第1話「遭遇」(4)
図書館の受付カウンターの向かいには、パソコンコーナーなるルームがあり、生徒たちが自由に使えるようにデスクトップパソコンが15台ほど設置してあった。席には生徒が数名席に腰をかけ、調べ物や課題をしている最中だった。部屋の片隅にあった席に光太と小泉は隣り合わせに座った。
「で、天野氏、どんな内容のレポート書けば良いのだっけか?」
小泉はパソコンのスイッチを入れながら光太に質問してきた。
「情報と経済の結びつきを考える・・・だったかな・・・。」
「うーんめんどうくさいねぇー。」
小泉と光太はワードソフトを立ち上げて作業を開始した。
パソコンを起動させて、30分程経過した時だった。小泉が「どうできた?」と小声で光太に聞いてきた。
光太は
「いや・・・まったく」
と答えた。
まだ、とりあえずインターネットで「経済」「情報」のキーワードで検索して調べている最中だった。具体的に何を書けばいいか光太もよくわかっていなかった。チラッと小泉が使用しているパソコンの画面を除く。小泉の方も学籍番号と名前を打ったぐらいだった。それを確認し、少し安心して、光太は再び自分のパソコンの方に目を戻す。
「そうか・・・あ!俺今日の17時からバイトがあったわ。」
唐突に小泉はそんな事を言い出した。
しばし考えて
「真面目に書こうかと思ったが時間もないから作戦変更だ。どっかのサイトをコピペ作戦に変えるわ。」
と呟いた。光太は小泉の方を見ず真正面のパソコンの画面を見たまま、
「最近、別の学科の学生が出した課題がもろコピペだったって発覚して問題になったとかなんとかって噂聞いたぜ。」
と言った。
昨今ではそういったウェブサイトからのコピーとペーストをしてさらにそれを適当に改変して出来上がったレポートなどが横行し問題になっていた。どこかの大学ではそれらを行ってレポートを完成させたことが発覚した学生が厳しい罰則を受け、最悪は退学処分になったというようなニュースをテレビで見た覚えがあった。
「マジでぇ!?」と驚きつつ「まぁそいつが馬鹿だったのだろうよ。俺なら文章をうまい具合にどうこうしてやってやるよ!絶対バレないようにね!」
と小泉は何故か自信ありげに言った。
(お前も充分馬鹿だろう・・・そしてどこからその無駄な自信は来るんだよ?)
・・・・と思ったが光太は言わずにおいた。
それからさらに約30分後、小泉の口から「出来たー!」との言葉が出てきた。パソコンの横に設置してあるプリンターから出力された用紙を見てニヤニヤしている。コピペ作戦が功を奏したようだ。
「もう出来たのか?」
「ああバッチリよ!」
小泉は右手の親指を立てて、サムズアップをした。
「この知性に溢れていそうな文章は読んで波平は感動の言葉を発すること間違いないだろう!」
波平の口から出てくるのは感動の言葉ではなく、「これコピペじゃないか!バカモーン!」という激怒の雄叫びではないだろうか・・・。
「提出期限まであと2時間ぐらいだぜ。お前もコピペで済ましちゃえよ?多少改変すればわかりはしないよ。」
と小泉は光太にも同罪を背負わせようと誘惑してきた。
「うーん・・・。」
小泉が言ったとおり、確かにもうそんなに時間も残っていない。だが
「もし、バレたら後々面倒だしな。時間ギリギリまで頑張ってみるよ。」
パソコンの画面を見つめ続けたまま光太は答えた。
「ふーん。相変わらず真面目だねぇ・・・まぁ頑張れや。俺はこいつ提出してバイトに行くわ。じゃあなぁ!」
とプリントしたレポートを手に小泉は部屋から消えていった。
「出来た!」
一人取り残されながらも、光太はレポートを完成させた。文章を再度確認してみる。インターネットで検索して出てきた光太も理解していない、いかにも意味が難しそう単語を書き並べて、「~であろう。」とか「~と予想される。」といったスパイスを交えた内容が無いことを誤魔化すための言葉で埋め尽くされた陳腐かつ適当なレポートが出来上がっていた。
「・・・こんなものかな。まぁ今回は時間もないし、仕方がないか。提出しないよりはマシだろう。」
自分のレポートを読み返しながら光太は妥協した。
パソコンのディスプレイの下に表示された時間を見た。今は17時45分。気が付くとルームには他の生徒の姿はなく、光太一人しかいなかった。
「なんとか間に合ったな。」
レポートをプリントして図書館を出た。外はすっかり夕暮れどきだった。夕日が眩しかった。
大学の敷地内で図書館とは正反対の位置に存在する三階建ての研究棟に着いた。ここの2階に波平の教授室があったはずだ。
光太は研究棟に入った、建物の中は電気が付いておらず薄暗かった。2階の波平の教授室の前まで来た。教授が部屋に在中、不在関係なく最悪、ドア前に設置してあるポストにレポートを入れて置けばよかった。時間も期限の18時前なので問題はなかったはずだが、確実に渡しておこうと思った。ドアを3回ほどノックする。
「先生いますか?」
しかし、返事はない。
「いないのか・・・?ならレポートはポストに入れておくか。」
その時だ。「ドン!ガタン!」と室内から何かが倒れるような音が聞こえてきた。
「先生?」
思わず光太はドアノブに手をかけ回した。ドアには鍵がかかっていなかった。光太はドアを押した。
「失礼しますよ。」
そう言い部屋に入った。部屋の中の光景を見て光太は一瞬固まった。そこには机の横でハゲ頭から血を流して仰向けの状態で床に倒れている波平がいた。びっくりして
