第1話「遭遇」(5)
「・・・・ほう、それで通報されたと?」
目の前の制服を着た初老の男性警察官が問う。
それに「はい・・・」と力なく光太は答えた。
あれから女の悲鳴を聞いて駆けつけたギャラリーの内の一人が警察と救急車に連絡をした。先に到着したのは大学近くの交番に在中していた初老男性警察官1名だった。駆けつけた警察官は血を流し倒れた波平の姿を見ながら「警察を呼ばなきゃ!」などと意味不明な驚きの声を挙げていた。
その後、10分ほどで救急車が到着して救急隊員の手によって波平が現場から病院へ搬送された。救急車に波平が乗せられる際、救急隊員が頻りに「波野さーん!波野さーん!しっかりしてください!」と呼びかけていたが当の本人は担架の上で「う・・・う・・・」と今にも死にそうな姿で呻くだけだった。
その場でどうしていいか分からず呆然と立ちつくしていた光太は、その警察官の指示で現在、研究棟の1階にある一室に誘導され椅子に座らされ、事情を聞かれていた。光太を「人殺し」と思い悲鳴を発した女性も一緒だった。先程と同様に青ざめた顔をしたまま、光太の横に座って俯いた状態で黙っている。
(自分はどうなってしまうんだ・・・波平はどうなったんだ・・・)
と光太が考えていた時だ、部屋のドアがノックされた。「はい」と初老男性警察官が答えると紺色のスーツ姿の若い男とドラマとかでよく見る鑑識班のような格好をした男ドアを開け部屋に入ってきた。スーツ姿の方の男の髪はスポーツ刈りで、図体が大きかった。目がつり上がっているせいか顔は怖そうな印象を受けた。
スーツ姿の男は初老警察官を見て敬礼をして「お疲れ様です。」と挨拶をする。初老警察官も同様の動きをして同じ言葉を返す。鑑識班らしき男はカバンを広げ道具を取り出し、何かの準備をしていた。
そして、若い男は光太と隣に座る女性の目の前に立ち、スーツの内ポケットから警察手帳を取り出した。警察手帳には男の警察官制服を着た姿の写真が貼ってあり、「警部補 高山 勇司」と書いてあった。
「所轄署の高山だ。詳しい事情を聞かせて欲しい。あと捜査協力として二人の指紋を採取したい。」
と低い声で言った。
(なんか本当にドラマとかでよく見るような光景だな。)と自分が置かれている状況を一瞬だけ忘れて、まるで他人事のような感じで光太は思った。
二人の指紋を採取した鑑識係はさっさと部屋を出て行った。部屋には光太と女と初老警察官と高山と名乗った若い刑事の4人が残った。
光太はまず自分は「この大学の情報学部2年生で「天野光太」です。」と所属、本名を述べた上で先程、初老警官に語った同じ内容を高山刑事に話をした。本日が期限のレポートの提出に行った際、部屋から物音が聞こえてきたので室内に入り、頭から血を流している波平を見つけ驚いていると背後から誰かに殴られた事、気を失って1時間ほど経過していた事、どうしたらいいか分からずパニックになってしまって、思わず血まみれの灰皿を持ってしまい、その場面を隣に座る女性に目撃されて、今に至るという事を出来る限り事細かく覚えている範囲で喋った。
高山はそれを聞き終えると「ふむ・・・」と顎に手を当てながら、なにか考えていた。そして
「では、今度はそちらの話を聞きたい。」と光太の横に居る女性のほうを見た。
女性は「あ、はい・・・」と答えた。
女もこの大学の生徒であった。「私は経済学部の3年生「木原景子」です。」と名乗った。木原景子の話では彼女も来週提出の課題のレポートをやるためにこんな時間まで大学構内に残っていたそうだ。レポートを書いている最中にどうしても分からない部分があったとの事だ。そこで波平に相談に乗ってもらおうと思ったのだ。彼女は波平のゼミに参加する生徒の一人らしい。
