独ソ戦
参考文献
独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 大木毅
独ソ戦完全ガイド 白石光
1941年3月30日、招集されたドイツ国防軍の高級将校たちを前にヒトラーは演説した。
「対立する2つの世界戦の間の闘争。反社会的犯罪者に等しいポリシェヴィズムを撲滅するという判決である。共産主義は未来の途方もない驚異なのだ。我々は軍人の戦友意識を捨てなければならない。共産主義者はこれまで戦友ではなかったし、これからも戦友ではない。皆殺しの闘争こそが問題となる。もし、我々がそのように認識しないのであれば、なるほど敵をくじくことはできようが、30年以内に再び共産主義という敵と対峙することになろう。我々は敵を生かしておくことになる戦争などしない」
4月、ドイツがユーゴスラビア攻撃のためにエルトリア領の通過を求められ、エルトリアは従った。このときにクロアチアは独立した。
6月22日、ドイツ軍はソ連への侵攻を開始した。人種的に優れたゲルマン民族が劣等人種スラブを奴隷化するための戦争が勃発したのだ。
しかしミンスクやキエフの包囲戦などの諸戦闘でドイツ軍は赤軍に大打撃を与えたが、殲滅したわけではなく、赤軍の膨大な数の部隊が編成され、増援が続々と戦線に向かっていた。
ドイツ軍は9月からレニングラード(サンクトペテルブルク)を包囲したまま、クリミア半島の攻略や9月30日からのモスクワ攻略に着手した。
10月中旬からの秋の長雨で道が泥の海となり、ドイツ軍は機動戦を封じられてしまう。
11月に霜が降りて強烈な寒気がドイツ軍に襲ってきた。
12月4日に第2装甲師団はモスクワへ16Kmまで迫ったが、ドイツ軍は赤軍の反撃からの防御と越冬のため攻略を中止した。
かくしてナポレオンを尊敬していたヒトラーは同じ過ちをしてしまったのだ。
1942年6月からクリミア半島のセヴァストポリ要塞の攻略を始め、ソ連側も要塞砲などの火力が強大であった。
ガングート級戦艦の30.5cm主砲を流用した砲台も築かれていた。
堅固な要塞を叩くため、マンシュタイン大将は約1400門もの各種火砲を集めた。
その中に80cm列車砲グスタフが運用され、巨弾で要塞の城壁や拠点を爆砕した。
7月4日に制圧が完了した。




