リッター・デオン
「大変だ」
衛兵たちは剣士へ駆け寄った。抱きかかえたが、剣士は剣をしっかりと握っている。
「キレイな顔だけど女の人かなぁ」
衛兵は剣士の寝顔で清らかな乙女と勘違いした。
「何にしても勲章ものの働きだ」
誰かが剣士を詰め所へ運び、衛兵たちはシカ鳥を数えると54体倒されていた。
「皇帝におうかがいしてくる」
官房宮へ一人が駆けて行った。
ローブの年かさの男たちが青年を囲んでいた。
「そんな弱い心ではだめだ。赤い石は若いそなたでしか授けられないのだ」
「完全な人間になるのに、何を怖じ気ずくのだ」
「○○の石は万能への道なのに迷うことはないだろうに」
目覚めたデオンは兵隊の詰め所で休息していたのに気付いた。
(あれはこの身体の者の遺されたものなのか? 石ころ1つで何であんなに怒られるのだ)
考えてみるとデオンの主な記憶は生前のものだ。彼はふと、1764年ロンドンで政敵ゲルシィ伯爵との争いの中、ルイ15世やニヴェルネ、ショワズール、テルシエらに見限られ、見捨てられたと絶望したのを思い出した。
「私は自分の名前など思い出せたけど、この身体の人物は一体誰なのだろう? 彼の魂はどこにあるのだろう」
タレイランがやって来た。
「お目覚めでしたか。デンマーク王とザクセン王夫妻がシェーンブルン宮殿へ向かいたいので護衛をお願いします」
「英雄殿、おかげで馬車の移動ができました。こんなものぐらいしかお礼ができませんが」
デオンは麦パンをもらった。
「ありがとう。ちょうど小腹が空いていたんだ」
デオンは半分食べて残りをふところに入れた。
広場に行くと2台の馬車が待っていた。デオンは馬車上に乗って御者を守る形で先に南西へ進ませた。
ブルク門を通り星形の厚い城壁を抜けた。
郊外では御者が倒れて放置された馬車と外に出て殺された貴顕たちの遺体があった。周囲のシカ鳥はデオン目指して飛びかかってきた。
日光で輝く剣はいくらシカ鳥を斬っても刃こぼれがせず、切れ味を維持し続けていた。
相変わらず数が多くデオンは腕がだるくなる中、馬車が田園地帯を走り続けた。
突きの連続でデオンはシカ鳥を殲滅させた。
安堵した途端、遠くの大庭園から巨大な黒い狼が地中から出てきた。
「止まれ! あれを駆除しないとだめなのか……」
気が遠くなりそうなデオンは庭園へ進む。
狼の素早い動きについていくのがやっとであった。足腰が重く感じ、呼吸が荒れて狼の突進を受け、土に背中を付けた。
黒狼がデオンの首元へよだれを垂らし、口を近づけた。
デオンは掲げた剣で口内を刺した。
剣を斜めにして下顎を斬り込むと、狼の首が離れた。
橙色の髪の青年が、炎に包まれた刀を手にしていた。
金刺繍の白いフロックコートの青年がデオンに近づいた。
「大丈夫?」
デオンは端正な顔で大柄な青年に体を起こしてもらった。
「ありがとう。君はここの子なのかい?」
「マシロはそうだね。マリア・テレジアのころからいるよ」
マシロは屈託なく答えた。
「は? 私がサンクトペテルブルクでエリザヴェータに会ったころだと……1755年だぞ。君はいくつなんだい?」
「625歳だよ」
笑顔のマシロの答えにデオンは唖然とした。
(いや、待て。私だって85歳なのだから……)
デオンは面倒になって考えるのを止めた。
白鳥が羽根を広げたような、黄色を基調とした宮殿がシェーンブルンだ。
背後に広大な森と高い丘が控えている。
マシロはデオンの頭が胸に付くほど背が高い。さらに白い狼を連れていた。後から来た2台目の馬車が到着した。
