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6話 くまのぬいぐるみ

 気が付くと、僕の目の前に満天の星空が浮かんでいた。周りから虫の鳴き声が聞こえ、気持ちが安らぐ。僕の背中と手のひらに冷たいコンクリートの感触が伝わる。そして、篠原さんに蹴られた部分が痛んだ。僕は自分の手で優しく蹴られた横腹を摩った。

 空を眺めていると、自分の見る左側がやけに明るいことに気付いた。あたりをチラチラと視線を巡らせると、どうやらここはマンションの屋上のようだった。そして、僕は明かりが灯っている方に首を傾けると、篠原さんがカセットコンロの火を使ってご飯を炊いていた。飯盒から湧いてくる白い湯気が夜風に吹かれて、彼女の耳元をゆっくりと流れていく。月明かりに照らされた彼女はとても穏やかな顔をしていた。それは、まるで今日帰ってくる思い人に胸躍らせながら料理を作る待ち人のようだった。

 僕は寝たままのフリをしながら、その光景を眺め続けた。別に寝ているフリをしたってやましいことなどはない。ただ彼女がご飯を作っているところを見ているだけだ。だが、彼女のその姿は僕が見つめてよいのかと思わせるほど、純真でどことなく寂しそうな姿を彼女は見せるのであった。

 すると、僕の視線に篠原さんが気付いた。彼女は僕を見て胸を撫で下ろし安堵した表情を見せると、スケッチブックをゆっくりと取り出した。


 『ごめんなさい……。強く蹴りすぎていたと思う』


 篠原さんの謝罪に僕は驚いた。


 「いや、篠原さんは悪くないよ。元はと言えば、僕が検問所から離れようとしなかったことが原因なんだし。……当然だよ」


 そういうと、僕は昼間の惨劇を思い出し始めた。今でも夢やフィクションかと思える光景だった。あんな許せない場面に遭遇しても、僕は何もできない。ただただ、傍観者として事の成り行きを見守ることしかできなかった。僕は僕自身が許せなかった。

 考え込んでいる僕の頭を篠原さんがスケッチブックで突っついてきた。


 『今は暖かいご飯を食べよう?』


と、そこには書かれていた。

 僕はその言葉に頷き、数週間ぶりの白飯にありつき、また僕は眠りについた。






 翌朝。目覚めると、この日は朝とは思えないほど太陽からの強い熱射が降り注がれた。全身が汗まみれでとても気分が悪い。屋上の反対側で僕と同時ぐらいに目覚めた篠原さんも不快感を表情に滲み出し、彼女も最悪の目覚めであることを感じ取らせてくれた。ほどなくして、僕ら二人はとりあえず屋上から移動し、マンションの下の階層に降りることにした。

 マンションの吹き抜けから見ると、ここは住居階で下層は商店や飲食店が並ぶ施設だったようだ。同じ階の住居の扉を見ると破壊されて開いていたり、こじ開けられそうになった形跡が多く見られた。開けられている部屋はどこも物が盗まれていた。


「これじゃ、開いている部屋はどこもやられているな――」


 僕はそう話すと篠原さんの方へ視線を送った。彼女も同じことを考えていたらしく、彼女は頷き、開けられていない部屋の扉のドアノブを握り、鈍い金属音を立てながら扉を力づくでこじ開けた。今までで初めて意見が一致した気がした。持ち主さん、お邪魔します。

 部屋の中は、ゾンビが発生して街中が大騒ぎになる前の平穏な生活をしている時の空気がそのまま残っていた。僕らは普段脱がない靴を玄関で脱ぎ、部屋へ入っていた。廊下を歩くと積もった埃が巻き起こり、その埃は太陽の光で雪のように舞っているようだ。歩いた廊下は雪道を歩いたような跡が残った。部屋の中央のリビングには、薄型テレビに観葉植物、ソファーやクッションや椅子とテーブルとごくありふれた家具が並べられていた。テーブルには椅子が二つと幼児用の椅子が一つが置かれてあり、テーブルの上にはプラスチックの丸みを帯びた玩具やくまのぬいぐるみが片づけられず、残ったままだった。僕はそれらのおもちゃを近くにあったおもちゃ箱へ片づけて、テーブルの上を綺麗に拭いた。そして気付くと、篠原さんの姿が見当たらなかった。


