シュヴァリエ・デオン伝 仁義なき戦い
1763年10月中旬、デオン宛にルイ15世からの書簡が届いた。
貴下は現在のような身なりにおいても、かつて女の服装をしていたときにも、等しく朕のために役立ってくれた。今はただちに、ふたたび女装を身につけ、ロンドンに隠遁するがよい。貴下に知らせておくが、本日国王は、自らの手によってではなく、単なる爪によって、貴下をフランスに戻す命令書に署名した。朕は貴下に、追っての指令が届くときまで、全ての書類を持って英国にとどまることを命じる。貴下がいる館は安全ではない。そこには手強い敵が何人もいることだろうから。
10月17日、ゲルシィ伯爵がロンドンのフランス大使館に着いた。儀礼的な挨拶を交わしデオンにプラスランからの書簡を渡した。
プラスラン公爵からの書簡は、召還状というよりロンドンからの追放令状のような文面だった。
新任大使のゲルシィは、デオンをセント・ジェームズ宮廷に赴かせ、ジョージ3世に辞任の挨拶をさせることを仕向けた。
「具合が悪いので謁見は辞退します」
英国宮廷人に何人かの支持者を持っていたデオンは、病気を理由に、英国国王の辞任謁見の免除を申し出た。
(あんな奴の下に働くなんて、どうにも解せない!)
10月23日にデオンがゲルシィ邸で晩餐をしていると、2度も断った怪しい感じのヴェルジーがやって来た。
「シュヴァリエ殿、私は英国に小旅行をしに来た文筆業者です。その目的は、何かと人々の話題となる国民と深く付き合い、人々の話題には充分と思えるフランス人の紹介をするためです。ムッシュ、あなたのお名前と評判は、フランスではきわめて知られておりますれば、あなた様と特別な関係を結ぶことはこの上ない幸せと存じます」
「紹介状のない者の話は聞かない」
「そんなものは何も必要ありません。私はゲルシィ伯爵の友人なのです。伯爵と一緒に、私はヴィルロワ侯爵夫人のお宅で何度もお食事を共にしましたよ」
デオンはヴェルジーを無視し続けた。
ヴェルジーは帰りぎわに言い放った。
「デオン殿、かねがね私は、あなた様は礼儀正しい方と聞いておりました。このような相反する態度は誰も決して見たことがありますまい。デオン殿、あなたはご存知ないのですか、フランスであなたを待っている運命を」
デオンはヴェルジーの腕をつかんで怒鳴った。
「私はいつだって礼儀正しい人間だ。だが、私の礼儀は他人ヘの奉仕のために、嘘をついたりまではしない。あなたは本当のことを一言も喋らなかったのだから、私はあなたに日頃と反する態度なんか示していない。人は自らに咎める点が何一つないときは、フランスにいようが他の国にいようが、自らの運命を案じたりはしない。私は実力者や小物どもの、いかなる怒りも恐れはしない。そして、今大使や大使夫人の前にいるのでなければ、私はただちにあなたに、あなたのような人物の脅迫を恐れているかどうかお見せしょう!」
ヴェルジーはそそくさと席をたった。
10月26日、デオンはハリファックス卿の晩餐会に出た。
国務相サンドウィッチ卿とポーランド国王の特命大使アインフィーデル伯爵と共に大使ゲルシィも出席していた。
「デオン殿はなぜ国王陛下に辞任謁見をしないのかね?」
「ヴェルサイユからの追手の沙汰を待つのみです」
ゲルシィの問いにデオンはあっさりと答えた。
「そんな話は聞いてないぞ!」
デオンは叫ぶ大使を無視続けた。デオンは2人の卿からの強い要請でヴェルジーとは2度争わない誓約を立てられている。
翌日の朝、決闘姿でヴェルジーがデオンの家にやって来た。
