希代の魔女と、騎士団筆頭とお邪魔虫
豪華絢爛という言葉がぴったりな王宮のホールの中で、私はすでに帰りたいと思っていた。
「まぁ、そう言うな
陛下たっての願いなのだから、仕方あるまいよ」
「とかなんとか言って、師匠はいつも理由をつけて行かないじゃないですか」
貴族たちが談笑している中で私と師匠は小声で話す。王宮仕えであり、希代の魔女ともいわれる師匠は、いつも通り分厚いローブに身を包み、彼女が魔力を練って作り上げた杖を片手に持っている。弟子の私も似たようなものだ。
周りにいるこれでもかと着飾った貴族たちからは見劣りしてしまう。私自身がドレスを着たかったというのもあるが、何よりも美人である師匠がドレスを着ていないのはもったいないと思う。
黒い髪に赤い瞳を持つ彼女であれば、きっと素敵なドレスが似合うに違いない。
「うん、美味いなこれ」
そんな私の師匠は、テーブルに乗せられたタルトに夢中である。普段研究に没頭しているためか、こうした食事には感動を覚えるらしい。
「やだわ、殿下の誕生パーティなのに
あんなみすぼらしい恰好をするなんて」
「王宮仕えとはいえ、やっぱり魔女は魔女なのね
ドレスすら着ないで来るなんて」
くすくす、ひそひそ。耳についたのは貴族令嬢たちの笑い声だ。ちらりと見れば、皆豪華なドレスに身を包み、扇子で口元を隠しながら笑っている。
怒りが沸かないはずがない。
大好きな師匠がバカにされているのだ。
お前らが逆立ちしても、師匠には敵わないというのに!
「ストップ」
「師匠……」
気が付けば、足があちらの貴族に向いていたらしい。師匠に肩を掴まれて停止する。何故止めるのかと思ったが、師匠はにこやかに笑うだけだ。
「言わせておけばいいよ
あの子たちは何も知らないのだから」
「でも!」
「レティシア、お願いだ」
わかりました。としずしずと引き下がる。そう言われてしまえば、従う他なかったのだ。
しょんぼりとした私を見た師匠は少しだけ苦笑しつつ頭を撫でてくる。子供じゃないと抵抗したが、まだまだ子供だと言われてしまった。
「アメリア! すまない」
「やぁ、ジョージ」
そんなやり取りをしていれば、後ろから師匠を呼ぶ声が聞こえる。振り返れば、王宮騎士筆頭のジョージ様がそこにいらした。
慌ててお辞儀をすれば、ジョージ様は片手で制す。姿勢を正せば、私のことはすでに視界に入っていないジョージ様は師匠の手を握って幸せそうに笑っていた。
うん、お邪魔虫はそっと消えるべきか。
「ジョージ様! 今日はわたくしのエスコートをしてくださるはずでしょう!」
うんうん、と頷いていれば耳をつんざくような声。思わず耳を塞いで振り返れば、金髪碧眼のお人形のような少女がそこに立っていた。年齢は私と同じくらいか。きりりっと吊り上がった眼を見れば、彼女が相当怒っているのがわかる。
これは面倒なことになりそうだ。
「あぁ、ごめんよ。バーバラ」
ジョージ様は苦笑いを浮かべつつ、バーバラと呼ばれた少女の元へ向かっていく。たしか、バーバラ・カーターだったか。最近爵位を得た男爵の娘と聞く。
そして一瞬だけ、バーバラ嬢が師匠に優越感のような笑みを浮かべていた。
「ん?」
「どうした? レティシア」
「いえ、きっと気のせいです」
そう師匠に言えば、少しだけ間をおいて、そうかとかえってきた。
「アメリア・イアハート!
貴女の罪をここで暴かせていただくわ」
「…………はい?」
しばらく料理を堪能したり、魔導士の仲間たちと交流を深めていれば、唐突に声が響いた。まるで舞台のような立ち振る舞いに皆が皆そちらに注目する。
ホールのちょうど真ん中に立っていたのは、バーバラ嬢とジョージ様の姿だった。
いや、ちょっと待ってくれ。これは殿下の誕生日パーティだったはずでは?
