嵐の請願
「ところでマスター、このケーキこの店オリジナルか?」
デオンはカフェのデザートにしては高価だと感じた。
「それはウィーンとブダ間の蒸気船のデザートを真似たもんだよ。ザッハーというシェフの考案で……。黙ってくれたらいいなぁ」
「じゃあ、エルトリアの店で使わせてくれ」
デオンが頼むとマスターは了承してくれた。
5月14,15日、新しい憲法と選挙法を求める嵐の請願とよばれるデモが学生たちが王宮に向けて敢行した。
またつるはしを担ぎ、先の尖った鉄棒を持った鉄道道路工夫と女性労働者がデモに加わっていた。
14日には労働者たちが工場を襲撃して、国民軍の1部が鎮圧に向かった。市街戦となり、王宮人たちは騒然とした。
「デモ隊のいいなりになる皇帝はいっそ、どこかへかくまってしまえ」
「そうだ、チロル首都のインスブルックに行こう」
皇族たちと皇帝の側近が話し合い、逃亡計画を立てた。
「そんなの嫌よ! フランス革命の時、マリー・アントワネットとルイ16世は逃亡に失敗して、絞首刑にされたのよ」
「私たちも一緒に行くのよ。脱出しないと危険です」
ゾフィー大公妃が説得して、夜にシェーンブルン宮から、宮廷植物園の馬車に乗り換えた。
「どさくさに帰るぜぃ」
マシロたちはエルトリアへ帰って行った。
カフェ「テレーゼ」で、マシロとデオンはルカとカムナギにザッハートルテもどきを教えた。
「チョコレートと砂糖はもっと買わないと、ケーキは美味しそう」
「これ家で堪能したい」
ルカたちは尾を激しく揺らしていた。
「なあ、カカオ豆とサトウキビも妖精界で栽培できればいいんじゃないのか」
デオンは不意に尋ねた。
「雇えるトロールがあれで全部だから、働き手が足りてないんだ」
味見したキリルが答えた。
「他に種族はいないのか?」
「そうね、農場視察に行きましょう」
ルカが誘ったがカムナギは断った。
デオンはルカとキリルとで王宮中庭のドアに入った。
農場周辺にはトロールたちの木と土の家があった。
麦畑に小柄で体中毛むくじゃらでネズミ顔の者たちが麦を抜いていた。
「あれはホブゴブリンよ」
「麦が欲しいのか?」
デオンはホブゴブリンに寄った。
「農作物が欲しいのならサトウキビを作ってくれないか? チョコレートは、加工するのに工場がいりそうだから、この際、砂糖だけでもいいだろう?」
デオンはルカたちに聞いた。
「そうだな。豆の加工の手間ならサトウキビが一番だね」
キリルたちは了承した。
「こんなところに人間だと? あんたエルフたちの奴隷か? 何で奴隷ごときの要求をのまなきゃならんのだ!」
「あー、こんなネズミ男にまで!」
叫んだデオンはホブゴブリンを殴りたくなった。
「あのね。デオンは私の……」
「妻だ! これで文句ないだろう!」
デオンは左手でルカの手をつなぎ、右手をホブゴブリンに差し出した。
「おー、だから自我が保てるのか! サトウキビが欲しい!」
ホブゴブリン一行と契約が済んでキリルはノーム、ウンディーネ、シルフを駆使して畑を耕作し、後で苗を植えてサラマンダーで気温を調整した。
デオンは帰宅後の式の手順なども必死で断り続けた。
「あれは契約の方便で……」
「だって、いつか結婚決めると言ったじゃん」
「最後には決めるけど、でも今じゃあない!」
深夜まで言い合いが続き、デオンが寝落ちして休戦した。
カフェ給仕用の衣装は、釣り鐘型のスカートを半分にしぼませたすみれ色のドレスをもらった。
「デオンのウィンディングドレス作って待っているわ」
「それだけは逆にしてくれ!」
意地でも結婚式だけは拒否してやるとデオンは決意した。
5月21日、皇室一家がインスブルックに移ってウィーン市民をがっかりさせた新聞記事があった。
「メッテルニヒだけでなく、皇帝を追い出したのか」
「革命が成功すれば支配から解放されるんだけどな」
「そしたらマシロちゃんが王様になれるってこと」
リアが客に尋ねた。
「人の姿なら間違いなく王様だ。さすがに太ったトカゲでは……」
「あれはあれで、かわいいんだけどね」
リアの感想で客たちはうなずいた。
5月27日、ウィーンでは市民学生、国民防衛軍の代表からなる公安委員会が作られた。
4月14日に議会が対岸のペシュトに移ってきた。
6月15日から7月1日の間に選挙が行われた。
カフェでも選挙の話題で持ちきりだった。
「ウィーンもこんな感じに落ち着けば、いいのにね」
リアがケーキを置いた。
「向こうの革命が決まらないと、こっちの独立運動も進まないし頑張りどころだな」
「独立できたらあのトカゲも本気だして、元に戻れるかもよ」
リアはウインクして客を動揺させた。
7月5日、ブダで国会が開かれた。
7月25日、イタリアのクストーツァで82歳のラデツキー将軍指揮のオーストリア軍が、サルディーニャ国王アルベルト王率いるイタリア軍を一方的に破いた。
オーストリアはミラノを奪還してロンバルディア地方に赤白赤の帝国旗をなびかせた。
アルベルト国王は退位し、フランスへ亡命した。
ボヘミア首都プラハでも6月以来起こった暴動もヴィンディッシュ・グレーツ将軍の軍によって鎮圧された。




