罪
「精霊様ももう運命だと…」
聖女クリスタは悲しげに首を横に振った。
ベッドには白い顔をした美しい女性が寝ている。
「嘘だ。この前は大丈夫だったじゃないか!」
悲痛な声が上がる。この国の若き王ウィルヘムだ。藍色の髪を乱し、縋るように青い瞳が揺れている。
「あの時はまだ手があったのです。今はもう…」
「嘘だ、クリスタは嘘を言っている。母上が死ぬはずない」
ウィルヘムは女性にかけられた寝具を握りしめ、信じないと呟いていた。五年前に父王を亡くし、幼くして王となったウィルヘム。その傍らには病弱であるが、幼い息子を支える王后の姿が常にあった。ようやく執務を一人で行えるようになり、王后をやっとゆっくり休ませられると思った矢先のことであった。
神官が聖女クリスタの肩を叩く。もうどうすることも出来ない。聖女クリスタは一礼してその場を後にした。
数日後…。
聖女クリスタは、兵士に拘束され謁見の間に引っ立てられていた。間には高位貴族も集められ、何事かと成り行きを見守っている。
王座には若き王ウィルヘムが立っていた。
「…。この偽聖女め。母上は助かったぞ」
王座の後ろにある扉から出てきたのは、ベッドで寝ていた女性だった。白かった顔色は血色がよくなり、キヒキビした動きで王后の席にさっと座る。
聖女クリスタの顔が血の気がひき、ワナワナと体が震えていた。
ウィルヘムはそれは嘘がバレたからだと思い、その形のよい眉を寄せた。
「ウィルヘム、さま…、その方は…」
「私の母上に決まっているであろう。アイリン、聖女アイリンが助けてくれた」
スッと白い衣裳を纏った女性がウィルヘムの隣に立った。
金茶の髪をした美女だ。貴族の中で一番の力を持つベラマカ公爵家の令嬢でもある。
「あ、アイリン、さま…、なんてくるしみをおあたえに…」
震えながら紡がれるクリスタの言葉をウィルヘムは一蹴する。
「戯れ言を」
ふんと鼻を鳴らし、ウィルヘムは高らかに宣言した。
「クリスタから聖女の名を剥奪し、アイリンにその名を与える。故に私の婚約者もクリスタからアイリンとする」
謁見の間に集まった貴族たちから拍手が起こる。死を宣告されていた王后が元気になったのだ。これを聖女の奇跡と言わずとして、何を奇跡と言うのか。
「罪人クリスタを牢へ。取り調べ後、魔の森に追放とする」
ウィルヘムの言葉に今度はざわめきが起こる。王后を助けられなかったとはいえ、クリスタが聖女として起こしてきた功績は数えきれない。それを無視して、魔物が闊歩する森に追放など刑が重すぎるのではないか。
「クリスタには母上に死の呪いをかけた疑惑がある。処刑せずに魔の森に追放するのは恩情だ」
その場にいた者たちは顔を見合わせた。王后の体調の悪さは持病であり、医師も打つ手がないと数年前に匙を投げた状態だった。それが今まで持ったのは、精霊が見えるクリスタのお陰だと知っているからだ。だからといって、それをここで口にするわけにはいかない。クリスタと同じように罰せられてしまう。
ウィルヘムはクリスタを押さえている兵士たちに部屋から連れ出し、牢に入れるように指示をした。
「アイリンさま、今なら苦しみも悲しみも小さくて済みます。精霊様のお力もまだ健在です」
兵士たちに引き摺られながらも王座の方を向き、クリスタは必死に叫ぶ。取り返しがつかなくなる前に早く、と。
「偽聖女のクリスタ様は何を仰っていらっしゃるのかしら? 自分の力不足を棚に上げていらっしゃるだけだとお気付きになられたらどうです」
アイリンは薄茶の瞳を猫の目のように歪めると妖艶に微笑んで兵士に連れられていくクリスタを見送った。
小さな小部屋でウィルヘムとクリスタは対峙していた。クリスタは質素な椅子に座っていた。
金糸の髪はボサボサになり、顔も服も薄汚れている。それでもクリスタの美しさに影を落とすことはなかった。
「クリスタ、慈悲をやろう」
ウィルヘムは口元を歪ませ冷たく言った。自分を欺いたクリスタが許せなかった。
聖女としてのクリスタを敬愛していた。女性としてのクリスタを愛していた。
だが、クリスタはウィルヘムを裏切った。それも最悪な形で。
「罪を認めて母上とアイリンに詫びるのだ。魔の森への追放は無しにしてやろう」
金糸の髪を揺らしながら、クリスタは首を左右に振る。
「陛下。目を覚ましてください。王后様は命の終わりをお迎えだったのです」
ウィルヘムをまっすぐ見つめる翡翠の瞳に悲しみはあっても陰りはない。
「陛下の後ろにいらっしゃる精霊もそう申しております」
クリスタの持つ精霊眼。人を守護する精霊を見ることが出来、声を聞くことが出来る。平民の孤児であったクリスタが聖女になれた証。
「嘘だ! 私の精霊がそんなことを言うはずがない」
ウィルヘムは知らないうちに腰にある剣に手をやった。
クリスタは揺らぎない瞳で真っ直ぐにウィルヘムを見つめている。その瞳で見られるのが辛い。ウィルヘムの弱さを全て暴いてしまいそうで。
「このままでは、王后様の精霊が喰い尽くされてしまいます。精霊が抑えていらっしゃるうちに…」
「うるさい!」
ウィルヘムは剣を抜き払った。血が線になって飛ぶ。
「クリスタ様!」
衝撃で椅子から転げ落ちたクリスタを近くにいた兵士テムが支え起こす。
クリスタの両目には一文字に剣先が通った跡があり、血が溢れ出している。
「その目があるから悪いのだ!」
斬りつけた感触にウィルヘムは震えていた。
己がクリスタを斬りつけたことが信じられなかった。
クリスタの翡翠の瞳が好きだった。いつもその瞳に自分の姿だけを写したかった。
けれど、その瞳はウィルヘムが欲しくない言葉をクリスタに言わせる。今のウィルヘムにはいらない。
ウィルヘムは差し出された布で剣先に付いた血を乱暴に拭き取った。赤く布が汚れる。クリスタの血、ウィルヘムが傷つけたから流れたもの。
ウィルヘムがクリスタを斬った証。
思わず布を床に投げ捨てる。
もう、クリスタは何も見ることが出来ない。ウィルヘムの姿もその瞳はもう写さない。
その事実に愕然とする。
涙のように血を流すクリスタを見ていられない。
「手当て不要だ。今すぐ魔の森へ連れていけ!」
そう言いつけると、ウィルヘムは足早にその場を去った。
「申し訳ありません、クリスタ様」
テムは謝った。ウィルヘムは手当てをするなと言ったが、手当てをしないという選択肢は彼にはなかった。仲間の兵士たちも誰もそれを止めようとはしない。テムの妹はクリスタの力で助かっていた。それを彼らも知っていた。
出来たらクリスタを逃がしたい。一介の兵士である彼らには無理なことだった。