 「あれ?篠原さん、どこ?」


 すると、彼女は台所の方から現れ、あるものを持っていた。


 「あっ、それは災害時用の保存食セット。いつもながら抜け目がないな」


 彼女は僕の感心した言葉を聞いてどや顔になると、さっそく台所の床下収納に入っていたという保存食用のビスケットを頬張るのであった。

 僕もビスケットをかじりながら、昨日の検問所での検査の様子から今後どうするか考えることにした。

 

 「昨日、観察して分かったことは

 ①検査結果の内容次第で射殺はされない。

 ②検査に引っかかった者は地下に移動させられる。生死は不明。

 ③しかし、ゾンビが現れた場合、問答無用で銃弾が飛び交う。

 ……④欠損がある人間は即追い返された」


 彼女は何やら考えながら左目で隠している前髪をくるくる弄った。


 「うーむ。どうすればいいんだ……」


 僕が悩んでいると、当の本人はおもちゃ箱をガサゴゾ音を立てて何かを探し始めた。


 「篠原さん、今は流石に童心に帰っておもちゃ遊びをする時じゃ……」


 すると、篠原さんはくまのぬいぐるみを抱えていた。彼女は昔を思い出したのか笑顔でくまの頭を撫でたり、手足を動かして楽しんでいた。いつもの彼女とは一段と幼く僕の目に映った。


 「篠原さんもここに住んでた子と同じくまのぬいぐるみを持っていたとか?」


 僕は昔話をするテンションで篠原さんに語り掛けると、

 ビリビリと布と綿がちぎれる音を出しながら、彼女はいきなりくまのぬいぐるみの目玉を引き抜いた。


 「えぇっ……」


 僕は思わずサイレンの音のような声に出しながらドン引きしていると、彼女はくまの目玉と自分の眼を指さした。

 僕はここで気が付いた。


 「そっか、義眼か……」


 彼女はくまの手を使ってポフポフと拍手をした。


 「って、わざわざぬいぐるみを使わなくても、いつもの筆談で伝えればいいのに」


僕はそういうと彼女はさらさらっと文字を書いて、


 『そうね。でも、ちょっと今までこの部屋で安穏と過ごしてきたこの子に意地悪したくなっちゃってね』


 このぬいぐるみはあの頃の生活。平穏だった時間を今まで堪能していたわけだ。篠原さんが妬いてしまう気持ちは分かる。

 篠原さんはぬいぐるみを幼児用の椅子に座らせて頭を撫でた後、自分も椅子に座りながら見覚えがない紙を僕に確認させるようにテーブルの上に置いた。


 「何これ?」


 僕はその髪をよく見るとこのマンションの各階層の簡単な案内図であることを理解した。


 「こんなのどこにあったの?」


 『台所の冷蔵庫に張り付けてあったわ。ここの入居者が張ったものね』


 そして、彼女は案内図のあるところを指でトントンと叩いた。


 「眼科……。確かにありそうだけど、義眼なんて珍しいものあるのかな?もっと大きな病院や医療施設とかじゃないとないんじゃないかな?。あと既に荒らされている可能性もある」


 『何言ってるの小野寺君。荒らされていない建物なんてこの世にはもうないでしょ』


 僕はその問いには頷くしかなかった。


 『なら、近くにありそうな場所を探すしかないでしょ。さあ、行きましょ』


 そう書き連ねると、彼女は席を立って案内図を懐にしまい、荷物を担いだ。僕も慌てて荷物を担いで出発の準備をした。

 篠原さんは準備を済まし、廊下に向かおうとした時に足が止まった。そして、彼女はくまのぬいぐるみの頭を撫でると玄関へ向かった。


 「お前、本気で嫌われている訳じゃないみたいだな。良かったな」


 僕も片目がないくまのぬいぐるみの頭を撫でて彼女の後を追いかけた。

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