05-2.サザンクロスのおつかい2
前回の続きです。
邸の外は昨日と同じで、ぽかぽかと暖かな陽気に包まれていた。
穏やかな風が、サザンクロスの髭を揺らすように吹き抜けて吹いく。昼寝をするにはもってこいの気候だ。
だが今日のサザンクロスはそれらを堪能する暇はない。
(アイナに会うのが最優先! おつかい、おつかい!)
主がこれから会いに行く少女へ宛てた手紙を咥えながら、サザンクロスは青々とした空の下を走っていた。
クロードから預かった手紙に穴が開かないよう細心の注意を払いつつ、人々が行き交う王都を突き進んで行く。
(いつ見ても、街は大きいものでいっぱいだなぁ……)
美味しそうな香りが漂う店の隅で、サザンクロスは街の様子をじっ……と窺っていた。
街の道路には、馬車や魔道具で動く自動車が忙しなく行き交っている。
魔道具とは、魔石という、魔力が宿った石をエネルギーとして使う道具の事だ。
人間国は、人間特有の物を生み出す知恵を使い、他の国よりも上等な魔道具を開発している。サザンクロスの目の前を走って行く自動車も、その内の一つだ。
人間は他の種族より魔力や筋力が少ないものの、生み出す知恵はとても豊かで、その知恵が彼らを生かしてきた。
知恵の結晶である質の良い魔道具は、他国でとても重宝されている。人間国の貿易の強みでもあった。
そんな魔道具の一つである自動車は、実はここ最近発明されたばかりの物だ。そのため生産数が少なく扱える者も限られるため、まだ市場に出回る数は少ない。
しかし、それも今だけ。その内もっと多く走るようになるだろう。そうなれば、色々な問題も浮上してくる。その一つは、事故だ。
(あんなのに轢かれたら身体がぺっちゃんこになっちゃうよっ)
あんな大きな物に身体の小さい者が轢かれたら、一瞬であの世行きだ。一度、野良猫仲間が轢かれたのを見た事があったが、今思い出しても恐怖に身体が震える。サザンクロスや他の小動物にとって、自動車は魔王みたいなものであった。
(まぁ、潰して来そうなのは車だけじゃないけど)
道路の脇にある歩道はそれなりに広いものの、徒歩や自転車で通り過ぎる人間が多い。誤ったタイミングで飛び出せば踏み潰されてしまいそうだ。自動車よりはマシだろうが、無事では済まないのは確かだ。
(あーんな場所に出ていくのは、やっぱり無謀だよね……)
サザンクロスは店の裏に回ると、人気のない路地裏を物陰に隠れながら進んで行った。
山積みになった木箱の裏や、時に他の邸の庭を横断して行く。時に高い場所から確認しつつ、勘を頼りにアイナと出会った場所へと向かった。
時折烏が上空を飛んで行くが、どうやら気付かれてはいないらしく、順調に進む事が出来ている。
(さすがに昨日の今日で捕まるのはゴメンだしねっ)
傷が完治しているためずっと前の事のように錯覚するが、烏に襲われ怪我をしたのはつい昨日の事だ。次襲われれば、クロードは確実に外に行く事を拒み始める。それ以前に、烏からまた運良く逃げられるかどうかも不明だ。どっちに転んだとしても、アイナに会いに行けなくなるのは確かだった。
(それだけはゼーッタイに嫌! ていうか街って危険がいっぱいだね! そりゃクロードも渋るわ!)
