マリヤの災難
ウィリアム王子をつねに護衛している騎士は、エリアス・ブランドンと言って、魔術師のことをよく知っているようであった。彼がマリヤに一体なにをして殴られたのか噂を確認がてら聞いてみると、その現場を間近で見ていたという。頭痛を押さえるように目元を覆って首を振り振り、
「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、あれほどとは思わなかった」
などと言う。ただの知人には、そこまでは言えないだろう。台詞に、かなりの気安さが含まれていた。
アドリアン・ターナーは、マリヤから魔術の効きにくい体質について話を聞くと、なんの前触れもなく屈みこんで彼女の左手首と右足首に二指をあて、魔力を通してみたらしい。驚いたマリヤは悲鳴をあげて、手に持っていたお盆を両手でもって力の限り振り下ろした。それはもう素晴らしい勢いで、アドリアンの頭にはたんこぶができたようだ。あのお盆は、なかなかの強度があるようで、たんこぶだけですんで幸運だったとは騎士の言である。
ただ確かめようと思っただけで、本人にはそれ以上何の意図もなかったらしい。確かに役得だからと言ってしっかり触る気があったら逆にもっと気を配っていただろう。しかし、前触れもなくそんなことをしたら、殴られても文句は言えないのではないか。足を隠すのが基本であるここの装束からして、リリアナの感覚以上に足首を触るのはダメな気もする。試しに、男性が女性の足首を触るのは、よくあることなのか聞いてみると、例え夫婦の間柄でも寝室以外ではありえない破廉恥な行いだとのこと。
もしかしたら魔術師としての能力は高いのかもしれないし、本人の言うとおりエリートだったりするのかもしれないが、リリアナから見れば社会的な能力がスコンと抜けているようにしか見えない。
「あの男ーーターナーは、魔術師としては一流の能力がある。あるのだが、一流らしさというものがまったく欠けている。こんなところでフラフラとしているのも、そのせいだろう。リリアナ嬢も、あれに大人の対応とか、気づかいを期待しないほうがいい」
「まぁ……、そうですわね。それにしても、やはりこの離宮は出世から離れた場所ですのね。来客もございませんし、周囲は大きな森ですものね」
エリアスは意外そうに、ちらとリリアナを見やった。
「知らなかったか」
「わたくし、王子さまの傍から離れられないんですの」
リリアナは、契約に縛られている。王子が、その生涯を終えるまでは一定距離以上を離れて存在できないのである。
「ここしか知らずに推測できるのなら、大したことだ」
「何も知らないわけではございませんから。昔は、人間として生きておりましたし」
「ふむ、確かに。ターナーよりは随分と世慣れているようだ」
「それは、比較の対象が悪いんじゃございません? わたくしも、大した人生経験はございませんよ。外を出歩くことがほとんどありませんでしたから」
「直接体験したことだけがすべてではあるまい。書物でも、ある程度の洞察力は得られよう」
「アドリアン様は、そもそも洞察する気がなさそうですわね」
「否定できぬな。エリートと言い張るわりには、政治に興味がない」
エリアスは、それを悪口として言ったわけではなさそうであった。リリアナには、その事こそを好ましく感じているように見える。何があったのか、もしくは元よりそうだったのかもしれないが、エリアスこそが政治には関わりたくないと強く思っているようであった。