89.聞いてくれと頼んでないけど?
ご飯が終わって、というよりはもう食べられなくなってギブアップするとデザートの珈琲が出てきた。
数人のメイドさん、いやウェイトレスさんが手早くお皿などを下げる。
もともとテラス席なので僕たちはこのまま。
珈琲は美味しかった。
「いい豆使っているみたいだね」
「そうでしょうか。
いえ、もちろんダイチ様が召し上がる以上、そうでないと困りますが」
比和さんの言い方だと僕が不満でも漏らしたら誰かの首が飛びそうだ。
滅多な事は言えない。
「僕も珈琲好きではあるけど別に拘りがあるわけじゃないからね。
美味しい珈琲とそうじゃない物の区別は出来るけど豆の種類も知らないし」
「私などはもっと酷いです。
正直言って珈琲や紅茶などカフェイン入り覚醒剤としか思っていません」
比和さんがあっさりバラした。
覚醒剤は言い過ぎだけど、つまりは眠気覚ましか。
僕も実はそうだったりする。
香りを楽しむとかそういう大人の感覚とは無縁なんだよね。
ちなみになぜ紅茶じゃなくて珈琲なのかというと紅茶は露骨にトイレに行きたくなるからだ。
しかも眠気が消えない。
同じカフェイン入りの飲み物なのに不思議だ。
尚、コークはただの好みだから。
「まあ、珈琲は何となくデザートという気がするよね」
「はい。
トロピカルドリンクや緑茶ではこの雰囲気は出ません」
比和さんと感覚が一致した。
やっぱり比和さん、僕と似ているのかも。
抜群に美味しい食事を作れる癖に自分は美食家というわけでもない。
食べる事を作業の一種だと思っている節がある。
仕事中毒か(泣)。
まあ、そんなことはどうでもいい。
一緒に食事をしたのはいいとして、この後どうするべきか。
「比和さんはこれから何かやりたいことある?」
聞いてみた。
比和さんは何か言おうとして紅くなった。
あー、それね。
一緒にメイドアニメを観たいというような要望は無理だと思う。
そんなことをしたら僕、他の人たちにも果てしなく同じような事をしなければならなくなる。
だとすればプールかな。
巨乳の美女と一緒に泳ぐというのはラブコメの定番だけど、やっぱりそれも勘弁して貰いたい。
だって二人でそれをやったら以下同文。
だとすればあれか。
「娯楽室に行こうか。
信楽さんとはビリヤードやったし比和さんも何か試してみたら?」
提案してみた。
これなら外野から文句は出まい。
ていうか娯楽室で遊んでいる限りは何人増えても大丈夫だ。
遊んでいるうちに信楽さんやパティちゃんが起きてきたら混ざれるし。
「はい!
ダイチ様。
私もビリヤードやってみたいです!」
やっぱそうなるよね。
というわけで僕たちは娯楽室に向かった。
信楽さんとパティちゃんにはメッセージを送っておく。
ご飯の後、来る気なら来るだろうし。
碧さんに聞いてみたら今日、静村さんは矢代邸には戻らないということだった。
相変わらず競技用プールで泳いでいるらしい。
短いコースしかない矢代邸には必要な時だけ滞在するつもりか。
「そうですね。
シズシズはあまり積極的に遊ぶ性格ではありません。
プールがあれば後は何もいらないそうです」
静村さんの事をシズシズと呼ぶのはもう比和さんくらいだろうな。
自由形の女子水泳世界選手権保持者だもんね。
まあ比和さんもそれに匹敵するくらいの名声を得ているんだけど。
「海や河じゃなくてもいいの?
龍神なら自然を好みそうだけど」
「前に聞いてみたことがあるのですが自然はあまり好きではないそうです。
普通にゴミや腐った堆積物があるので。
その点、人間が作って完璧に管理されているプールは素晴らしいと。
有害物質がない上に水質や物質濃度も調整されていますしPHも完璧だそうです」
そうなのか。
依代なんだから大自然と一体化しているとばかり。
「でも龍神って沼とかに棲んでいる印象があるよね。
後はでかい湖とか」
「シズシズの場合は本人も言ってましたが『人間が考えた龍』なので。
別に自然が好きだとか環境破壊に怒るとかはないそうです」
知らなかった。
言われて見ればそうかもしれない。
僕たちが「自然」と言われて想像するのって森林浴が出来そうな森や綺麗な湖、雄大な山とかだ。
確かに綺麗で素晴らしく見える。
でも実際の「自然」って汚いんだよね。
有機物はほっとくと腐るし山肌は荒れる。
埃や汚れはすぐにくっついてくるし、植物だって手を入れなければ魔境化する。
廃墟が汚いのはみんな判っているけど、自然って全体があんな感じなんだよ。
静村さんは女性だから、そういう部分を忌避する気持ちが強いんだろうな。
「私も前世では辺境の村などで生活した経験がありますのでシズシズの言う事も判ります。
自然は汚いですよ。
所謂清潔さとは無縁です」
言い切った比和さんの口調が鋭かった。
メイドだもんね。
メイドの仕事って不潔さとの戦いみたいなものだし。
しかも絶対に勝てない。
局地戦で一度は勝っても汚れや埃はすぐに攻め寄せてくる。
永遠の防衛戦を強いられているわけだから自然なんか好きになれるわけがない。
「確かに僕も自然とは直接触れ合いたくないな。
遠くからというよりは画面越しに眺めているのが一番いいかも」
つい言ったら比和さんが感激して手を握りしめて来た。
「ですよね!
人類文明の存在意義は自然との闘いだと言ってもいいくらいです!
私共メイドはその闘いの最前線に立つ闘士!
埃や汚れは敵です!」
そこまで(泣)。
比和さんってやっぱり本質的にメイドなんだなあ。
でなければ自然が敵だなどと断言するはずがない。
正確に言うと「自然」自体が敵なんじゃなくて、むしろ時間かも。
何もかも汚していくのは時間経過によるものだから。
つい哲学的になってしまった所で娯楽室に到着。
何かもう疲れている気がする。
(精神的な疲労だろうな。
俺も聞いているだけで疲れた)
無聊椰東湖が溜息交じりに言ってきた。
聞いてくれと頼んでないけど?




