64.信楽さん、口元が笑ってない?
信楽さんが「今のは何という技ですかぁ」と聞いてくるのを曖昧に誤魔化して、今度はきちんと打ってみた。
手玉は的玉に真っ直ぐ当たったけど変な回転がかかっていたみたいで的玉はポケットを逸れた。
「今のが下手な人の動きね」
「……つまりぃその数字が書いてない白い玉を棒で突いてぇ、数字が書いてある玉をぉその穴に入れるとぉ」
「そう。
数字が書いてあるのは的玉といって、直接突いたら反則ね。
的玉に当てる順番は数字順」
「つまりぃ、最初は一番小さい数字の玉に当てるとぉ」
さすがは信楽さん。
ちょっと説明しただけでナインボールのルールを大まかに理解してしまった。
その後、ラックで的玉をまとめてからブレイクショットをやってみた。
パカン、と僕にしてはいい音がして適度に的玉が散らばる。
「なるほどですぅ。
玉がぁどこに散らばるのかはぁ判らないわけですかぁ」
「そう。
この状態で手玉をまず一番の的玉に当てる。
ていうか台に残っている一番小さい数の玉ね。
手玉も動かせないから結構難しいよ」
手玉が運良く一番の的玉が直接狙える位置にあったのでそのまま打ってみた。
当たったけど的玉は穴に入らなかった。
「とまあこんな具合。
今は真っ直ぐ当てられたけど他の玉が邪魔になったりして直接狙えない場合もある。
その場合は壁に反射させたりカーブするように打ったりして何とか当てる。
上級者はジャンプさせたりして」
「当てればいいんですかぁ?」
「いや。
的玉を最低ひとつはどこでもいいけど穴に入れないと交代。
もちろん的玉に当たらなかったり他の玉に最初に当たったりしても同じ。
ちなみに手玉が穴に落ちても交代になる」
ふむ、と考え込む信楽さん。
ビリヤードってルールもそうだけど道具も物理法則ありありで作られているんだよね。
例えばキューで玉を打つ場合、当たる瞬間にちょっと逸らしたりねじったりすることで玉を回転させたりジャンプさせたり出来る。
もちろんキューを当てる位置も重要だ。
真ん中を打てば無回転で打ち出されるけど、上の方を打ったら前進方向に回転するし、下なら逆進する。
左右に逸らせるとそういう回転がかかる。
台は壁で囲まれていて、そこに当てれば物理法則に従って反射する。
玉が回転とかしていない場合、入射角と反射角が一緒だ。
つまり技次第で色々出来るということで。
僕はそんな技なんか全然使えないから真っ直ぐ打つだけだけど。
ど素人(笑)。
「……何となく判ったですぅ。
でもぉ、練習しないとぉ競技にはならない気がしますぅ」
「それはそうだよ。
スポーツなんだし」
野球でもサッカーでも理論だけじゃどうしようもないよね。
だけどビリヤードは競技というよりは遊びだから。
「僕たちレベルだと勝ち負けはあまり関係ないんだよ。
一応、9の的玉をポケットに落とした方が勝ちということになってるけど。
それより上手く打てたり穴に同時にいくつも入ったりする事が面白い」
「なるほどぉ」
「競技ビリヤードの選手でもない限り、勝ち負けをあまり気にする人はいないと思う。
そもそも腕が違いすぎる人とやっても面白くないし」
そう、僕の持論ではビリヤードって自分との勝負というか、楽しんだ者の勝ちだ。
相手はいるけど勝敗は関係ない。
実際、一人で黙々と玉を突き続けている人って時々いるもんね。
「判ったですぅ」
「どう?
つまらないのなら別の事でもいいけど」
「やりますぅ。
とりあえずぅ今日はやり方を覚えるですぅ」
口調は淡々としているけど信楽さんが燃えていた。
火をつけちゃったみたい。
信楽さんって本当は負けず嫌いなんだよね。
でも頭脳戦だと何をやっても勝ててしまうから本気にならない。
逆に身体を使う遊びは大抵の人に負けるからやらない。
ビリヤードって頭脳と身体の両方を使うから信楽さんに向いているかも。
技術は必要だけど体力や運動神経は大して要求されない。
むしろ頭脳というか演算能力が重要だ。
運の要素も大きいしね。
実は僕がやっているのもそれが理由だったりして。
親父も(泣)。
体力がないのは遺伝だ。
「それじゃあ一勝負してみようか」
「はいですぅ」
というわけで僕は説明しつつ信楽さんと試合した。
いや試合じゃないな。
僕が打つ度に信楽さんが「狙った玉じゃない玉が穴に落ちてもいいんですかぁ?」とか「手玉はどこでも自由に置けるんですかぁ?」とか聞いてくるんだよ。
その度に僕はプレーを中断して説明したり、必要なら玉を戻してやり直したりした。
ちなみにナインボールの場合、手玉を突いて最初に当てるのが的玉(台に残っている一番小さい数字の玉)なだけで、後は何に当ててもいい。
極端に言えば手玉を最初に的玉に掠らせればそれでいいわけで。
どっちかというとそうやって手玉の進む方向を変えて他の玉を落としに行くのが主流だったりする。
手玉をポケットに落としたら交代だけど、その場合次の人は手玉を台のどこに置いてもいい。
的玉を置く場所は決まっているんだけどね。
「面白そうですぅ」
信楽さんの目が輝いていた。
「気に入ったみたいだね」
「はいですぅ。
凄くぅ論理的なゲームですぅ。
自分がぁ玉を落とすだけじゃなくてぇ、相手がやりにくくするとかぁ、わざと白い球をぉポケットに落とす工夫も出来そうですぅ」
もうそこに気がついたのか。
そう、ビリヤードってむしろ相手のミスを誘う事が勝利条件な部分もある。
普通、そんなのは競技ビリヤードでしかやらないけど。
「まずはゲームが出来るようにならないとね」
「はいですぅ。
玉がぁポケットに落ちないとぉゲームが終わらないですぅ」
そうなんだよ(笑)。
ビリヤードに時間制限はない。
最後の的玉が落ちるまではいつまでたっても続いてしまう。
どっちかがある程度上手ければそんな悲劇は回避されると思うんだけど。
「練習するですぅ」
「それは一人でも出来るから、今日はとりあえずゲームしようよ。
せっかく二人でやってるんだし」
実はナインボールって何人でも出来るんだよ。
一人で玉を突き続ける事も出来る。
もちろん邪道だけど、例えば3人でやってもゲームにはなる。
勝利条件が9番の玉を落とすことだから、それをやった人が勝者だ。
信楽さんが思いついたように言った。
「例えばですぅ。
ブレイクショットでぇ9番の玉が落ちたらぁどうなるんですかぁ?」
「その時点で勝負あり。
それを狙ってブレイクする技もあったりして」
あれは漫画だけどね、と言おうとして気がついた。
信楽さん、口元が笑ってない?




