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11話 下水道の住民

 案内されたマンホールを降っていくと酷い悪臭が漂っていた。水路には汚泥やゴミに溢れた粘度が高い水がゆっくりとまるで生き物のように流れていた。下水道の中央に大量の汚水が流れ、その両脇には幅の狭い道が続いていることが分かった。僕はその通路の先をよく眺めたが、下水道内で発生しているガスが視界を遮り、よく見えなかった。


 「……ここを進まないといけないのか」


 『嫌がっていても仕方ないわ。先を進みましょ』


 篠原さんはいつもの調子でこの悪環境に怯みもせずに進もうとした、その時。


 『……!!??』


 彼女は驚き、激しくたじろぐと僕の方に駆け寄り、後ろに隠れた。


 「どうしたの」


 篠原さんのスケッチブックが横から僕の眼前に現れた。


 『ねずみが!』


 「ねずみ?」


 見えづらい下水道内の床に目を凝らすと、1匹のねずみがごみの中から残飯を探している姿を確認することができた。


 『私、ねずみとか小さい生き物が苦手なの。お願い、追い払って!』


 怯えた様子で理由を説明する彼女は本心だと感じた僕は素直にねずみが漁っているごみ袋を足蹴にして、ねずみを散らせた。


 「へえ、篠原さんにも怖いものがあるんだね。意外だよ」


 僕は向かうもの敵なしと思っていた篠原さんの弱点を知って、少しいじめたい気持ちになってしまった。篠原さんはねずみを追い払った僕を見つめると、慌てた様子でペンを走らせた。


 『ええ、そうよ!ゾンビは大丈夫でもねずみは無理ですよ!人間、誰かしら苦手なものはあるでしょ。私はそれが小動物なだけ!!悪い!!?』


 先ほどまでガクガクだった膝に力を込めながら彼女は気丈に振舞っていた。誰も避難していないのにこの慌てようである。篠原さんの表情と態度は、余計に僕の心の中にいたずら小僧に燃料をあげることになってしまった。


 「いやだな――。悪いなんて少しも思ってないよ。むしろ、可愛らしいなとは思ったけど。あっ、篠原さん?君の足元に何かいるよ?」


 わざとらしく口調で僕は何もいていない篠原さんの足元を指差すと、彼女は目を見開き、両足でジョンプしながら存在しないねずみを追い払おうと必死になっていた。僕はそんな彼女の行動を見て、面白おかしく眺めてニヤニヤしていると彼女は僕の嘘に気付いたようで、自分の家族を殺した犯人に向けるような冷徹な視線を僕に送りつけてきたのちにスケッチに何かを書き、僕の方へ歩いてきた。


 『また同じことをしたらそこの汚水に突き飛ばすから』


 篠原さんはそう書かれているスケッチブックで僕の頭を殴り、速い大股歩きで僕を置いていくように下水道の道を歩いて行った。






 荒垣の説明で目的地は2kmほどだと言っていたためすぐに到着すると思っていたが、憶測が外れた。下水道内は各方角に道を逃し方向感覚を鈍らせ、見渡しやすい地上のようにスムーズに進むことが困難だった。足場の悪さ、光源の少なさ、道幅の狭さも重なることで体力と集中力も大きく削られていった。空気の悪く、しばらくしてから呼吸が苦しく、吸い込む度に痛みを感じるようになっていた。篠原さんも同様の症状が出ていた。急場しのぎの布で僕らは口と鼻を押さえながら進むが、僕らのストレスは頂点に達しそうであった。


 「本当にこの下水道に集落なんかあるのか。僕らは荒垣に騙されたのでは……」


 嘘。虚偽。騙し。僕の中でそのような言葉で渦巻いていた。半ば半信半疑で突入した下水道。その下水道も想像を絶するほどの悪環境で呼吸にも障害を及ぼしている。どう考えても人が日常的に住める場所には到底思えなかった。