クロードが出かける事に難色を示していた理由を、サザンクロスはようやっと思い知った。
こんなにも危険が溢れているのに加え、毒殺までしようとする者までいるのだ。行ってほしくない意思の方が働くのは当たり前だと、当の本人でさえそう思ってしまう。
(でもゴネンね。どうしてもアイナには会いたいんだよ……ちゃんと無事に帰るからっ)
クロードに内心詫びつつ、アイナの屈託のない笑顔を思い出して、自然と足が早くなる。
どうしてこんなに気になるのか……助けてもらい、仲良くなったからと言うには理由が弱すぎるが、こうして折角出会えたのだ。会いに行けなくなるのは嫌だった。
(さてと……そろそろ昨日の場所だと思うんだけど)
見覚えのある塀を見付けたところで、サザンクロスは足を止め、キョロキョロと周囲を見渡した。
行きは烏に捕まり空を飛んでいたので気付かなかったが、随分と立派な塀を飛び越えていたのだなと、昨日の帰り際、人目を盗んで門から出ていった時にそう感じたのだ。
その時の門が見える筈だと探すも、右を見ても左を見ても塀が続くだけで、肝心の門は一向に見える気がしない。人の気配も少なかった。
(仕方ない……歩くか~)
きっと塀伝いに歩いて行けば門に着く筈だと、気合いを入れて歩き始める。歩くのは嫌いじゃない。
(しっかしま~……おっきい邸だねぇ)
入り口を目指して歩きながら、隣の巨大な壁を観察する。
クロードの邸も同じで、この壁の向こうには池も庭もあり、人間もウジャウジャ住んでいる事をサザンクロスは知っている。それもたった数人の世話のために住んでいるというのだから、人間は物好きなんだなぁ、と、その様子を見る度に彼女は呆れていた。
(でも、アイナがいた場所は、なんかちょっとちがった……不思議な場所だったな)
昨日アイナと出会った場所は、クロードの邸の庭のように、きっちりと整えられている訳ではなかった。雑草木々も元気良く生えている、街から急に森に入ったような神秘的な場所であった。
そんな自然の心地よさを感じる場所に、明らかに手を加えられた薔薇が咲いていた。その周辺には雑草は生えておらず、花壇の土も、地面の物とは若干違っていた。何というか、綺麗なのだ。
(……あの時の香りを辿れば良いのか)
アイナの手からした匂いは、地面の土ではなく花壇の土だ。同時に、ピンク色の薔薇の香りと、アイナ自身の森の香りも良く覚えている。
(そうとわかれば突き進むまで! ふふーん。猫の嗅覚なめないでよね!)
目を瞑り、鼻だけでなく口からも空気をゆっくり吸い込んでいく。すれば風に乗って運ばれて来たであろう求めていた香りが、サザンクロスの鼻腔を擽った。
(お、あっちか!!)
風の吹く方へ暫く走れば、塀越しに香りが強まった。壁一枚分向こうに、求める人がいるのを確信させる。
見付けた喜びに舞い上がるサザンクロスだが、一つだけ問題があった。
(ど、どーやって向こうに行きましょ……?)
何処か入れそうな場所を探すも、抜け穴もなければ登れそうな木も生えていない。ただただ背の高い塀が続いているだけであった。
さてどうしましょう……と頭を抱えた瞬間、サザンクロスはある事に気が付いた。
(アタシ、猫じゃん……)
ハッ として、塀を見上げる。
野良時代、仲間が目の前の塀と同じ高さの塀の上で寛いでいた事があった。
あの時「どっから上ったの?」と聞いたら怪訝な顔をされた。「何言ってんだ?」と言いたげだったその顔は、もしかしたら、普通に飛び乗っただけだったからなのかも知れない。
(途中で壁を蹴れば上まで行けるかも……)
ゴクリ と、息を飲む。
今この場において、頼れるのは自身の脚力しかない。
けれど不思議な事に、一度『行ける』と確信すれば、失敗よりも成功するイメージしか湧かなかった。
(大丈夫! 私の足は、たまにしつこいクロードたちの顔を押し返す力があるんだから!)
脚に力を入れて、地面を思いっ切り蹴る。天辺までは届かないので、途中で駆け上がるようにして壁を蹴れば、あっという間に塀の上へとあがってしまった。
(うそ……! 乗っちゃったよアタシ!! なーんだやれば出来るじゃん! 何で出来ないって思ってたんだろ!)
不可能を可能にした喜びに気分も上々だったサザンクロスだが、調子にのり過ぎて足を踏み外し、そのまま邸の敷地内に転がり落ちた。
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