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嘘つき  作者: 末広新通
5/13

 ブルブルッ‥‥

 イタリアンチェーン店のテラスでランチタイム中の僕の、胸元のスマホが振動した。

自分癒しのひと時を邪魔する腹立たしいものであったが、液晶画面に表示されている発信者名を見て、自らのスイッチを入れた。

「はい、大野です。」

「あっ、大野さん、杉浦です。御免なさいね、もしかしたらお昼の邪魔をしちゃったかしら?」

「とんでもない。そんな事ないですし、杉浦さんからの電話とランチなんかじゃ、重要性が比べものになりませんよ。」

「そう言ってくれると、助かるわ。」

「大野さん今どちら?」

「銀座ですけど。」

「実は今、私の友人が遊びに来てるんだけど、大野さんとこの商品の話をしたら、紹介して欲しいって言うのよ。」

「悪いんだけど、今から来れないかしら?」

「悪いなんてとんでもない。寧ろご紹介頂いて助かります。」

「ここから杉浦さんの自宅がある麻布だったら、30分以内には伺えますよ。」

「ありがとう。じゃあ待ってるわね。」

「はい。御友人にも宜しくお伝え下さい。」

電話を切った僕は、残りのパスタとコーヒーを掻きこみ、短いランチタイムを終えた。

僕はスマホ内の電話帳を、その有用性によって5段階に分けている。今電話があった杉浦さんは、上から二番目のBランクだ。スマホの着信時画面には、名前の前にランクが表示されるように登録してある。まあ、出来る営業マンとしては当然の対応策だ。

ちなみに、僕がランチをとっていた場所は銀座ではなく新橋だ。些細な嘘ってやつだ。距離的には近くだし、彼女達は銀座でランチタイムを過ごすような営業担当から物を購入する事にもステータスを感じる人種なのだ。要は客が喜ぶ嘘をついてあげただけの事だった。

 杉浦さんの家には、約20分後に着いた。約束の10分前、これも営業マンの基本だ。

それにしても、相変わらず無駄に大きな家だ。こんな大邸宅に夫婦2人だけで住んでいるなんて、勿体ないとは思わないのだろうか。まぁ、金持ちの考える事ってのは土台理解しがたいものだ。

僕は化粧品メーカーの営業課長だ。部下もそれなりにはいる立場だが、やはり太い客は自分で管理している。

大野さんは、見た目通りの太い客であり、よくお金持ちの友人を紹介してくれる。

「待ってたわ、大野さん。ほんと急に御免なさいね。」

彼女はそう言って、僕の訪問を歓迎してくれた。

リビングに通されると、そこには1人の御婦人とその足元に1匹のチワワがいた。

「貴方が大野さんね。初めまして、渋谷です。」

「杉浦さんがね、いつも貴方の事をとてもお褒めになるのよ。」

「それで一度お会いしてみたいと言ったら、彼女ったらすぐ電話しちゃって‥‥御免なさいね。」

挨拶をした彼女とは初対面ではあったが、その見た目の品の良さ、話す声のトーン、所作が、彼女が裕福な富裕層の一員である事を物語っていた。

「初めまして、大野です。無理なんてとんでもない。こちらこそお会い出来て光栄です。」

「それにしても、杉浦さんハードル上げすぎですよ。」

「いいのよ。私は大野さんと○△化粧品の大ファンなんだから。それよりも、折角来たんだから、しっかり営業しなさいよ。」

「参ったなぁ、杉浦さんには敵わないですよ。」

杉浦さんのいいアシストを受けて、僕は営業トークを開始した。

 正直、化粧品の種類、構成成分や効用について、うちの会社と競合他社の商品にさして差がある訳ではない。要は、お客に合ったものを見極めて提供し、その効果を実感させる事だ。その効果が実感出来れば、客はその商品が多少高価でも購入に抵抗感など感じないものだ。

勿論、その為に営業マンには様々なスキルが求められる。人間の皮膚の構成・特質についての知識、肌質毎の臨床データ、他社商品に対する不満点とその解消法等々‥これらを習得した上で、好感度の高い人物を演じ、効果的な話術を用いれば販売実績を伸ばす事はさして難しくはないと僕は考えている。それが出来ないのは単なる努力不足に他ならない。

商品提案は順調だった。短い時間のやり取りで、この御婦人の信頼を得てきているという手応えが、僕にはあった。

「では、取り敢えずこちらの試供品を1週間使用してみて下さい。先程申し上げた変化が、きっと実感出来ると思います。」

僕が、1週間後の再訪問へ向けてのクロージングに入っている最中だった‥。

「トンッ、‥トンッ、‥トンッ‥。」

左後方の階段から、誰かが降りてくるのが分かった。

(変だな、ご主人は会社に行っている時間の筈‥。)

振り向いた僕が目にしたのは、20代前半と思われる女性だった。肩までのストレートヘアーで、ほぼノーメイクで童顔の彼女は見方によっては10代にも見える。白いワンピースの上に薄いピンクのカーディガンを羽織っており、一言で言えば清楚な雰囲気の娘だった‥。

「あらっ、舞子ちゃん。降りてきたの?」

「だって、下でキャンディの鳴く声が聞こえたから‥。」

「そうか。舞子ちゃんはキャンディが大好きだもんね。」

「うん。」

「ただね、実は今、渋谷さん以外にもお客様がいらしているのよ。」

「えっ、そうなの?‥‥御免なさい。」

杉浦さんと彼女のやり取りを聞いた僕は、彼女が杉浦さんの御身内だという事と‥‥恐らく彼女は目が見えないのだという事が分かった。いま自分の目の前にいる僕の存在に、明らかに気付いていなかったのだ。

 言葉を失っていた僕に、杉浦さんが気付いた。

「あっ、御免なさいね。彼女は姪の舞子。こう見えて、23歳なのよ。」

「お義母さん、こう見えては余計でしょ!」

「ふふっ、御免なさい。」

「あっ、初めまして。舞子です。」

そう言って、彼女は僕が座っていた場所よりちょっと右に逸れた方向へ向かってお辞儀をした。両手をお腹の前で重ねて行った綺麗なお辞儀だった。

「初めまして。化粧品の営業販売をしている大野です。」

僕の声を聞いた彼女は、慌てて自らの向いている方向の微調整を行った。恥ずかしげにやや赤らめた頬が、彼女の初々しさを更に強調させていた。

キャンディが彼女の足元に駆け寄り、彼女の脛の辺りを前脚でトントンと叩いた。彼女は嬉しそうに笑みを浮かべて、キャンディの頭を撫でてあげた。

「じゃあ、私部屋に戻るね。」

「渋谷さん、また後でね。」

「はい。後でキャンディと遊んであげてね。」

渋谷さんへの挨拶を済ませた彼女は、今度は正しく僕の方向を向いて軽く会釈してから去って行った‥。

その後ろ姿が階段の段上に完全に消えるまで、その場の全員が彼女に向けた視線を逸らせずにいた‥。



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