての方は初めまして。
そうではない方はお久しぶりです。
今回も百合をテーマに長編を書かせて頂きました。
若干シリアス寄りになってしまいましたが、初めての学園モノなので、お楽しみ頂けると幸いです!
更新は隔日で定期的に行いますので、ゆっくりとお読み頂ければ幸いです。
それでは、お楽しみ下さい。
船の縁を蹴ったとき、ぐらり、と足元が大きく揺れた。内心でひやりとしつつ、飛び移るようにして波止場のアスファルトに着地する。
足をつけた大地は、やけに他人行儀な気がした。まるで、この島が私をろくに歓迎してくれていないような…根拠もなく、そんなふうに思ってしまう。
「じゃあ、気をつけて行くんだよ」
船の持ち主と、その妻らしい年配の男女が優しく私にそう告げた。それに対して、首だけで振り返った私は、浅く頷きながら足を前に動かした。
海鳥の声、防波堤を打ち付ける波の音、それから、五月の日差し…。
どれも私にとっては馴染みのないものばかりだった。付け加えるなら、潮風なんかもそうだ。
海が近い場所では、容易く金属が錆びると聞いたことがある。実際、すぐ横に立っているコミュニティバスのバス停も赤茶色に錆びていた。
こんな場所で五年も暮らせば、ブリキの心のように鈍くなってしまった私の心が、さらに鈍くなってしまうのではないだろうか。
ポケットから、幾重にも折りたたまれたA4の紙を取り出し、素早く広げる。
西日を受けて反射する白い紙面。そこには、私がこれから五年の時を過ごす予定となっている、『アヴァロン学院』への道筋が描かれていた。
震えた線で作られた歪な地図だ。想像以上に年老いてしまっていた祖母が、私のために老眼鏡をかけて書いてくれたと思えば、ほんの少しだけ胸が暖かくなる。
波止場から南へと進めば、ちょっとした商店街があるようだ。そこをさらに南へ進み、丘を登ればアヴァロン学院はある。
同校は、森に囲まれた由緒正しき五年制の女学院で、半世紀ほど前にイギリスとの親交を祝して建てられた学院だった。
祖母に渡されたパンフレットには軽く目を通したが、詳細は覚えていない。私にとってはどうでもいいことだったためだ。ただ、大きな湖が同校の敷地にあったこと、学院が中世ヨーロッパの城みたいな外観をしていたことは印象深かったため、はっきりと覚えている。
商店街の中は、思っていた以上に賑わっていた。
八百屋、精肉、鮮魚など食材を扱う店に、古本屋、駄菓子屋、裁縫屋…店主らの平均年齢はかなり高く見えるが、みんな壮健だ。
きっと、丘の上にあるアヴァロンの学生寮から、買い物に来る生徒も多いのだろう。人々は、アヴァロン学院の制服に身を包んだ私を見て笑顔で会釈してくれた。
足を止めないまま、改めて、自分の今の装いを確かめる。
時代錯誤の白のセーラーワンピース。黒のタイと、フリルに入った群青の刺繍。ウエストを締め付ける金色に輝く腰のベルト。
ありえない服装だった。少なくとも、私にとっては。
少女趣味というか、派手というか…。まるで、フィクションの中の格好だ。
商店街を抜けたあたりで立ち止まり、丘の上を見つめる。
深い森に覆われた灰色の学院が、青空を背景に豆粒みたいにしてそびえ立っていた。
私はそれを見て、静かにため息を吐いた。
(…学校なんて、今さら、どうして行かなければならないの…)
何と言っても、引き返す道はもうない。
この島は、本州から遠く離れた絶海の孤島だ。船がなければ他の場所には行けない。いや、仮に本州の実家へと戻れたところで、もう私の居場所はない。
つまり、このまま進まなければならないのだ。泣き言を言おうが、言うまいが。
もはや、失望を友にし、怠惰を貪ることも許されない我が身だ。せめて、祖母の負担にだけはならないようにしたい。
私を送り出した祖母の顔が思い起こされる。
祖母は不安の影を懸命に押し隠し、少しでも、孫が希望を胸に新たな道へと進み出せるように笑っていた。
思うように動かなくなった体で、わざわざ船着き場まで見送ってくれた祖母は、私を載せた船が遠ざかっていくのを見届けながら、小さく祈りの姿を作った。
――何に祈るのだろう。
不信心で、祖母が期待しているような希望など一欠片も持ち合わせていない私は、祖母の姿を見てそう思ってしまった。
こんなことを考えても無駄だ、と気を取り直し、丘の上へと続く坂道を上る。すると、遠く離れたところから厳かな音楽が聞こえ始めた。
知識は乏しいが、何かしらのクラシックだ。アヴァロン学院では昼間からクラシック音楽が奏でられているのだろうか。
時刻は昼の一時を過ぎている。近づけば近づくほど増す学院の活気に満ちた雰囲気が、私の足を重くする。
『疲れちゃったのね。大丈夫、きっとあそこなら、今の玲ちゃんに必要なものが見つかるわ』。
遠方から来た祖母が、薄暗い自室にこもっていた私を見て告げた言葉を思い出す。
必要なもの、とはなんなのだろう。
それを手にすれば、私は昔みたいに戻れる?