「波平・・・!?」
と思わずあだ名で呼んでしまったが、反応はない。
「どうなっているんだ!?」とパニックになっていると後頭部に強い衝撃が走った。
一瞬何が起こったのか分からなかったが、「もしかして何者かに後ろから殴られた!?」と理解すると同時に彼は気を失った。
「う、う・・・ん」
うめき声をあげながら光太の意識が覚醒した。目を開ける。一瞬ここがどこなのか分からなかった。どこかの部屋であることはわかったが電気が付いておらず真っ暗だった。「そうだ・・・課題のレポートを出しに来て・・・それから・・・・」と徐々に記憶が呼び覚まされていく。状況を確認しながらゆっくりと起き上がった。辺りを見回すが闇で視界がさえぎられ、よく見えない。そんな状況でも暗闇に次第に目が慣れていった。部屋のドアは開けっ放しになっているということはわかった。部屋の入口から見える外の廊下も電気がついておらず暗黒と静寂が支配していた。
頭がズキズキと痛む。背後から後頭部を何者かに殴られたという事を思い出した。かなり頭が痛いが、怪我はしていないようだ。とりあえず、部屋の照明をつけようと壁に手を伸ばした。暗闇のせいで照明の電源の場所がよく分からないので両手で壁を触り、手探りを繰り返した。
ようやくボタンらしきものに手が触れた。そして「そうだ!波平が血を流して倒れているんだった!」という事も思い出した。
もしかしたら、先程見たのは悪い夢で電気がついたら、そんな事実はなかった・・・そう、頭から血を流して倒れているハゲ頭のオヤジなんていなかったのだ・・・・なんて淡い期待をしながら、光太はスイッチを押した。部屋の証明が付く。
光によってさらけ出された部屋を見て光太は愕然とした。残念ながら気を失う前に見た光景が悪夢でなく事実であったと確信した。最初この部屋に入った時と同じ状況で、波平が血を流して仰向けで床に倒れていたのだ。波平はピクリとも動く気配がない。
「うわあああ!!!」と思わず光太は悲鳴を挙げ後退りをした。それでも波平は反応しない。
(し、死んでる!?)
キョロキョロと部屋の見渡すと壁にかけてある古い時計に目が入った。短針は「7」、長針は「12」の限りなく近い場所をそれぞれ指していた。(19時・・・)それを見て光太は時間にして自分が1時間程気を失っていたということを知った。
ど、どうすればいいんだ・・・と頭の中が真っ白になっている。ショックで先程まで痛かった頭の痛みが引いていくのを感じていると「う・・・う・・・」という声が耳に入った。光太は驚いた。波平がうめき声を挙げていたのだ。
(え?もしかしてまだ生きている!?)
「大丈夫ですか!?」と光太は波平に駆け寄り、波平の体に触れようとしたが、手を止めた。
(でもこういう時って倒れている人間を無理に動かなさい方が良いとか・・・・)
テレビで仕入れた知識が頭に過ぎる。
そうやって迷っていると倒れている波平の横には大理石で出来た血まみれの灰皿と何本かタバコの吸殻が散らばっていることに光太は気がついた。光太は血で真っ赤に染まっているその灰皿を直接右手で触れ思わず取ってしまった。
その灰皿を見つめながら(もしかして、波平は誰かにこれで殴られたのか?俺もその誰かに後ろから殴られたせいで気を失った?誰に?)
疑問ばかりが光太の頭に浮かんでいた。その時だ。
「き、君・・・そ、そこで何をしているの!?」
震えるような女の声が聞こえてきた。声の方向を見る。ドアが開け放たれたままの部屋の入口の外側から青ざめた顔をした女性と目が合った。女性は見た感じの背格好からして光太と同じく学生と思われる。光太は立ち上がり「あ、あのですね・・・」と状況の説明をしようとした時だ。
顔色が悪い女性は体を震わせながら「ひ、ひ」と言っている。
「ひ?」と聞き返す光太。そしてその女は
「人殺しいいいいいいい!!!」
大きな声を叫んだ。
「ええええ!?」
彼は驚きの声を挙げ、「違いますよ!」と慌てて弁明したが
「じゃあ、その手に持っているのは何なのよ!?」
と女は光太の右手を指指した。光太の右手には真っ赤な血まみれの灰皿が握られたままだった。
「うわぁ!」と思わずその灰皿を放り投げてしまった。激しい音を立てて灰皿が床に落ちた。
再度、光太は
「ち、違いますよ!」
と言いながら右足を踏み出したが女は「来ないで!」と後退りをしながら叫んだ。
光太の右手は血まみれの灰皿を直に触ったせいで真っ赤に染まっていた。光太はそれに気が付き、慌ててズボンのジーパンで右手に付いた血を拭きながら「これは違うんです!」三度言うが女性は完全に怯えきっている様子だった。
「頭から血を流して倒れている男とその横で血まみれの灰皿を持った男が立っている」という物語のワンシーンのような状況が目の前にあるのだ。怯えるのも仕方がないかもしれない・・・・とも光太は思ったが今は「これはあなたの誤解なんです!」という事実を彼女に知って欲しかった。
「なにかあったのか?」「どうしたの?」と先程の彼女の絶叫を聞いたのか、まだ研究棟に残って研究やら仕事をしていたのであろうと思われる何人かの学生達や大学職員達も集まってきた。先ほどまでは人気もなく静かだった廊下が騒がしくなっていく。
「あ、あの男が!」光太を指さしながら集まってきた人間に「あの男が殺人を!」と状況を説明しようとする女。そんな光景を見ながら光太は
「だから!違うんだ!」
と叫んだ。その声が夜の研究棟の建物全体に響いた。