<1> Prologue
空は、どこまでも突き抜けていきそうな青だった。放課後の中庭には、他に誰の姿も見えない。彼女が足下の小石を軽く蹴飛ばし、目の前の深緑色の小さな池の中に、石は、ぽおんと音を立てて軽い放射線を描きながら飛び込んだ。顎のラインあたりで切りそろえられた彼女の髪が、突然後ろから吹きつけてくる風にあおられてその白い無表情な顔を一瞬隠すと、彼女はぐっと眉をしかめて、白い指で髪の毛をかきあげた。
「東条さん?」
背後から声がして、彼女が右肩越しに振り返る。その瞳は確かに彼をとらえているけれど、その表情は変わらない。
「ああ、永野くん」
そう言ったきり、またふうっと顔を元の方向に戻してしまう。
「ごめん、話しかけて、迷惑だったかな」
「別に、何かしてるわけじゃないし」
今度は振り返らないままそう答えた彼女の左側からの風が遮られて、彼が隣に同じように立った。彼女の左肩と、彼の右腕が、触れそうで触れない距離を保っている。
「東条さん」
「なに?」
「どうして学校辞めちゃうの?」
彼女は軽く左側に首を傾けて、彼を見上げた。彼の自分をまっすぐに見つめる目線と自分の目線がぶつかっても、やっぱりその表情は変わらない。
「永野くんは、どうして辞めないの?」
「そんなこと、そんな挑むような瞳をして聞かれても」
彼の目元が緩んで、その口元に微笑みが浮かぶ。
「辞める理由、僕にはないから、かな」
「永野くんて」
「うん?」
「優しい目をしてるんだね」
「東条さんて、そんなこと、突然言うんだなぁ」
彼は微笑んだまま、ゆっくりと目を伏せて、はははっ、と笑った。
「ここにはないの」
彼女は音もなく、その場にまっすぐにしゃがみこむ。
「え?」
「ここにはないの、私の居場所」
一瞬の間があって、それから、ふうっと彼は息をついた。その顔からさっきの微笑みが消えて、代わりに眉間に細いラインが見える。
「そんな難しいこと、今まで考えたことなかったよ」
彼の声が、彼女の左上方からぽつりと降ってきた。
「あの、さ、東条さん」
「なに?」
「明日から学校でもう会わなくなるけど」
「うん」
「ときどき電話してもいいかな」
あんなに青かった空が、その末端からいつの間にか赤みを少しずつ強め始めていた。