 『そうだね。アイツの言葉が嘘である可能性も含めて、外への梯子を見つけたら一旦出ましょう』


 身体の影響も考え、一旦外に出ることを決めた時。僕は前方の道が開け始めてその先に巨大な空間が出来ていることに気付いた。天井に太陽の光を遮るものがないのか、眩いほどの光がその空間を明るく照らしていた。汚水から発生するガスもなく、空気は綺麗そうに見えた。


 「あそこで休もう。ガスも発生していなくて良さそうだ」


 篠原さんは僕の言葉に頷き、二人でその空間に入ることにした。中は円柱型の空間になっていて、その壁沿いには多くの横穴があるが、その先は暗くてよく分からなかった。


 「ふぅ。ここなら気持ちよく呼吸ができる」


 口に当てていた布を剥がし、思いっきりこの場にある新鮮な空気を肺に送り込んだ。普段、ごく自然に行っていることが幸せなことであると気づかせれた瞬間であった。暗闇の横穴から何かうごめくものが見えた。


 「!?」


 ゾンビだった。1匹だけではない。全ての横穴から続々とゆらりゆらりと動きにくそうに歩きながらこちらに向かってくる。


 『戻るわよ!』


 篠原さんの言葉で僕は今来た道へ引き返そうとした。


 「あぁ……だ、駄目だ……」


 僕は先ほど入ってきた入り口にもゾンビが集まっている光景を目にしてしまった。ゾンビたちは身を固め、身体と身体の間の隙間を無くし僕らが強行突破することさえできなくしていた。逃げ道がなくなった。ゾンビは円形状に囲いながら、じわりじわりと僕と篠原さんとの距離を詰めにきた。追い込み漁に引っかかった魚のように僕ら二人は円柱状の空間のド真ん中まで追い詰められていった。


 「はぁ、……こうなったら破れかぶれだね」


 その言葉に篠原さんも大きく頷いた。これだけの数はさすがの篠原さんも無事では済まないだろう。僕自身といえば、この場を生き残られる希望的観測も思いつかなかった。

 僕は彼女の無事を心の中で案じながら荷物からバットを取り出し、深呼吸した。そして、バットを持つ手に全神経を集中させて、ゾンビに向かって走り出す。


 「お前たち、止まりなさい!!」


 どこからか聞きなれない声が聞こえてきた。その声に僕も思わず足を止めてしまったが、どうやらゾンビたちも今の声で動きを止めたようで、1匹もその場から動こうとせずに、だるまさんが転んだをしているようだった。


 「危ないところだった……。すまない、そこにいる二人組の方々。どこか怪我とかしていないかい?」


 二言目は周りのゾンビたちが静かになったのではっきりと自分の耳に届いてきた。低音の大人の男性の声だった。そして、その声の人物が奥の横穴から姿を現した。彼は白衣を着ているが所々汚れており、眼鏡をかけた若い瘦せ型の男であったが、髪の毛の全てが白髪であった。彼はゾンビたちを掻き分けて歩いてきた。


 「怪我は、していません。僕は小野寺大地と言います。ところで貴方はいったい……。あと、このゾンビたちは……?」


 僕は訓練でも受けたのかと思うゾンビたちの直立不動の状況を見渡しながら彼に尋ねた。


 「ご丁寧にどうも大地君。私は白野学(はくのまなぶ)と言うものだ。呼び方は白野でもいいし、もしよかったら”はくのん”でもいいよ?」


 白野さんはプークスクスと自分で言ったことに笑っていた。人を見つけてすぐ拉致るような暴君のような人間ではないようで僕は安心した。


 「僕たちは荒垣という男から貴方のことを知り、ここに来ました。治療して僕たちを助けてくれる人物と聞いて」


 「あの荒垣が人に紹介?ははっ、ショッピングモールに住み着いている変人にしては楽しい客人を寄こしてくれたものだ」


 僕は似たような言葉をつい数時間前に聞いた覚えがした。


 「あぁ、そうそう。さっき君の質問に答えないといけないね」


 白野さんは1匹のゾンビの側に近づき、肩に自分の腕を掛けた。その衝撃で腐食した肩の皮が剝がれそうになっていた。


 「彼らはゾンビではない。人間だよ」


 白野さんは優しく、冗談交じりを感じさせない素敵な笑顔で答えた。

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