「ムッシュ、私はあなたに尋ねたいのです。一体あなたは全権公使なのですか? それとも竜騎兵連隊隊長なのですか? もし全権公使だというのなら、こちらも引き下がりましょう」
「引き下がるには及ばないさ。あんたに対しては一介の竜騎兵でありたいからね」
微笑んだデオンは部屋のカギをかけた。
「ムッシュー! お許しください! 命だけはどうか」
デオンは蒼白したヴェルジーを哀れんでドアを開けた。
10月28日にデオンは大使館の晩餐会に呼ばれた。
ゲルシィが不在で、デオンはゲルシィ伯爵夫人と子女と会食し、ブロッセ氏、アロンヴィルイ伯爵、モナン氏が同席していた。
食後に夫人と子女は退席した。デオンは伯爵たちと雑談したが、強い眠気と共に気分が悪くなってきた。
「気分が優れないので帰らせていただきます」
「そうか、気をつけてな」
眠気を抑え、邸を出たデオンは1台の轎が待っていた。
「ムッシュ、家まで送りますぜ」
(そんなものの、世話になりたくない)
乗り手を無視したデオンは徒歩で帰った。
ひじ掛け椅子に腰を下ろすと睡魔が襲い、デオンは眠り続けた。
ロジェール氏が激しくドアを蹴り上げたおかげで、デオンは翌日の正午に目覚めた。
後にデオンは取り巻き連中の話で、外科医を抱えているゲルシィがデオンのワインの中にアヘンを入れさせたと知った。眠りこけたデオンを運び出しテームズ河ヘ投げる計画だという。
数日後の朝9時にゲルシィが副官を連れてデオンの家にやって来た。
「デオン殿、良かったらウェストミンスター寺院まで一緒に散歩しないか」
「閣下のところでの晩餐以来、私の気分はとても優れません。たぶん、お宅の皿洗いたちは、寸胴鍋やシチュー鍋をよく洗うことなんかには気を配らないんでしょうね。だから家の中を盛んに見せびらかすんでしょうよ。人間はしばしば、そうとは知らず、望みもしないのに毒をもられるのです!」
デオンはきっぱりと断った。
身の危険を感じたデオンは親戚筋のド・ラ・ロジェールの所ヘ引っ越した。
デオンは居間、サロン、書斎、階段のすべてに爆薬を仕掛けた。
一晩中灯火が燃やされ、地下には命知らずの手下が待機している。ゲルシィの手下は手痛い反撃を受けていた。
ショワズールとプラスランの国家官僚派はデオンが隠す秘密文書強奪計画に躍起となった。
12月6日、デオンに外交官生活の終焉を知らせる書簡が届いた。
英国国王侍従ガウアー卿からの解任状を読んだデオンは怒りにふるえ、ゲルシィへの恨みをさらに強めていった。
デオンの城塞にゲルシィの使いの者が来たが、デオンはトンネールの酒をしこたま飲ませて上手く追い払った。
デオンは嬉しそうに手紙を書き、ゲルシィに送った。
あなたの使節プレマレ氏は、昨日の夕方、あまりに早々と小生のところから
逃げ帰ってしまったので、彼が持参した閣下のお手紙を読み終える暇も、彼に返事する暇も与えられませんでした。
しかし彼に食卓につき、私たちと一緒にトンネールのワインを飲むようにと勧めました。
閣下、あなたが要求なさる国王の書類に関しましては実際、苦悩に胸締め付けられる思いですが、国王の特別な命令なしには、あえて彼に渡すことは出来ないと、そう閣下に申し上げざるを得ません。
ゲルシィ自身がデオンの自宅ヘ出向いて書類の引き渡しを要求した。
「国王の文書を返すくらいなら、むしろ自ら命を断つだろうし、銃を突きつけて奪いとりに来るがいいさ」
デオンは拒否した。
ゲルシィの失態で当惑したルイ15世は、デオンの書類が国王自身を窮地に追いつめる不吉な書なので、何としても手に入れたかった。
国王はテルシエに指令を出して静観を決めた。