「もう獣の驚異が無いのですね」
馬車からタレイランが降りた。
「こんな小柄のお嬢さんが獣たちを倒してくれたのか。これは素晴らしい」
偉丈夫のデンマーク王にデオンは微笑した。
「少しスリルがあって楽しかったわ」
王妃はのんきに振る舞っていた。
「そなたは騎士か軍人かね?」
老ザクセン王が尋ねた。
「私は、ただのデオンです」
今のデオンには過去の栄光なぞ、役立たなかった。
「小市民がそんな軍服を着ているのか?」
「君、市民なの? マシロ、フランツ帝に頼んでやるよ」
マシロは正面玄関へ走って行った。
コート背面の切れ込みの間から橙色の長い牛尾が揺れていた。
王たちは室内へ入った。
「中で休息しましょう」
「外で涼みたいたいからいいや」
デオンはギリシャ様式の柱にもたれて座り込んだ。残りの麦パンを食べて、空を眺めた。
右側に温室の施設オランジェリーらしき建物があった。
大きなガラス窓の向こうに異国の植物があるのだ。
「オレンジあったら食べたいなぁ」
アーチ状の温室に入ると南国の植物が集まっていた。
オレンジの木を発見すると奥に灰色ローブの男がいた。
「テメーか、狼だのシカ鳥だの出しやがって!」
帯剣を抜いたデオンの手前には巨大カマキリが現れ、男は脇のドアで逃げた。
温室に虫、わかる。
温室にカマキリ、わかる。
温室に巨大カマキリ、わからない!
カマキリはカマを振り回し、デオンはステップで避けた。
「カマキリはカマが強いんだよな」
デオンは一番接近したところで右カマを斬り落とした。左カマも容易に叩き斬った。
カマキリが残りの腕を振り回しているところで、デオンは腹下へすべり込み、斬り付けた。
カマキリは息絶えた。
「狼の方が強かった気がする……」
温室を出ると大広場に馬車が集まっていた。太った者とか貴顕たちが優美な宮殿を眺めていた。
シェーンブルン宮はひたすら華美なヴェルサイユより、落ち着いた優雅な趣きがデオンは好きになった。
デオンはマシロに連れられてシェーンブルンに入り、大ギャラリーに来た。
天井は3つの大フレスコ画で白い壁には金色ロココ漆喰が施され、高い窓が両面にたくさん並んていた。
豪華な2つのシャンデリアが吊るされ、デオンは赤い絨毯を進むとヴェルサイユの鏡の間を連想した。
奥に皇帝らしき白い礼服の人がいた。
「そなたはウィーンの街や王宮と、シェーンブルンへ続く道と合わせて膨大な数の怪物を勇敢に倒してくれた。そなたに、マリア・テレジア十字勲章を授けよう」
少しやつれた趣きの中年のフランツ帝はデオンに尋ねた。
「そなたは貴族ではないのか?」
「私はただのデオンですが、ド・ボーモンを名乗りたいです。偉くなると大変なので今は騎士でいいです」
デオンはひざまずいた。
「なるほど。確かに騎士にふさわしい行いだったな。騎士デオンよ。ド・ボーモンと名乗るが良い」
デオンは、まばゆくて白く輝く優美なマリア・テレジア十字勲章を皇帝に付けてもらった。
白銀の勲章はコリンの勝利を記念して女帝が創設したものだ。市民階級の者でも手に入れ、爵位が与えられた。
「これでマシロの部屋に行けるね。一般庶民だと宮殿に入れないからね」
「わしも衛兵から聞かされて驚いたが、独りで50以上の獣を殲滅するとは。そなたをマシロの従者としよう。あれはエルトリアの元王なのだぞ」
(またエルトリアか。良くしてくれるなら別にいいか)
「晩餐会までまだまだ時間があるからマシロの部屋行こう」
デオンはマシロに手を引かれた。
白狼はマシロの後に付いて来た。