…酷い冗談だ。決して戻れないと自分でも分かっている。
たとえ、砕け散ったスノードームの破片を、飾りを、雪を模した白を拾い集めたとしても…元の形は取り戻せない。絶対に、どこかに穴が空いている。もしかすると、穴だらけになるかもしれない。
改めて、上るべき坂を見上げる。
日陰のない道だ。降り注ぐ陽光から逃げる術はないということなのだろう。
やがて、私は坂を上り始めたのだが、辿り着いた学院の様子に絶句してしまった。
学院本舎らしき大きな建物が正門を越えた先にあって、そこまで伸びたストリートの両脇には、びっちりと屋台が並んでいる。あちこちから漂ってくる食べ物の匂いは、混ざり合い過ぎていてもはやなんの料理かも分からない。
どうやら、今日は催事の日らしい。祖母が何か言っていたような気もするが…気にも留めていなかったせいで、記憶にない。
「…とんでもない日に来ちゃったわ」
とはいえ、人混みが苦手な私が、安寧の地を求めて慌てふためくことはなかった。なぜなら、屋台にも道にも、誰一人いなかったからである。
閑散としているが、音楽は鳴り止んでいない。音楽はスピーカーから流れているようだ。
一体、何が起きているのか。催し物があっているようではあるが、果たして、自分はこの後どうすればいいのだったか…。
祖母の話を思い出そうと頭をひねるも、中々思い出せない。
家を出て、この離島にある学院へ入学することを促されたのが三カ月前のこと。不思議と、『嫌だ』とは思わなかった。祖母に心配をかけてしまっていることのほうが嫌だったからだ。
ただ、それ以上に…祖母にまで見放されてしまった、という気持ちのほうが強かった。
見放したわけではない、と自分に言い聞かせていられたのも、この島に来るまでが限界だった。
この島は、絶海の孤島。流刑地なのだ。
私のような罪人には、このような地の果てが相応しい。
とにかく、まずは校舎の中に入るのがいいだろう。誰か大人をつかまえて、『今日からここに通うことになったが、船の都合で遅れてしまった。これから、どのようにすればいいか』と質問しよう。
…想像しただけで、胃がよじれるようなことだ。数年間、家族ともろくに言葉を交わしていなかった自分の身を思えば、自然ではある。
だが、ここにぼうっと立ち尽くしてもいられない。こうしていては、最悪、人波が戻って来たときに動けなくなる恐れがある。
小さく息を吸い、ゆっくりと吐く。
(行くしかないのよ…行くしか)
何度言い聞かせたか分からない言葉を自分自身へ投げかけ、私は学院本舎へと足を向けた。
外の人気のなさも相当だったが、建物の中はもっと静かだった。
長く、天井の高い廊下には誰もおらず、立ち並ぶロッカーに荷物だけが残されている。大人どころか、生徒一人見当たらない。
中世の城を模した外観に相応しい、美しい内装を保ったまま廃墟になってしまったようだ。
きょろきょろと周囲を窺いながら歩みを進めていた私だったが、ふと、ある地点で足が止まった。
大広間の入り口らしき扉の前の壁に、三メートルはあるかと思われるほどの大きな絵画が四枚かけられていた。
一枚目は、石の台座から輝く剣を引き抜いている男を描いたもの。
二枚目は、湖から現れた乙女が、手にした剣を男に渡している姿。
三枚目は、聖杯の受け渡しが行われている場面。
そして最後、四枚目は…。
「…アーサー王の終わり…」私は無意識のうちに、ぼそりと言葉を洩らしていた。
四枚目の絵画には、小舟に乗せられて湖を運ばれていく男の姿があった。両脇には美しい女性が控えており、眠る男を見守っているかのようだ。
――間違いない、これは『アーサー王伝説』の一幕である。
どうしてこんなものが、と考えるより先に、私の頭はこれらの絵画の美しさ、とりわけ、最後の一枚の荘厳さに心惹かれていた。
人の死とは、こうあるべきだ。
そう思わせる何か――死に宿る高潔さのようなものが絵画から放たれている。
