シュヴァリエ・デオン伝 人生の絶頂期
1763年4月7日、ルイ15世はいつの日か実現するかも知れない英国上陸作戦のために、「英国海岸ならびに王国内陸部」の局地情報を集めよと、ブロリー伯爵に命じた。
国王の計画には外務官僚のテルシエとデュランと共にデオンも加わった。
6月4日にロンドン大使ニヴェルネの要請でデオンはロンドン行きを命じられた。
貴顕たちの期待の中、デオンはさっそうとヴェルサイユを出た。
ロンドンのデオンは新任大使のゲルシィが10月までに到達するまでの間、全権公使として大使代行とすることとなった。
ブルゴーニュの少貴族出の35歳のシュヴァリエ・デオンには、生涯最高の栄光の夏となった。
デオンは着飾って勲章を胸に付け、レセプションや夜宴に堂々と姿を見せる、公然と国王ジョージ3世の謁見を受けられる身分となったのだ。
官邸では多くの使用人を従え、豪勢な暮らしをした。
司祭、近習、副官、士官5名、従僕4名、門衛1名、下女4名、御者2名、馬丁2名、馬10頭、腕利きの料理長、召使い22人。
大使館は毎夜明かりが消えることなく、デオンが主催するサロンには英国のあらゆる貴顕たちが集まった。
毎日が宴会続きで負債が増え、デオンはゲルシィの歳費に手を付け、8月22日に外相プラスランに苦境を訴えた。
全権公使という特別な立場は、添付の報告書どおり、私自身の衣装ならび召使いたちの身なりのために、私に異常な出費を強いることになりました。大使館秘書時代には、私にはただ単に、制服裏地平織の袖飾りが似合いました。
ところが今は、心ならずも、私にふさわしい数着の衣服とレース飾りを身につけなければなりません。
もしあなたに、何らかの特別手当によって私を救済しようという思いやりがなければ、私は夜逃げをするか、全面的な破綻に陥らざるをえないでしょう。
熱心に、頑張って仕事をすればするほど、私は貧乏するのです。私の青春は過ぎていきます。
もはや私に残されたものは、日々衰弱していく悪くなった健康と、2万リーヴル以上の負債のみです。
外相プラスランからデオン宛の手紙が来た。
デオン殿、私は全権公使という肩書が、こんなにも早く、あなたが出発した地点を忘れさせるとは全く思っておりませんでした。あなたに仕事がなく、私を頼ってきたときに、私はあなたに、ふさわしい職と、名をあげるのに最も好都合な機会をお世話したのです。最後にあなたは、英国の批准書を私たちに届けてくださった。
この旅に対しては充分に報われたはずです。中略
デオン殿、もしあなたが示されたこの計画書が、あなたに不満の種を植えつけているというのでしたら、正直に申し上げて、私はあなたを雇うことを断念せざるをえません。
あなたの奉仕に報いるための充分な資力に不足する恐れがあるからです。今後は要求をなさるにはもっと慎重に、他人の金銭を扱うにはもっと注意深くあることを願ってやみません。
プラスラン公爵はゲルシィに15万リーヴルの俸給と5万リーヴルの特別手当を与える約束した。
ルイ15世とブロリー伯爵とデオンが結ぶ機密局と、寵姫ポンパドールと外相プラスランとゲルシィによる政府官僚機関との対立が激化していた。
デオンがロンドンでの行きすぎた行動と身分不相応な生活を非難する文書が国王に渡された。
ルイ15世はデオンが所持している秘密書類が気がかりだった。
彼はテルシエに手紙を送り、デオンを厳重監視せよと命じた。
デオンはきわめて奇妙な手紙数通を書いている。それはたぶん、頭がおかしくなった全権公使の特性なのだろう。
従ってプラスラン殿は朕に、いかなる事情かを判断すべく、彼をこちらに呼び戻すことを提案してきた。
彼が手にした一切の機密については、くれぐれも用心してほしい。もし気が狂っているなら何かをもらす恐れもある。
1814年10月9日。反ナポレオン感情が強い各ヨーロッパの貴人たちにも、デオンはウィーン会議再会の英雄と称賛されていた。
会議が開かれないとポーランドを欲しがるロシア皇帝と、ザクセンを我がものにしたいプロイセン王に、ドイツ連邦問題を解決したいけどヴュルテンベルク王の願いが叶えられない。
朝食後にデオンはマシロに勝とうと剣を突き立てたが、長い剣技の引き分けの中、マシロに喉を突き立てられることになった。
「やっぱりマシロは強いなぁ」
デオンはマシロを讃えた後は麒麟と庭園中のかけっこと部屋での本の読み聞かせに励むのだった。
宵闇のスペイン調馬宮が大シャンデリアで照らされていた。絨毯やタペストリーで模様替えされた屋内乗馬訓練所も舞踏ホール同様、人いきれと1万6千本のロウソクの熱気でダンスどころではなかった。
招待状を外に流す者のおかげで、入場券は高額で取引され、もぐりの客を含め6千人が押しかけた。
ルドヴィッカが顔色が悪く、ふらついていた。
「外へ出ましょう。これでは踊れません」
人の群れでポロネーズにのって踊れる空間がないのだ。
デオンは皇妃の手をとって外へ脱出すると、大変な肥満体のヴュルテンベルク王も出ていた。
「ナポレオン兵野郎……」
「皇妃様、もう帰りましょう」
「そうね。休みたいわ」
サラマンダーマシロをはり付かせたルドヴィッカとデオンはルドヴィッカを王宮へ送ってマシロらは馬車で帰宅した。
「今夜はたくさん眠れる」
微笑んだデオンは上着と靴を脱いで、髪留めを取った。
「こいつ、秒で寝やがったぜぃ」
サラマンダーマシロが呆れるほど、眠り姫が寝付いていた。
10月10日にマリア・ルイーゼは人目を避けながらシェーンブルン宮殿ヘ帰ってきた。
10月11日、フランツ帝はウィーン会議参加国の君主など603人を招待した。シェーンブルン庭園内のオランジェリーで晩餐会を催した。
ガラス温室内の大きなヤシの木の下に、各国王侯貴族たちのテーブルが置かれた。
咲き誇る花と木々に囲まれた南国情緒と豪華なシャンデリア群の光の採光が人々を喜ばせた。
3000本ものロウソクの灯火に照らされた人工岩と滝にも人々のどよめきがわいた。
オランジェリーと周りの花壇が2万8000個のランプでライトアップする演出でも貴顕たちを酔わせていた。
デブ公は構わずキジのソテーを食い散らかしている。
デオンはフランツ帝の隣でクグロフを堪能していた。マシロはデオンの隣でキジを食し、デブ公を眺めている。
「ここのオランジェリーも凄いだろう」
フランツ帝はデオンに話しかけた。
「ええ。私はさすがにルイ15世陛下と晩餐を共にしていないので、陛下たちの助力に感謝しております」
「いや助けられたのはわしの方だよ。あれほどの怪鳥を良く倒してくれたよ」
対ナポレオン戦で苦労を重ねたというフランツ1世は温厚で気さくな皇帝だ。
(私は生前、敵を作り過ぎた。ここでは内閣とも仲良くやっていこう。争うとろくな事がないからな)
生前の痛い経験から無駄な争いを極力避けようと、デオンは誓った。