状況整理
このお話の主要人物、光と焉です。
終焉の焉で焉と読みます。
蝉の鳴く空の下。僕はじんじんと痛む膝の傷を押さえながら、階段を上がっていく。
カンカンと耳に心地よい音が届くが、気分は良いと言えなかった。
上を見れば、まだ十数段はある。その上で彼は、「早くしろ」と僕を急かした。
舌打ちをしたいのを我慢しているのかというほど、面倒くさそうに歪んだ顔。
その怖さに、僕は一目散に逃げ出したいのを我慢して、彼の元へ向かっていく。
「痛いか?」
「うん」
「だろーな」
そう頷くと彼は、僕の頭に大きな手を乗せた。
どこか安心できる大きな手だ。若い感じはあるものの、やはり男の手というだけあってごつごつしている。
その心地よさに僕が目を細めれば、彼はまた面倒そうに僕の手を引いた。
だがその手が、思っていたよりしっかりしていたことを、僕はよく覚えていて。
___......ああ、温かいな、なんて思っていたのだが。
「......やっぱやぁめた」
「え?」
「俺はやっぱり人を引っ張り上げるより、突き落とす方が好きだわ」
くく、と低く笑う男の顔。
僕は絶望と共に、長い長い階段を落ちていった。
*
「――――......ねえ!」
「ひゃい!?」
どすん。ごろごろ。
まるで"何かから落ちた"というような状況の時のありきたりな効果音を見事に出してしまった。
華奢な手に押されて落ちてしまった椅子に掴まり、僕は体勢を整える。
古ぼけたシャンデリアが僕の視界に入った。
どれも古い、アンティーク調の家具たち。
茶色が多いその空間に生える赤いカーペット。そして、黒いゴシックロリータ。
そこから伸びる白い手足と、ちょこんとある端整な顔。
「......ねえ、状況分析はもういいかい? いつまで僕を見つめてるつもりなのかな」
「へ? あ、すみません!」
「そんなにじろじろ見られると、変な気分になる。僕の顔になにか付いてた?」
いえいえ、と首を横に振ると彼女は呆れたような顔をした。
そこでふと気付く。
「強いて言うなら、クッキーですかね。口の横に」
「はっ!?」
慌てたように口の周りをハンカチで拭う彼女に、ついつい笑みが零れた。
彼女の名前は神有月 焉さん。
僕が働いているアンティークショップ、「ザクロの実」のれっきとした店主で、ちょっと不思議な能力の持ち主だ。不思議な、とはいっても非科学的なものにやたらと詳しかったりだとか、ちょっと個性的な知り合いがいたりだとか。あとは、勘が鋭いとか、そんなところだろうか。
決して手から炎を出すとか、魔法が使えるとか、超能力を持っているとか......そういうんじゃない。
ただ、未来察知能力が少し優れすぎているらしい。
予知能力なんて持っていない、と本人は胸を張って言っているが。
「と、とれてる? とれてるよね?」
「ハイハイ、もう大丈夫ですよ」
よかった、と焉さんは胸を撫で下ろす。
すると思い出したように「仕事中に寝るとはいい度胸だね」と彼女は笑った。
......そう僕、那須 光はこの不思議で、何が起こるかなんて予想のつかない「ザクロの実」という店で、働いている。
残業代なんてでない、時給って訳でもないし給料が安定しているとは言い難い。
けれど僕は何故かここに惹かれて、ここで働いているのだ。きっかけは、本当に偶然だったけど。
それはまあ、後々お話しするとしよう。
「す、すみません。ちょっとうとうとしてて、そしたら本気で寝ちゃって......」
「最近少し寝不足気味だよね。寝れてない?」
「いや、あの、実は......」
......言うべき、だろうか。最近の僕の悩みを。
だが、どうなんだろう。自分より図体のでかい男の、こんな小さい悩みを聞かされる女の子?
