04-3.魔導師と宰相3
※4話ラストです。
※次の更新はまた週始めを目指しています。
冷たくなった妻の遺体を抱き締めながら、グラシアは家の事を彼女に任せっきりだった己を恥じ、責めた。
放置していた訳ではない。従者を通して連絡もしていた。しかし迫る危機から守ってやれない時点で放置していたのと同じだ。そんな自分が許せなかった。
そして同時に、犯人に対して復讐の炎が燃え上がる。
『見ておれ……必ずや、必ずや地獄の業火に放り込んでやる!!』
報復の道を歩み始めたグラシアだが、彼の悲劇は止まらない。
今度は一才になったばかりの愛娘が拐われた。
娘がいない事に気付いたのは、グラシア本人。
暫くの間抱き締めていた妻の亡骸を、ガラス細工を扱う様に優しくベッドに寝かせたグラシアは、そのままティエラの部屋に向かった。
煮え滾る怒りはあれど、大切な人を亡くしたばかりで、もう一人の大切な者を忘れるほど愚かではない。
母がいなくなってしまった今、父がしっかりしないでどうするんだ、と己に言い聞かせながら、グラシアは彼女の部屋のドアをノックして、ゆっくりと扉を開けた。
『ただいま、ティエラ。遅くなってすまないね』
腹の底に渦巻く憤怒を抑えながら部屋に入る。何も知らずに侍女と遊んでいる筈の娘の名を呼んだ……が、いつもなら聞こえて来る筈の可愛らしい声が返ってこない。その前に、侍女の姿すら何処にも見当たらなかった。
『……ティエラ?』
焦燥感に突き上げられるように、グラシアは室内を見回した。物陰も覗いて確認した……が、娘の姿は何処にもない。
『……ハハッ、アハハハハハッ!』
気が狂ったようなグラシアの笑い声は、邸中に響き渡る。
その姿を見ていた執事は、後に『異国の伝承に記される鬼の様だった』と、当時の主をそう振り返った。
*****
その時から、グラシア・シュレイバーは妻の仇討ちと、拐われた娘の奪還を実現するべく生きている。
事件から十六年も経っているが、一日たりとて悲しみと憎しみを忘れた事はない。
そんなグラシアだが、決して希望がない訳でもなかった。
浄化の力を持つティエラがいなくなっても、綺麗になった空気や土は再び汚れる事はなかった。もしティエラが死んでいれば、汚染の対策をしていない王都は再び汚れていただろう。しかし変わらない上に日々綺麗になっているのは、ティエラがこの王都の何処かで生きている証拠だ。だからグラシアは諦めない。
「君も来てくれた事だし、このまま一気に解決したいところだよ……従姉妹姪も助けなきゃならないしね」
十六年間、娘の気配を傍に感じるのに手が届かない状況は地獄のようだった。そんな日々が、男──シリウスの登場で大きく変わろうとしている事に、グラシアは期待せずにはいられない。
「俺もサザンクロス……クリスティーナの再従兄弟に会ってみたいですからね。それに、こちらの問題にも繋がっていますから、全力で取り組みますよ」
貰ったマドレーヌを食べるシリウスに、「それはそれは……期待しているよ」と、グラシアは微笑んだ。その目は笑っていないが、浮かべる色はまだマシに見える。
「ところで、君の方はどうだったんだい? さっきも会ってきたんだろう?」
「会って来ましたよ。クロードが血相変えて連絡してきたので何事かと思いましたが、結論から言えば大丈夫でした」
先ほどまで甘やかしていた白猫を想う。
シリウスが三年間ずっと捜していた小さな存在は、再会した時から“普通の猫”として生活している。何も覚えておらず、本物の猫の様に日々を過ごしている彼女に、今はまだ、真実を教える気にはなれなかった。
「何も変わらずでした。ただひたすら可愛いだけでしたよ」
「そうか……せっかく再会出来たのになぁ。君も報われないねぇ」
「仕方ないですよ。今真実を教えたところで信じてなどもらえませんし、彼女の性格上突っぱねるでしょうから」
三年の間、大切な人を捜していたシリウスにとって、相手が記憶を失っている事は予想の範囲内だった。強いて言えば、自分の事を本物の猫だと思い込んでいるのは予想外だったが、生活が過酷な事も大方想像通りだった。
そんな彼女に「君は実は猫じゃなくて猫の獣人なんだよ」と言ったところで信じてはもらえないだろう。せめて本人が少しでも疑問を持ってくれないと話にならない。
「取りあえず、嫌われてないだけマシだと思う事にします。それに、今の彼女の姿は、夫人の件の立証にもなりますから」
グラシアの妻・フィオナの殺害に関して、シリウスは仮説を立てていた。だがその方法は現実的でないのに加えリスクが高すぎる。故に他の仮説より後回しにしてしまっていたが、己の愛しい人が“呪い”を受けた事で、半分捨てていた仮説が一気に浮上した。それもほぼ確定として。
(クリスティーナと同じ様に、普通の獣化の呪いを受けた上で刺されていたなら、錆び付いたナイフで一突きも不可能じゃないし、身体半分だけ埋められていたのも想像がつく……埋められてから人の姿に戻ったんだ)
小さい身体なら、いくら錆びていようがナイフを突き刺す事は難しくない。埋める穴の深さも人間と比べればずっと浅くて済んでしまう。人間の大きさに戻れば、身体の半分が外に出てしまうのも不思議ではなかった。
「フィオナの死の究明に繋がるのは嬉しいけど……そんな都合が良いみたいな扱いは
ねぇ? 婚約者でしょ?」
「それは重々承知しています……が、今回ばかりは貴方も頼る他ないと思いますよ」
「そうだねぇ。フィオナの件は、彼女の姿が重要なのは確かだからね」
「それだけじゃありませんよ」
シリウスの意味深長な台詞に、グラシアの表情が固まった。
どういう事かと、灰色の瞳がシリウスを射抜く。対するシリウスは面白いとでも言いたげに目を細めた。
「ティエラ・シュレイバーの特徴に酷似する者を見つけました。クロス……クリスティーナが偶然にもね。まさか、記憶がなくても任務を遂行するとは思いもしませんでした。本当……最高ですよ」
今頃丸くなって寝ているであろう愛しい人を想い、シリウスは笑った。
読んで下さりありがとうございます!
*ちょっと小話*
当初この話を練り始めた時、実は獣人や竜人といった種族はおらず、白猫が不遇される少女と飼い主の騎士の恋のキューピッドになる単純なストーリーでした。シリウスも獣人ではなくただの黒猫で、サザンクロスと一緒に行動するようになるキャラでした。
そんな単純ストーリーが今の時点で複雑化しておりますが、お付き合いして下さると嬉しいです。
※サザンクロスとシリウスの恋は二章から徐々に進んで行きます。