第1話「遭遇」(8)
「な、なんですか?」
急に現れた見知らぬ男に指を指された木原景子は戸惑っていた。
相変わらず彼女の顔色は悪い。
「彼女がそうなのか!?」と高山が聞くと千里が頷いた。
「そうです。あの女が教授を殴った女です。彼女が研究棟から出て行く姿も見えたので急いでここまで来たんです。」
と言い切った。
「何を言っているんですかさっきかから!?私は第1発見者で関係ありませんよ!教授を殴ったのはその横にいる彼ですよ!」
光太を指さしながら彼女はヒステリックな声を挙げた。
光太は「だから・・・」と再び否定の言葉を発しようとした時だ。
千里が
「彼女が灰皿を持ったハンカチが鞄に入っているかもしれない」
と言った。
「!?」景子が絶句している。
「本当か!?」
高山が彼女に詰め寄る。
「ちょっと鞄の中を拝見してもらってもいいかな。」
と侘びを入れた。
彼女が無言でカバンを開ける。それをじっと見ながら、手でカバンの中身を物色し始めた。しばし手探りをして「おい!」と不機嫌な声を千里に向かって発した。
「ハンカチなんて入ってないぞ!」
「うーん、多分どっかに捨てちゃったのかな?」
首を傾げる千里。
「な、なにぃ!?」
「あ、あのもういいでしょうか・・・」
と彼女が高山に問う。
「あ、ああ・・・・」と戸惑いながら答える高山に
「そうだ!高山さん!彼女の右腕を確認してみてくださいよ!」
と千里が再び言ってきた。
「右腕だぁ?」
「もしかしたら、教授に掴まれたあとが残っているかも!」
「!!?」
再び絶句する景子。
「・・・・ちょっと右腕の服の袖を捲ってくれないか?」
と高山は彼女にお願いする。
彼女は一瞬躊躇しながらも上着の右腕長袖をめくった。そこには・・・彼女の右腕には何者かに強く掴まれたと思われる跡が残っていた。痛々しいほど赤くなっていった。その場にいた全員が驚く。
「これはどうしたんだい?」
「し、知りません!なにも知りません!」
「さっき、波野教授に掴まれた時に付いたんじゃないのか?」
「知りません!本当に知りません!私は先生のゼミですけど、今日は先生の部屋に行っていませんし、会ってもません!」
彼女は悲鳴に近い声を発した。
(埓があかない!)と高山はイライラした。
そんな光景を見て千里は
「あ、高山さん!ちょっと!ちょっと!」と高山に向かって「おいでおいで」をした。高山が怖い顔しながらそれに応じた。高山が彼女から離れ千里の元に行く。「なんだ?」と問う高山に千里は「あのですね・・・・ヒソヒソ」とそっと何かを耳打ちした。
「なんなんですかね?」
「さぁな?まぁしばらく黙って見てようぜ」
と光太と涼はそんな様子を見て話をした。
「・・・なに!?わかった。確認してみる。」と何かを伝えられた高山は「すぐ戻る!全員その場から動くなよ!」と言い急いで階段を登っていった。
研究棟2階の波野教授室に戻った高山。千里の指示されたとおり、教授室の右に設置してある大きな木製の本棚の前に立った。本棚には「経済」に関する本が沢山あった。彼は本棚の前で這いつくばるような姿になる。本棚と床の間には大人の手がギリギリ入るぐらいの隙間があった。そこに彼はそっと右腕を入れた。窮屈で動きが制限されてしまっているが手探りを繰り返す。すると捜査のために身に付けている手袋越しに何かが指に触れた。
(お、マジであったぞ!?あいつの言ったとおりだ!)と思いながら彼は「それ」を掴んで隙間から取り出し立ち上がった。隙間から取り出した「それ」をしばし見つめて「なるほどなぁ」と高山には事件の全容が見えた気がした。
高山が1階に戻ってきた。そして再び青ざめた顔をしている景子の前に立ち。
「君は今日、本当に教授の部屋に行ってないんだな?」