2階へ連れられている間、マシロの腰から牛の尾が良く動いていた。彼の頭上には小さな太ったトカゲがいた。
マシロの広い部屋は大きなシャンデリアと陶器の暖炉のあるロココ様式の部屋だ。
窓が大きく美しい庭園が望めた。
「ベッド、でかい!」
王が眠るような大きさであった。
青い絨毯では白狼が寝そべっている。
「そうだ髪留め持ってないか?」
デオンはマシロの束ねた後ろ髪を見た。
「マシロのならあるよ」
青リボンの髪留めでデオンは長髪を後ろに束ねた。
「でも女の人みたいなのは変わらないね」
牛尾の美貌王はあっさりと告げた。デオンは少しすねた。
マシロは尾と瞳色も髪と同じ橙色で珍しいと眺めた。
彼も痩せ型だが、あどけない少年の趣きを残した精悍な青年だ。
「ところでエルトリアってどういう国なんだ?」
「えーとね。今は赤竜と青と黄色の狼に、金のクマとパンダに守られた国だよ。ハチミツが名物なんだ」
マシロは無邪気に答えた。
「余計わからん」
デオンは困惑した。
夕闇になった頃、大ギャラリーで晩餐と宴会が行われた。
フランツ帝と、とても大柄でハンサムなクレメンス・フォン・メッテルニヒ外相も顔を出した。
痩せて顔色が悪い皇妃マリア・ルドヴィッカ。若いロシア皇帝アレクサンドル。
枯れた印象のプロイセン王フリードリッヒ=ヴィルヘルム3世。
ザクセン王にデンマーク王。
バイエルン王に、ひどく太っていてでぶ公ことヴュルテンベルク王フリードリッヒ1世。
後はタレイラン外相とカッスルレー英国外交官などもいた。
デオンはマシロの右隣で七面鳥のソテーやクグロフとトカイ・ワインなどを堪能した。
「こちらの騎士様のご活躍でいい食材が入手できました。この獣肉は食べ放題となります」
シカ鳥のローストが出された。
「わーい、いっぱいあるぅ」
「若いのご苦労であった」
マシロとでぶ公は競って食していた。
続けて宴会が開始された。
「こうして再び平和会議が開かれたのは、この騎士デオン殿がシカ鳥を殲滅してくれた奉公によってもたらされたものなのです」
タレイランがデオンを貴人たちに紹介した。
「そんな小柄なお嬢様があれだけの戦果になるとは。あなたこそ勝利の女神です」
伊達男で巨人のようなメッテルニヒがかしこまっていた。155センチのデオンにはメッテルニヒやマシロと並ぶと、子供みたいでみじめな気分になってきた。
「だから、私は男」
「タレイランかい、この方を連れて来たのは。我々はナポレオン竜騎兵に苦しめられたのに、そんな軍服の者を寄越してさ」
紺軍服のプロイセン王が文句をつけた。
「確かに竜騎兵軍服を着るのはいかんなぁ。お嬢さんはドレスを忘れたのかね。肉はありがたく頂いたぞ」
大きな腹を揺らすヴュルテンベルク王がデオンの肩にふれた。
「だから! 女じゃなくて男なのっ!」
デオンはデブ公へ叫んでも、相手はすまし顔だった。
「そう揉めなさんな。フロイラインはこれしか着るものがなかったのだから。ウィーン会議が再び開かれたのは、騎士デオン殿の……あれ? 君は男だったのか」
メッテルニヒの文言でプロイセン王たちが納得したようにうなずいていた。
デオンの周りに貴顕たちが集まって色々と質問攻めにあった。
宴会が終わってデオンとマシロは共に大きなベッドで寝た。マシロは服をすべて脱ぎ捨てたが、デオンは気にせず眠りについた。
9月29日。会議日程の調整でこの日は行事がなかった。
「せっかくの休みだしマシロ、今日は私の自慢話に付き合ってくれないか?」
豪華なソファーにくつろいだデオンが聞いた。
「いいよ! 聞きたい亅
マシロは尾を振り続けた。