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「元気にしてた?」
彼の声が携帯電話ごしに聞こえてくるのを、彼女は明かりを消した自分の部屋の隅で聞いていた。右手で電話を持って、左手で両膝を抱えて座った姿勢で。真っ黒な闇が、真っ黒な夜の風に運ばれて、開いたままの窓から薄いオーガンジーのカーテンをゆらりゆらりと揺らしながら静かに忍び込んでくる。
「うん、まあね。永野くんは?」
「夏休み前の学期末試験がもうすぐだから、ちょっと睡眠不足かな」
「勉強、がんばってるんだ」
「一応来年は受験生になるわけだし」
彼女が両膝を抱えていた左手を、伸ばして体の左側の床に着こうとした瞬間、ごん、と鈍い音が暗闇を揺らした。
「いたっ」
「なに、どうしたの?」
彼女は左腕を自分の体と立てた膝の間にはさんで胸に押し付けるようにして、体を前方に丸める。
「体の姿勢を変えようと思って左手を床に着こうとしたら、うっかりぶつけちゃったみたい。多分机の角かも」
顔を歪めて、いつもより低い声で彼女が答えた。
「多分?」
「ああ、私の部屋、今真っ暗なの」
「もしかして、もう寝てた?」
彼女は短く、ふふふっと笑う。
「ううん、そうじゃなくて」
ほっ、と彼が小さく息を吐くのが電話ごしにわずかに聞こえると、一瞬彼女は声を立てずに微笑んだけれど、それはすぐに暗闇の中に溶けて、彼女の顔からその表情は消えてしまった。
闇がまた、カーテンを緩やかに押しながら窓から滑り込んでくる。今度は彼女が、長く息を吐いた。
「暗い方が、自分がここにいるって、その存在が感じられる気がするの」
「不思議なことを言うんだね」
彼女の唇がわずかに動いて、言葉の断片がそこからのぞこうとしたその時、乾いた木を叩く音がそれを遮った。
「実穂加、起きてるんでしょう?」
ドアの外からの声に、彼女は両膝を左腕できつく抱えなおす。
「起きてるよ」
彼女の周囲で闇がざわりとざわめいた。
「お風呂もうみんな済ませちゃったから、実穂加もあまり遅くならないうちに入ってちょうだい」
「わかってる」
ドアの下の隙間から見えるかすかな光の線は、そのまま数秒2本の陰に区切られたままだったけれど、それもやがてすうっと消えて、また1本のか細い線になった。
「ごめん、お風呂入っちゃわないと、あの人うるさいから」
彼女は下唇をきつく噛み締めて、両膝を左腕でもう一度ぎゅっと抱えなおした。
「うん、じゃあ、おやすみ」
彼の声が静かに低く響く。
「電話ありがとう。おやすみ」
携帯電話のフリップが閉じられて、暗闇と沈黙がじわりじわりと再び彼女の周りを満たし始め、彼女は目を閉じて、そのまましばらく動かなかった。