そうだ。こうでなければならない。
眠るようでなければならない。
穏やかでなければならない。
厳かでなければならない。
…決して、苦悶の中であってはならず、孤独であってはならず、汚れていてはならない。
胸が一瞬にして苦しくなった。
そのときだった。不意に、後方から声をかけられた。
「あら、まだ校舎に残っている子がいたの?」
高く、あどけない声だった。そのため、私は声の主は子どもだと思ったが、振り向いた先にいたのはローブで身を包んだ大人の女性だった。
小走りで駆け寄ってくる女性は、小柄だったが、大人で間違いなさそうだ。化粧を施した様相がそう予測させた。
「あ、わ、私は…」
声が上手く出なかった。やはり、シュミレーション通りになんていかないものだ。
「全く、ダメじゃない。みんなもう広場に集まっているわ。――貴方、何年生?」
「え、あ…」
私が言い淀んでいると、女性(おそらくは、教師なのだろう)が腰に片手を当ててから怪訝そうに続けた。
「タイの色は黒。ということは一年生ね?…ふぅ、仕方ないわ。ほら、おいで。せっかくのフィナーレなんだから、きちんと楽しまなきゃ。一年生ならなおのこと、ね?」
「フィナーレって、一体、なんの――」
すると、女性は私が言い終える前にこちらの手を掴み、遠慮のない勢いでぐいぐいと引っ張り始めた。
「きゃっ!」
「なんのって、決まってるじゃない。聖剣祭でしょう。もうほとんど終わっちゃったわよ」
「せ、聖剣祭…?あ、待って、下さい…!」
聞き慣れない単語に、私は顔をしかめる。
彼女の勢いは留まることを知らず、あっという間に私を陽の光の下へと連れ出した。
目に突き刺さるような陽光に、視界が奪われる。ただ、耳には人のざわめき声が聞こえてきていた。多数の生徒が周囲にはいるようだ。
とっさに目をつむった私の体が、ようやく解放された。そして、ゆっくりと視界も戻ってくる。
辺りの様子に、私はひゅっ、と息を呑んだ。
人、人、人。
私を見つめる、無数の人間たち。
誰もが馬鹿みたいに、同じ白のセーラーワンピースに身を包んでいる。
同じ学院の生徒だということは分かった。だが、だからといってこの衆人環視に、ぞっとした寒気を覚えずにはいられない。
(駄目…。早く、ここから逃げ出さないと)
一歩、後退しかけると、とん、と背中を押された。そこには先ほどの教師がいた。
彼女は片手を私の正面へと向けた。無意識のうちに促された先を目で追えば、そこには、石の台座に剣が突き立てられているオブジェがあった。
風化している台座に比べ、剣のオブジェは手入れが行き届いているのがここからでも分かる。
自分と同じ格好をした生徒が、その柄に触れた。そして、一気に引き抜こうと力を込めているようだったが、剣はびくともしない。それが何度となく繰り返されていく。
一体全体、何をしているのか。人の視線にさらされて、不安でいっぱいの頭では何も理解できなかった。
すでに、私の番が来ていた。最後の一人になっているらしい。
じっと、動かないでいる私を、生徒や教師たちがじっと見据えた。
まるで、責められているみたいな気持ちになって、私は早足で前へと進み出た。
(私を、見ないで…)
とにかく、同じようにすれば私の役目は終わるのだろう。だとすれば、さっさとこんなことは終わらせて、誰もいない日陰へと逃げ込みたい。
ざわめきで満ちていたはずの周囲が、途端にしん、と静まり返る。理由はなぜだか分からなかった。私の緊張した様子が奇異に映ったのかもしれない。
震える指先で、剣の柄に触れる。
周りに聞こえるのではと思うほど、鼓動は速くなっていた。
一つ、大きく息を吸い込む。
――そして私は、その剣をひとおもいに『抜いてしまった』。
今回はすぐに続きを掲載します。
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