すごく僕が情けない男な気がする。いくら焉さんが頼れるからって、さすがにこれは。
僕は恐る恐る「笑いませんか?」と焉さんに聞いてみる。
話してみろ、と言う焉さんだが、内容によっては遠慮なく笑うのもこの人だ。
「男がそんなこと言う時点で、僕としては割とウケるんだけど」
「じゃあ、やめときます」
「ああ、うそうそ! 絶対笑わないから、うん! 真面目に聞くって!」
僕は湿度の高い目で焉さんを見つめる。
焉さんは頬を2、3度両手で叩くと「よし来い!」と僕に向かって言う。
どこまでが本気だろう。本気で、笑わないようにしてるんだろうな、この人。
僕は数秒空中に視線をさ迷わせてから、少しずつ話していく。
焉さんが笑っていないか確認しつつ、だ。
*
――――......ところが。焉さんは僕の予想とは全く異なる反応を示した。
目は真剣になり、眉間には少しシワが寄り、何か考えるように視線をあちこちに飛ばしている。
これは焉さんが何か考え事をするときの行動だ。僕はごくりと生唾を飲む。
「最近毎日悪夢を見る、ね......」
「悩みが乙女、とかやめてくださいね」
「自分でそう言うってことは、そう思ってるのかい? ......じゃなくて」
ううん、と首を捻る焉さん。
心当たりというような何かは無いらしく、困っているようだ。
「なにか最近変わったことは?」と問われるが、これといってない。
そりゃ毎日誰かに突き落とされる夢は見る。そして飛び起きる。
体を滑る冷たい汗をパジャマで拭き、だけれど二度寝する気にはならず、仕方なく起きるのだ。
そんな毎日が続けば、仕事中にうとうとしてしまう。
さらにこの店は滅多に人が来ないのだから、静かで寝るには最適な場所。
「夢ね、夢......ただ単に悪夢を見るってんならバクが良いと思うけど、それで解決するかな?」
「でも悪夢を見るのが毎日って、酷くないですか? いくらなんでも」
「たぶん、原因になる何かが居るとは思うんだけどね......。夢、夢か。そんな依頼、今まであったかな」
そう言うと焉さんは資料やファイルの並んだ棚を眺める。
この店はアンティークショップとしてはあまり有名ではないが、「ある一部の人間」の間ではかなり有名なのだ。
妖怪やら、不思議な現象にあったことのある人。そういう関係の仕事をしている人。
はたまた怖い話の掲示板ですら、たまに名前が上がるのだ。
『ここに不思議な現象を解決してくれと依頼すると、やってくれるらしい』なんて、変な噂が流れている始末。
だが一方で、この店が気味悪がられているのも確かだ。
稀に依頼は来るが、多いとは言えない。寧ろ、少ない。
けれどここで働いている以上、むろん僕もその『不思議な現象』に巻き込まれる。
普通に暮らしていちゃ関わることのないであろうものたちにも、たくさんであった。
いい意味でも悪い意味でも、色々な初体験ばかり。
人に友好的な『もの』も居れば、命が危うくなるくらい危険な『もの』もいることを知った。
本当の恐怖も、優しさも、孤独も......ここで知った。
「............光」
「あ、はい。なんでしょう焉さん」
「君、今日は家に帰って」
......はい?
僕は目が点になる。
どういうことだ? もう帰って良いって、え? クビなのか? そういうことか?
僕は困惑した表情を浮かべる。
「今日中には解決できない。でも明日なら、解決できる」
「どういうことですか?」
「大丈夫、僕もついていく。絶対に助けてあげるから、今はとりあえず僕の言うことを聞くんだ」
僕は勢いに気圧されて、こくりと頷く。
だがその後、重大な言葉を聞き流したことに気付いた。
「焉さんがついていくって......僕の家に、ってことですか!?」
「そうだけど?」
そうだけど、じゃない。
......なんだろう、隠し事がある訳じゃないが、少し不安になってきた気がした。
光の見ていた夢は、幼い頃の記憶です。
ただ何故か思い出が悪夢に改変されてしまっており、毎回男性に突き落とされて目が覚める、というのを毎晩続けているわけです。
少しでも面白い、続きが読みたいと思ったそんな方は、評価&ブックマークよろしくお願いします。