「もしかしたら先生はもう帰宅されて、大学の部屋にはいないかもしれない」とも考えたが駄目元で研究棟に向かった。不在の場合は後日聞けばいいとも思った。研究棟の目の前に着くと外から2階の波平の部屋の窓を確認した。
「最初外から窓を見たときは部屋に電気が付いていなかったので「もう先生は帰った」と思ったんです。」
いないのか・・・と彼女がそう判断して帰ろうと思った時だ。部屋の窓から電気が付くのが見えたらしい。
(俺が部屋のスイッチをつけた時か!)と光太は横で彼女の話を聞きながら思い返した。
「うん?いるのかな?」と思った彼女は研究棟の入り、波平の教授室まで行って倒れた波平とその横に立つ血まみれの灰皿を持った光太を目撃するという経緯に至ったとの事だった。
「そうです!倒れている先生の横で血まみれの灰皿を持っていたんです!彼が!きっと彼がやったんですよ!」
景子は光太を指さした。
「いや、だからですね!誤解ですよ!それは!僕も誰かに殴られたんです!きっとそいつが犯人ですよ!」
光太は叫んだ。木原景子の頭の中では完全に光太が波平を襲った犯人ということになっているようだ。
そんな二人を見つめながら「ふむ・・・」と再び、高山が呟く。その時、部屋の外から「高山警部補よろしいでしょうか!」と声が聞こえてきた。高山がドアを開け部屋を出ていく。外から高山の「そうか。そうか。うん。わかった。」との声が聞こえてきた。外にいる誰かと話を終えた高山が再び部屋に入ってきた。彼は光太と景子の両者を見ながら言った。
「今、鑑識からの報告があった。例の灰皿に付いていた血は波野教授の物で間違いとのことだ。おそらくあれで殴られたのだろう。」
(やっぱり・・・あれが凶器だったのか・・・・)
光太はこともあろうに凶器に触れてしまった事を今更ながら後悔した。
「そして、もう1つ報告があった。凶器と思われる灰皿から二人の指紋が見つかったそうだ。灰皿から出た指紋は被害者の波野教授と・・・・もう一人分あったよ。天野君、君のだ。先程採取させてもらった君の指紋と灰皿から出たもう一つの指紋が一致した。」
「や、やっぱり・・・」と景子が呟いた。
「いやいや!だってそうですよ!僕の指紋は出るに決まっていますよ!だって思わず灰皿に触ってしまったんですから!」
光太は声を上げる。
「ああそうだな・・・でも、君と教授の指紋しか出ないというのはおかしいよな。」
「え!?」
光太は一瞬高山の言葉の意味が分からなかった。
「灰皿からは君と教授の指紋しか出てないのだよ。もし、君の言うとおり第三者がいてそいつが灰皿を使って教授を殴ったのだとしたら、その第三者の指紋も出るものじゃないのかね?」
その通りである。
(え?どういうことだ?犯人が自分の指紋だけを灰皿から拭き取った?なんで?俺に罪を着せるためか!?)
頭の中がぐるぐると回る。
「で、でも僕は誰かに背後を殴られて気を失いましたよ!」
「それが本当の話ならな。大学構内に残っている学生や職員等にも聞き込みを行っている最中だが怪しい人間の目撃情報などは今のとこ出ていない。」
高山は怪しい者を見るような目付きで光太を見つめた。
(この刑事まで俺を疑っている!?)
「や、やっぱり!この人が!?」
声を荒げる景子
「違います!」
叫ぶ光太。
このやりとりはもう何度目だろうか。
(でも待てよ!波平はまだ死んでない!もしあいつが意識を取り戻せば犯人がわかるはずだ!俺の無 実が証明されるはずだ!)
