妖精と世界の階層
「リリアナは、どうして触れないの?」
ウィリアム王子は、机から乗り出すようにしてリリアナに顔を近づけてくる。彼女のサイズが小さすぎるせいなのか、この王子さまは、リリアナにだけは限界まで近寄ろうとしてくる。
リリアナは、用意してもらった妖精専用の椅子に張り付くようにのけぞった。小さな割にしっかりした椅子で、ガタつきもなければ強度も十分、ヤスリもニスも手抜かりなしの立派なものである。
「ウィリアム様、怖いのであんまり近づかないでくださいますか。逃げませんから」
「あっ、ごめんなさい」
「リリアナ、椅子と重なってるよ」
「あら、失礼。アドリアン様」
リリアナは、慌てて姿勢を糺した。油断すると、どうしても位置を間違えてしまう。
「ウィリアム様、わたくし達妖精は存在してないんですのよ」
「えっ」
「ウィリアム様達と同じ世界には、ですけれど。これはね、とってもむずかしいお話なんです。お話ししてもよろしいんですけれど、ウィリアム様にはわからないかもしれませんわよ」
「そうなの?」
「それでも聞きたいですか?」
はいはいはーい! 王子を差し置いて魔術師が手を挙げて答えてくる。相変わらず、年相応の落ち着きは皆無である。
「僕は聞きたい」
「アドリアン様は、聞く必要ないでしょう」
「んや? そうでもないよ?」
「ぼく、聞きたい。わかんなくても」
「じゃあ、お話しますね。えぇと、そうですねえ。この世界は、いくつもの世界が重なってできているのですわ。今日のおやつのパイの生地のように。折り重なっているのです」
「世界が、かさなってる……」
「ウィリアム様は、この間、神様と天使様の階層図をご覧になったでしょう? 三角の一番上が神様、その下に七階層、位の違う天使様がいらっしゃる階層がある」
「うん、神官さまが見せてくれたよ」
「あのように、世界はいくつもの階層に別れているのです。見えないけれども、重なっているのです。高い階層からは、下の階層は見えても、逆に見ることはできないのです。神様からは、すべてを見晴るかすことができますが、わたくし共からは神様を見ることはできません。そうして、わたくし達妖精からは精霊も、ウィリアム様も見れますが、ウィリアム様からは、わたくし達を見ることができません。わたくし達妖精は、物理階層の存在力を摂取することでウィリアム様にも見えるようになりますけれど、もともとの階層が違いますから、お互い、あまり干渉ができないのですわ」
「かいそう……ぼくはリリアナとは別のところにいるの?」
あまり理解したようではなかったが、何か寂しそうな表情をみせるウィリアム。
「まぁ、そうですわね。わたくし達は、幻のようなものですから。それでも、こうして妖精になる前には、みな生きていたのですわ。ウィリアム様と同じように。そういう、今は生きていない存在なのですわ」
「生きていたの? リリアナ、人間だった?」
「ええ、一応人間として生きておりましたよ」
「それは初耳だな。妖精は、かつて生きていた人間だって?」
「あら、アドリアン様はご存知かと」
「いや、そんなことはないよ。確か、そんなことまで喋った妖精はなかったはずだし」
「まぁ、どんな状況かにもよりますけれど、禁止はされておりませんわよ。喋ってはいけないことは、記憶から封印されてしまいますし。あとは、信頼関係でしょうか」
「信頼関係ね、まぁ、それはないだろうね」
「アドリアン様の情報元には、いろいろと言いたいこともございますが……わたくしを拘束だけはなさらないようにお願いしたいところですわね。場合によっては、完全に消滅してしまいますから」
魔術師は、よほど驚いたのか、目を見開いて固まっている。何か、心当たりがあるようだった。
「わたくし、今の状況を結構楽しんでいるんですのよ。身体の大きさこそ手のひらサイズですけれど、思うように動けますし、病気もありませんし。それに、……きっと、これが一番よかったのですわ」