デオン殿は狂人ではないと朕は確信する。しかし、彼は傲慢で常軌を逸している。よって充分に時間をかけ、しかるべき金銭援助をし、彼が安全でいられる場所に留まらしめるべきだと考える。特に新たな事件を起こさぬことが肝要と思う。
朕にはデオンが英国人になり得るとは考えられない。彼は内閣に与してもなんの得にもならないだろう。
だからといって反対派に廻っても、一体彼は何をするのだろう。デオンには金貨200デュカを与えてほしい。
プラスランとゲルシィはデオンへの恨みを彼の家族に向けた。
デオンの従弟シャルル・デオン・ド・ムーロワーズは騎兵隊中尉を罷免された。
トンネールではデオンの所有地に課税される。
貴族としての彼の肩書に異論が唱えられ、タイユ税(保護の代償に領主により領民にかけられた直接税)の名簿にデオンの名を登録しろという意見が出された。
郷土の英雄シュヴァリエ・デオンには裏切り者、反逆者、不敬者となり、官位は剥奪、給料も取り上げられた。
そんな中、デオンを想う母親からの手紙が届き、デオンは12月30日に返事をしたためた。
親愛なる母上、わざわざ私のためにお書きくださいました痛ましく、慈悲深いお手紙一切、拝受いたしました。なぜ涙をお流しになるのです? 母上は聖書に記されているように、信仰心薄い女性なのに。
トンネールでのあなたの諸問題と、ロンドンにおける私の政治的問題には、どんな共通点があるのでしょうか?
私は少しも悲しんだりしていません。すでに申しのべたように、私は自分の義務を果たし、大貴族だとかマルミオンの子爵と自称する敵どもは彼らの本分をつくさないのですから、私の心はヴァイオリンをひき、バスヴィオールを奏でさえもするのです。彼らときたら、気ままに、個人的な利益によって一切をなし、すべてを推し進めようとするのですからね。全体的な公平さとか、国王や祖国への最も大きな利益のべたためといったものは何もありません。
この上なく優しくあなたを抱擁します。今後を期待してください。私が自分の生き方に困惑していないということが、必ずやおわかりになりましょう。小さな嵐は見逃してください。いま吹いている激しい風は、一時の爆発音にすぎません。私の体調はきわめて申し分ないので、敵どもを、死んでいようと生きていようと、すべて葬りさるつもりです!
1764年頃、ゲルシィは誹謗文作者のグーダールにデオンの性についてのデマを流すように命じた。
政界でのデオンの支持者には漁民、海員、沖仲仕、小売店主などの下層民に多いのでデオンの人気失墜を図ったのだ。
【シュヴァリエ・デオン・ド・ボーモンは精神異常に悩んでいる。その狂気の原因は、男でも女でもない。彼は、ふたなり】
「何なんだ、これは……」
デオンは外出先でビラを拾い、ロンドン中で大衆の話題に愕然とした。
デオンを弁護する者とグーダールの誹謗文に賛同する者らがデオンの性談義で盛り上がった。
デオンは中傷誹謗に沈黙した。
宰相のショワズール公爵に中傷文を送り善処を願ったが、無反応だった。
デオンの沈黙の間に次から次へと文書の攻撃が続いた。
「悪辣な文書には派手な投下物で反撃するしかない!」
【大英帝国国王の許におけるフランス全権公使シュヴァリエ・デオンの書簡、回想、ならびに私的交渉】
デオンはこの表題の4つ折り本を数週間で書き上げ、自宅で印刷して3月に公表した。
小冊子の内容はゲルシィ伯爵への激しい糾弾、ロンドン滞在中のデオンの独自な関心ごと、証拠書類の3部からなった。
ゲルシィ自身との書簡とプラスラン公爵とニヴェルネ公爵、その他要人との書簡が公開された暴露本である。