と彼女に再度確認をした。
「そうです!行っていません!」
「じゃあこれはなんだ?」と彼は自分の脇に挟んでいるものを取り出した。
「そ、それをどこで!?」
「それ」を見て彼女は驚きの声を挙げた。
「それ」の正体は冊子・・・「母子手帳」だった。表紙には可愛らしい赤ちゃんのイラストが描かれていた。さらに手帳の下の方には「木原景子」という名前まであった。
「波野教授の部屋の本棚と床の隙間にあった。君に殴られたれ波野教授が倒れた際に苦しんでもがいて、床に落ちている手帳を彼が蹴飛ばすなりしたようだ。蹴飛ばされた手帳は床を滑って隙間に入ってしまった・・・大方そんなところだろう。」
淡々と答えた。それはほとんど千里が高山に言ったことだが、彼はさも自分の言葉のように語った。
「・・・・・」言葉が出ないのか何も言わない景子。目が泳いでいるように見えた。
「慌てた君は手帳がそんな所に入ってしまったという事に気づかず逃げてしまったのだろう。あと手帳に書いてある診断記録を見たら今日の日付があるぞ。おかしいよな。今日、君は部屋に行ってないと言ったよな?」
とまたも千里の言葉を借りて高山は続けた。
「違う違う違う違う違う違う・・・・」と繰り返す景子。その時だ。高山の携帯が鳴った。
「ちょっと失礼」と言い高山は電話に出た。「はい。はい。わかりました。」とそう答え電話を早々に切った。
「今病院から連絡が入った。波野教授の手術は無事完了したとの事だ。まだ意識は取り戻していないがもう大丈夫とのことだ。」
その言葉を聞いて光太は安堵した。
(助かったのかよかった。)
波平が助かれば自分の無実が証明されるが、それと同時に波平が死んでないという事も彼は嬉しかった。
もはや逃げ場を失った景子は
「・・・・違う・・・私は私は・・・悪くない・・・・」
と言いながらその場で泣き崩れた。
木原景子は「自分が波野先生を殴った」と犯行をその場で認めた。その場にいた全員で研究棟の一室に移動した。そしてそこで彼女は泣きながら語り始めた。景子は家庭環境のことを悩んでいて、ゼミの教授である波平に相談に乗ってもらっていたという。そしていつからか男女の関係になったとのことだった。
(あのハゲ頭とこの女が付き合っていた!?)と光太は説明を聞きながら驚愕した。
そして景子は波平の子供を身篭ったというのだ。妊娠が発覚し、波平にそのことも伝えた。
「奥さんはいないって言っていましたし、あの人も喜んでくれた。責任は取るって・・・」
(あのおっさん良い年なのにハッスルしているなぁ)とも光太は思った。
そして今日の昼間、講義の合間に産婦人科に行ってその後、妊娠の経過報告を夕暮れどきに波平の教授室でしていた時だ。急に波平がトンでもないことを言い出したという。
「・・・・あのさぁそれ本当に僕の子?」と。景子は頭が真っ白になったという。
「波平さん最低じゃん!」
それを聞いて涼が怒りの声を挙げた。(全くだ・・・)も光太は思った。
「お前は黙っていろ。」
涼に向かって高山は言った。
「そんなことをあの人が言い出しもので口論になってしまいました。」
カバンから手を取り出した母子手帳が波平に払いのけられた時に彼女は悲しみと怒りを覚えた。部屋を出ようとして席を立つと右腕を波平に強く掴まれたという。「ちょっと待ってくれ!」と言う波平。「離してよ!」という景子。再度言い合いになっていると部屋がノックされた。そのノック音に波平に気を取られる。その隙きを見て彼女は左手で持っているハンカチ越しに思わず机の上の大理石で出来た灰皿を掴んで力一杯殴ったという。床に倒れる波平。それを見ていると誰かが部屋に入ってくると察しった。そしてどこか隠れることを思いついた。教授室ドのアは押して開くタイプなのでドアと壁の隙間なら、隠れることは可能だ。すぐにそのように動く。
