あと少し待てば
※病気、麻痺に関する記述があります。
不幸ネタ嫌いな方は回避でよろしくお願いします。
回想(三)
あなたなんか……、その圧し殺した言葉に千もの感情が詰まっているみたいだった。わたしは、車椅子ごと階段を滑り落ちながら、その言葉にこそ衝撃を受けていた。
(そっか……、やっぱり)
嫌われていた……、ううん、憎まれていたんだ、わたし。優しそうな表情が時々歪んでいるのも知ってた。兄を献身的に支える秘書に、階段から突き落とされたのだ。わたしは、もう、死ぬのだろうか?
死神が保障してくれたのに? わたしの言葉を伝えられるようにすると、確かにそう言ったのに? わたし、騙されちゃったの?
意識が途切れる直前に、苦笑する気配がした。信用がないな、だなんて、やけに人間臭い……。
結果からいうと、わたしは死ななかった。けれど、ぶつけたところが悪かったので、左半身が動かなくなってしまった。何より悲しかったのは、顔の筋肉が麻痺したせいで、左半分は、普通の表情すら出来なくなってしまったことだ。口を閉じておくこともできないので、よだれひとつ止められないし、まともに話すこともできない。
この顔を兄に見せたくはなかったが、会いたくないとは言えなかったし、言いたくもなかった。でも、兄が来るときには、怖くて暴れてしまった。馬鹿みたいだ。嫌われるのが怖くて、よけいに見苦しい姿をさらす羽目になってしまったのだから。
意思を伝える手段を失ったわたしに、小さめのノートパソコンが与えられた。片手で入力しやすいように大きなトラックボールとテンキーがついていて、邪魔にならないよう、使いやすいようにきちんと考えてセッティングしてくれたのは、件の秘書だった。きっと諸々の手配をしてくれたのも、この人だろう。わたしは、複雑な気持ちでそれを眺めていた。
使い心地を試すように言われて、礼の言葉を入力したあと、ちょっと考えてわたしは、こう書いた。
『バカなひとね。わたしは、もとから、もう長くないのに。あと少し待っているだけで良かったのよ』
背後に立つ身体が、硬直するのが分かった。
『兄に内緒で遺書を書きます。手伝って欲しいの』
喉に引っ掛かったような荒れた声が、かしこまりました、と告げた。
もう、あまり時間はないだろう。出来るだけのことを済ましてしまわなければ。