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「じゃあ、舞子ちゃん、またね。」
「はい。浩さんさえ良かったら、また是非宜しくお願いします。今日は本当にありがとうございました。」
彼女を無事自宅まで送り届けたところで、僕のミッションは完遂された。
車を発進させた僕がバックミラーを覗くと、そこには深々と綺麗な御辞儀をする彼女の姿が映し出されていた‥。
その翌週、母親から携帯に連絡があった。独り暮らしをしている僕は、実家に殆ど電話をしない。大体3ヶ月隔きに母親の方から電話を貰う事が殆どだ。その度に「貴方ね、たまには電話くらいよこしなさい。」とお叱りを受ける。その度に自分の親不孝ぶりを反省するのだが‥‥今回は、やけに早い。
「どうしたの?何かあった?」
そう尋ねた僕に母が伝えたのは、知人の訃報だった。
亡くなったのは高校時代の担任だった。高校では、担任と言っても教える科目は一つなので共有した時間は少なかった。ただし、当時の担任は文芸部の顧問もしていたため、それでも色々と面倒を見て貰ったと記憶している。
「通夜の日時はいつなの?」
母親に尋ねると、幸い仕事上のアポイントメントとは被っていなかった。
僕は通夜に行く事にした。
当日、僕が会場に着いた時、時計の針は既に午後の7時20分を指していた。
元先生という仕事柄に、故人の人徳もあってか、来場者の数は多かった。受付を済ませた僕は、長い列の最後尾に並んだ。
待っている間に周囲を一通り見回したが、知った顔は見当たらない。卒業して10年以上も経っているのだから無理もないのかもしれないが、多少の寂しさは感じた。
20分程経ってようやく焼香の順番を迎えた。恐らくは数年前に撮られたものであろう遺影は、僕等の担任をしていた当時からそれ程年を取ったという印象を感じさせないものであった。手を合わせた僕の頭に、当時の思い出が少しだけ甦った。
「お清めの方へどうぞ。」
焼香を終えた僕に、案内役の女性が別室での会食を促したが、元々長居をするつもりはなかったので、遠慮する意思表示をして帰ろうとした。
だが、そんな僕を呼び止める人物がいた。
「おっ、浩じゃないか。こっち来いよ。」
声の主は‥‥信也だった。
そのまま無視して帰るという選択肢もあったが、この男の前でそんな小物ぶりを見せる事は僕のプライドが許さなかった。
「おう、久しぶりだな。」
そう言って僕は彼の隣に腰を下ろした。
「ほんと久しぶりだ。懐かしいな。」
普通に旧友に再会したように、信也は笑顔で応えた。
「他に当時のクラスの誰か見かけたか?」
「いいや、誰も。」
「薄情な奴らだぜ。」
信也はそう言って、今この場にいないかってのクラスメート達を非難した。しかし、僕に言わせれば、寧ろコイツがここにいる事の方が驚きだった。そんな律儀な心を持ち合わせているような男とは思えなかった。
その疑問はすぐに解消された。お互いの近況報告の中で分かった事だが、信也は保険会社の営業マンをしていた(奴はライフプランナーとか偉そうに言っていたが‥)。亡くなったのは奴にとってかっての恩師であると同時に、顧客の一人でもあったのだ。
「和美は元気にしてるか?」
近況報告も一段落着いたところで、僕は信也に聞いてみた。二人が3年前に結婚した事は、人づてに聞いて知っていた。
「ああ、元気だ。」
僕にとっては、それだけで十分だった。逆に言えば、特段それ以上の答えを求めていた訳では無かった。
だが、奴は続けた。
「ていうか、元気過ぎる。いや、ウザいってのが正しいな。」
「人が急な付き合いで遅く帰れば、激怒しやがるし‥休日は何処かへ連れてけって、うるさいし‥」
「大体、急な誘いにも応じるからこそ、得意先との親睦が深まるってのによ。」
「たまの休みくらい、こっちも体を休めたいってんだよ。」
信也の愚痴は際限なく続いた。
「まあまあ。主婦って奴もストレスが溜まるって言うし、それだけ和美に愛されてるって事だろう。」
僕なりに、彼をなだめようとはした‥‥が無駄だった。
「んな事ねーし、大丈夫だよ。和美の奴、最近はツイッターで俺への不満呟きまくってストレス発散してるらしいからな。」
「もっとも、それであいつの気が済むんなら、どーぞ、どーぞって感じだよ。」
せめて、ここまでで止めとくべきだった。
奴の次の一言は、僕にとっては許し難いものだった。
「あ~あ、こんな事ならあの時、浩に和美を譲っておけばよかったよ。全く、後悔先に立たずだぜ。」
僕は彼に殴りかかる‥‥ようなマネはしなかった。同じ過ちを繰り返す程愚かではなく、それに本音を隠して嘘をつく処世術を僕は身につけていた。
「ハハハッ、妻帯者は大変だな。」
「俺は自由な独身男生活を満喫させて貰ってるけどね。まあ、色々と楽しくやってるよ。」
内心とは裏腹に、笑顔でうそぶいて見せた。
「いいよな~、ほんと。おい、今度俺にも都合のいい女を紹介してくれよ。」
「ああ、そのうちな。」
僕はテキトーに返事をした。
その後、信也と連絡先を交換し僕は式場を後にした。
帰る道すがら、僕は奴の言葉を思い出していた。
『和美を譲ってやれば良かったよ。』奴はそう言った。
その発言を受け止め、許してあげるだけの度量を、まだ僕は持ち合わせていないようだ‥。