「部屋に入てってきたのは彼です・・・」
と力なく彼女は光太の方を見た。その目には光りが宿っていなかった。
「私は倒れている先生に気を取られている彼も灰皿で殴りました。怖かったんです。急に部屋に入ってきた彼が。」
(そんなことをするあんたの方が怖いよ!)と彼女の言葉を聞きながら心の中で光太が思った。
そして倒れる光太を見て「とんでもないことをやってしまった」と慌てて灰皿を投げ捨ててその場から逃げたという。
「ハンカチはどうしたんだ?」
と高山は聞いた。
「・・・・大学の本棟の1階にある女子トイレのゴミ箱に捨てました。」
それを聞いて高山は携帯で捜査官に指示をした。「そうだ。その場にハンカチがあるはずだ。」と。
「しばらく女子トイレの個室に隠れて泣いていました。」
1時間ほど経って彼女はトイレの個室から出た。力なく大学をあとにしようとした時だ。気になったのだ。あのあとあそこがどうなったのか・・・・と。研究棟の前に付いたとき部屋の窓の外から明かりが点くのが見えた。急いで彼女は教授室に戻る。そしてそこで血まみれの灰皿を持っている光太の姿を見つけたとのことだ。その光景を見て一瞬驚いたがこれはチャンスだとも思ったという。
「その光景を見て私の中で何かが囁いたんです。「彼に全部罪を背負わせてしまえばいい」って・・・・」
そう。だから彼女は固くなに光太が波平を殴ったと言い続けたのだ。
「そ、そうだったのか」(女怖ぇ!女こわぇ!)
説明を聞き終えて色々と納得したと同時に光太は目の前に力なく座る女を見て恐怖した。
「・・・なるほどそうだったのか。まぁあとは詳しい署で聞こうか。」
項垂れる彼女を連れて高山と婦人警官は部屋を出て行った。
部屋には千里、光太、涼が残っていた。
光太は
「早先見さん。ありがとうございます!」
と感謝の言葉を述べた。
千里は笑顔で「貸しひとつだ」と言った。
「え?」
「一緒に住むんだ。貸し作っておいたほうが良いよね。」
「ああそうだったな!天野こいつの面倒頼むよ!」
(そうだったあああああああ。)自分を救ってくれた男と先輩の言葉に光太は嫌な約束を思い出した。
「色々貸しがあった方がこっちにアドバンテージあるよね。」
「アドバンテージって・・・」
そんなことを言う奴と一緒にやっていけるのか・・・と不安になっていた時だ。 部屋の外から「きゃああああああああああああ!!!」と女性の悲鳴が聞こえてきた。
「な、なんだ!?」と3人で部屋を出る。廊下の光景を見て3人は絶句した
廊下は異常な光景になっていた。高山と婦人警官の間にいる木原景子が床に膝をついて血まみれになっている。彼女は口や目や耳の穴、鼻の穴から血を出し続けていた。
「ど、どうしたの!?」
涼が高山に確認する。
「わからん!急に彼女が出血を!おい大丈夫か!?」と彼女に呼びかけた。景子は高山の方を見て何かを言おうとした。「か、か、か、か、か、か、」口から出血しながらも何かを喋ろうとしていた。その姿は壊れた機械のようにも思えた。そして
「神の声が・・・聞こえる・・・・!」
と言って血を大量に流しながら赤い水溜りに倒れ気を失った。
(え?どうなったの?)と光太は混乱している時だ。光太の横に居た千里が
「神の声・・・・!?」と呟いた気がした。ふと千里の顔を見る。彼の顔は恐ろしい物に出会ってしまったかのような怯えた顔をしていた。
「おい!救急車だ!救急車だ!早く連絡しろ!」
と高山が叫んでいる。
騒然となる研究棟。そんな中で光太の瞳にはお化け屋敷の主の怯えた顔が映っていた。
第1話「遭遇」 〈了〉