光太はこんな事態になっても、前向きに物事を考えようとしていた。
しかし、そんな光太のポジティブな思考を壊すがごとく高山は無表情で
「あと病院から連絡が入った。病院に搬送された波野教授は今緊急の手術を受けている最中の事だ。執刀している医師も最善をつくすと言ってくれているらしいが殴られた場所が悪く、助かる見込みも低いらしい。助かっても意識が戻らない場合や最悪植物状態かもしれないとの事だ。」
と述べた。
(嘘だろ!?)光太は驚愕の顔をした。
隣では木原景子がその報告を聞いて「せ、先生・・・・」と涙まで流し始めた。
変な汗が光太の背中を流れた・・・汗のせいで体が冷えていくのを感じた。
「まぁ詳しい話は署で聞こうか。」
高山がそんな光太の肩に手を置いた。
高山に連れられ光太は部屋を出る。歩きながら光太は
(このままもしかして本当に犯人にされてしまうのだろうか・・・・)と考えていた。その時だ。研究棟建物の入口の天井に防犯用の監視カメラが設置してあるに気がついた。
「そうだ!監視カメラだ!刑事さん!カメラを確認したらなにかわかるかもしれませんよ!」
光太は希望を見出したかのように叫んだ。
又も高山は表情を変えずに
「そんなのとっくにやったさ。それに大学の学生課と監視室に問い合わせをしてみたころ現在この研究棟の監視カメラは全部調子が悪いらしく、何も映っていなかった。明日業者が来て修理をするとの事だ。」
と答えた。
(意味がないじゃないか!!!!そんなの早く直せよ!)
最後の希望を摘まれ光太はもはや泣きそうになっていた。
光太は以前見たテレビ番組を思い出した。冤罪で捕まってしまった人に関する特集番組だった。「ある日、突然身に覚えのない容疑をかけられ、逮捕されてしまい、連日にかけて刑事の厳しい取り調べを受けた」という。
その人は「最初は違う!違う!自分はやっていない」と必死に否定していた。だが連日の厳しい取り調べを受けているうちに変化が起きる。
何故か自分はやっていないのに「お前がやった!お前がやったんだ!」と言われ続けてくると不思議と「もしかして自分が犯罪をやったのかもしれない。」と自分自身に疑いを持ち始めて来る・・・ というのだ。そして最終的には何故か「「やりました」と容疑を認めてしまった」と語っていた。
そんな番組を見て「そんな境遇に合うなんて余程運が悪い人間だったのだろう・・・・」としかその時は思わなかったが、まさかその境遇に自分がなるなんて・・・・。
項垂れている姿で建物を出た。研究棟の周りには野次馬が群がっていた。まだ大学に残っていた学生、職員、この近所に住んでいると思われる住民や子供までいた。そのほとんどの人間が携帯電話で写真を撮っていたり、スマートフォンの画面を操作している。「殺人事件発生ナウ!」とでもTwitterで呟いているのだろうか?
そんな連中がこれ以上建物に近づいたりできないようにと黒字で「KEEP OUT」と表記された黄色のテープが貼られていた。また、制服姿の警察官の姿も何人か見られた。
(これもテレビでよく見るシーンだな・・・・)とそんな光景を見て光太は思った。
そんな沢山の野次馬の中の前列に知っている顔を見つけた、思わず光太は足を止めた。涼だった。
「皆川先輩!?」
光太が叫ぶ。
「あれ?天野じゃん!」
なにかを噛みながら答えた。相変わらずキャラメルを食べているようだ。
「何をしている!?」
背後の高山が歩くのを止めた光太を咎める。刑事の顔を見て涼は
「あれまぁ!勇兄じゃないか!」
と言った。
「涼か!?」
高山は苦虫を噛み潰したような顔をした。
(え?この刑事、先輩と知り合いなのか?)
光太を連れて涼の目の前まで進み立ち止まる高山。黄色のテープ越しに涼に向かって
「この天野君と、お前はどういう関係なんだ?」
と光太を指さしながら言うと
「サークルの後輩だよ。こいつが何かやらかしたのかい・・・?」
涼は答えてから高山に質問をした。「それは・・・」高山は説明しようとしたが、他の野次馬に状況を知られるとマズイと判断したのか「お前もあっちに来てくれ」と言い顎で大学の敷地外に停めてあるパトカーをさした。
「ほーい。」
と軽妙な涼は返事をした。