「アメリア・イアハート
貴女はジョージ・パットナム伯爵に対し、誘惑の魔法をかけた疑いがかかっておりますのよ!」
その言葉に笑わなかった自分をほめてほしい。
まるで断罪人のようにありもしない罪をでっちあげているバーバラ嬢は、とても気持ちよさそうな顔でこちらを見下している。
魔法は怪しい技術である。そう言いたいのだろうが、こちらからしてみればたまったものではない。
「皆さま、お聞きください!
誘惑の魔法の他、魔導士たちと共に、陛下に取り入りこの国を滅ぼそうとしているのです!
そして、わたくしめも彼女に幾度となく嫌がらせを受けました。ドレスを汚されたうえ、レースを破られ、王宮の庭を散歩していれば池に落とされ……
おそらくご令嬢の皆さまも同じ目にあった方がいらっしゃるはずです! あの悪魔を倒すため、皆さま勇気をお貸しください!」
壮大にでっちあげられていく嘘の罪に、バーバラ嬢は道化だったのかと現実逃避をする。
そもそも師匠はそんな嫌がらせや、訳の分からん罪を犯すくらいなら研究に没頭するし、国家転覆などもってのほかだ。何しろ研究資金は王室から予算をもらっているのだから。
研究室の魔導士たちも皆が皆全員で頭を抱える。
どうしてこうなった。と。
そして未だにだんまりを決め込んでいるジョージ様を見れば、彼の顔は青ざめるを通り越して土気色にまで到達している。どうやら彼は『何も聞かされていない』らしい。
「まぁ、恐ろしいわ……」
「やはり、魔女は魔女なのか」
しかし、怪しい魔導士集団と貴族の言う事では、貴族社会では当然後者のほうが正しくなってしまう。
味方を付けたバーバラ嬢は師匠の元に歩み寄ると、人を見下したような、蟻を踏み潰しては優越感に浸るようなそんな笑みを浮かべていた。
「さぁ、今こそ魔女に鉄槌を!」
――ばしゃり
「師匠!」
バーバラ嬢は小瓶に入った何かを師匠に向かって振りかける。毒か、強力な酸であったのなら大変だと、駆け付けようとすれば、師匠は片手で私を制する。
「うそ、だってこれは聖水で……
魔のものを払うって」
「レティシア
大丈夫、ただの水だから」
いつも通り師匠は不敵な笑みを浮かべていた。掛けられた水を拭って、赤い瞳で辺りを見渡す。
敵などこの場にいないとでもいうように。
かつん、と手にした杖の先端を床につけば、波を打ったかのように静かになった。
「なかなか面白いことを言うね。君」
「な、わたくしが言っているのはすべて事実よ!」
それはない。
魔導士たちがそれを証明しているし、なによりもまず――
「いくら魔導士、魔女と呼ばれる存在といえどね
人の『感情』を操る魔法なんてないんだよ」
そう。そこなのだ。
いくら過去の文献をさかのぼっても、感情を操れる魔法など存在しない。あったとしてもそれはおとぎ話の世界だけだ。
「それに、君が私にかけた水――聖水だって言っていたけど
そもそも効くのは悪魔であって、我々『魔法』を使うものには意味のないものなんだよ」
「うそ、うそよ!」
先ほどまでの威勢はどこにいったのか。
バーバラ嬢は取り乱す。師匠は何も言わずにただ笑みを浮かべて、彼女の嘘の証言を一つ一つ正していく。
「もう一つ、私が君に対して、否。ご令嬢たちに嫌がらせをしていたという話だが、証拠は?
まさか虚言だけで決めつけるなんてことないよね? 我々は研究者だ。妄言だけで結果を出せるほど甘くないんだよ」
「あ……う」
あ、師匠すごい怒っているわ、これ。
「もう一度だけ聞く。私も暇ではないんだ
こうしている間にも研究できる時間はなくなる。茶番に付き合う余裕なんて、一秒たりともないのだよ」
師匠の背中だけを見ている私ですら怖いと感じているのだ。
直接対峙しているバーバラ嬢の恐怖は、一体どれくらいのものなのだろう。同情はしないが、感情の測定としては興味がそそられる内容だ。
「み、三日前のお茶会!
貴女が私を突き飛ばして池に落としたのでしょう!