この小冊子は大勢の人々の注目をひき、英国及びヨーロッパ各地まで大反響を呼んだ。
ロンドンでは初版が数日で売り切れベストセラーになった。
デオンは一躍名をあげて、暴露本作家として一般大衆に深く知られて行ったのだ。
ヴェルサイユではデオンの小冊子が大問題になった。
国王たちが事の重大さに気づいても解決策がなく、事態の悪化に不安をつのらせた。
ロンドンでも大臣たちがデオンの刊行物について議論し、デオンの文書は中傷誹謗の名誉毀損に値するとの意見が占めた。
英国検察庁からデオンへの召喚状が届いた。
デオンは助けを求める手紙をニヴェルネ、ショワズール、テルシエに書いたが、彼らは何も応じなかった。
ブロリーに金の無心をしても反応がない。
2月15日にデオンはルイ15世に自分の勇気と才能を評価してくれる国で働く許可を与えて欲しいと請願したが、返事がなかった。
(私はすてられたのか……)
デオンは3月21日にテルシエ宛に祖国や閣僚へ恨みへの手紙を書いた。
あなたの沈黙と私の立場がこのようになってしまったので、私は親戚筋のナルダン氏を、パリの彼の友人ラ・ロジェールのところへ差し向けることにします。氏はラ・ロジェールに口頭で、彼の出発前にここで起こった一切のことを報告するでしょう。彼はこの手紙をあなたにお届けするはずですが、私が将来に期待を持ちうるか持ちえないか、はっきりとしたお返事を切にお願い申しあげるでしょう。
その結果、私は態度を決めるつもりだからです。国王への奉仕の実益と誇りのために、私がなしたとおり、心から喜んで身を犠牲にしたのに、このような釈明、というよりはこのような暴言をなすに至るとは、まことに悲しい限りです。
私が何を言いたいのか、そのやむにやまれぬ一切の勢いを、あなたもお感じになるはずです。私は決して国王も、まず第一に自分の祖国を見棄てないでしょう。
しかし不幸にして、国王と祖国とが私を見棄て、私を見限るのに折よしと判断するのであれば、こちらも不本意ながら、いやでも祖国を見棄てざるをえないでしょう。
そうしてから、私は全ヨーロッパの人々の目の前で、自分の無実を証明するのでしょう。あなたもそのようなことをお感じになっているように、
私にとってそれ以上に安易なことはありますまい。
でも、この犠牲は私にはきわめて耐え難いものでありましょう。本当にそのとおりだと思います。しかし、それはフランスにとっても高価なものにつきましょう。
そう考えただけでも、とめどなく涙がこぼれ出てきます。
デオンの手紙がヴェルサイユを揺るがした。
「もう我慢できん! やつを腕づくでも連れ戻してやる」
プラスラン公爵は厚顔無恥なデオンに向けて20人の輩を英国へ派遣した。
ルイ15世はテルシエに書簡を送り「朕はデオン殿について何も申さず。たとえ彼が一切を喋ったとしても戦争になり得ないが、この騒動を止めないといけない」と書いた。
デオンの邸宅に国王の特使ノールがやって来た。デオンは喜び勇んで要求を述べた。
「私に竜騎兵連隊隊長の肩書と年金の保証を約束してくださればフランスへ帰ります」
ノールはそこまでは無理ですと断った。
「なら、何で来たのだ」
恫喝したデオンはサーベルを抜いた。
激情にかられ、ノールへ振り回しながら怖がらせてから追い出した。
プラスランが派遣した悪漢たちをゲルシィは大使館に招き、デオン生け捕りのために帆船を用意した。
ゲルシィの噂を手下から聞いたデオンは要塞化した自宅にこもった。
稀に外出した夜、路上で仮面の刺客がデオンを襲った。デオンはフロックコート内の、たまたま金貨が詰まっていた財布で一難が避けられた!