ジョージ様と私が仲良くしているのに嫉妬して!」
悲鳴交りに叫んだ内容に、全員一斉に首をかしげる。確かに師匠はお茶会に誘われていたが、時間がないと一蹴したはずだ。
いないもの、ないものを有る、というのは貴族の十八番ではあるが、それにしてもあまりにも杜撰ではなかろうか。
そして最後の一言。いや、そんな馬鹿なー……。
「と、いう事なのだが、ジョージ
君、いつの間にか浮気でもしたのかい?
私に言ってくれたことは、すべて虚言だったと?」
勿論、矛先はジョージ様に飛ぶ。可哀そうに、彼の顔はすでに真っ白になっていて、血が通っているのかも危うい。わなわなと震えたかと思えば、ジョージ様はわっと叫んだ。
「んな訳あるか!!
ふざけるなよ! バーバラ嬢!」
「え……」
「俺が! 彼女を口説くのに! どれだけ苦労したと思っているんだ!!」
ジョージ様は早い話、師匠にべた惚れなのである。
聞く話によれば、王宮入りした師匠を一目見た当時見習い騎士のジョージ様が結婚を迫ったところ「私より弱い男は嫌だ」と師匠が言い放ったらしい。そこからジョージ様は騎士として、師匠にふさわしい男になるために血も滲むような努力をして、スピード出世で今の地位に上り詰めたという訳だ。
そしてようやく師匠を口説く権利を得た、のにこの現状。
そりゃ、不要な横槍を入れられたらキレるに決まっている。
「そ、そんな、ジョージ様!
目を覚ましてくださいまし!」
「十分覚めている! ビルソン公爵の願いだからと君をエスコートしたが、わがままを言うわ、礼儀もわきまえないわ
挙句アメリアに失礼な口を利くわでもう限界だ!」
ジョージ様、噴火する。
随分と苦労をなされたようで……。
団長(上司)であるビルソン公爵の願いは断れませんからね……。
「な……それではわたくしは、ただの道化ではありませんか」
「道化だな、道化以外あるまい」
容赦のない師匠の突っ込みに、とうとうバーバラ嬢が崩れ落ちた。
ジョージ様に惚れていたのかは不明だが、こんな事をしでかす前に、やるべきことはあったのではないかと思ってしまう。何しろここは『殿下の誕生日パーティー』であって断罪すべき場所ではないのだから。辺りを見れば、泡を吹いて倒れている男性と女性の姿。あれが恐らくバーバラ嬢のご両親だろう。娘がバカすぎて哀れみすら浮かぶ。
「さて、茶番は終わりかね?」
「はっ、お騒がせしてしまい、申し訳ございませんでした」
上からの言葉に師匠もそちらに向かって頭を下げる。今まで口を開かなかった陛下がこちらを見ていた。
「申し訳ございません。寸劇の打ち合わせがうまくいっておらず、不快な思いをさせてしまいました」
「良い、次からは気を付けるように」
「はっ」
どうにも師匠はこの騒動を寸劇としてまとめるらしい。確かに、昨今流行っているラブロマンス小説のような内容ではあるが……。
完敗して真っ白になっているバーバラ嬢を見て合掌する。これを機会に貴族社会について学んでほしいところだ。
「では、このままパーティを続ける」
「まったく大変な目にあった……」
「師匠もお疲れ様でした」
陛下の言葉を聞いてから、師匠と共にテラスに足を運ぶ。
そりゃ通り魔にあったようなものなのだ。疲れもするだろう。
苦笑して手にしていたワインを渡す。ぐいっとそれを煽った師匠は随分様になっていた。
「アメリア」
「ジョージ」
夜風に当たっていれば、ジョージ様が現れる。
そっとその場から離れて、私はホールの中に入った。
「すまない。今日こそ君に……と思っていたのだが」
「いや、あればかりは仕方ないよ」
くすくすとアメリアが笑う。
あの茶番はさすがに予期せぬ出来事だったのだ。
「と、とにかく、今日君が来てくれてよかった!
だから、その……」
「ジョージ」
「あ、あぁ!」
アメリアがローブを脱ぐ。彼女の瞳と同じ真っ赤なドレスがその下にあったのだ。
「一曲、どうかな
俺のアメリア」
「喜んで。私のジョージ」
王宮の外、わずかに漏れる音楽に乗せて、二人は踊り始める。希代の魔女と、騎士団筆頭と言われた彼の恋は始まったばかりなのかもしれない。