王子を取り巻くもの
この離宮にいる人々は、ウィリアム王子のためだけに雇われているのだという。人数は、ごく少ないが、だれもが王子を慈しんで養育している雰囲気があった。これは実に稀有なことであると言える。
通常、王族を養育するのに、これほど少人数であたることはない。その多寡はあれ、権力闘争に縁付かざるを得ない王族は、つねに暗殺や利権をめぐるトラブルと背中合わせである。護衛も十分に必要であるし、放っておいても人が寄ってくる。しかし、ウィリアムについては、そうではなかった。存在が隠されているわけではない。忌避されている、といったほうがよい状況なのだという。
「母親に捨てられたのさ。国王の子ではない、呪われた子だって、母親である王妃が言ってる」
何が起こってそういう話になったのかは、いまだに分かってないんだとアドリアンは言った。
「少なくとも、殿下は国王の子ではない、しかし、王子ではあるってとこまでは公式に確定してる。王位継承権は元老院を通して正式に剥奪されてるんだ」
リリアナには理解しがたい話であった。国王の子ではないのに王子ではある、というのが意味不明である。
「王子というのは、国王の子のことを言うのではないんですの?」
「まぁ、普通そうだよね。ただ、この場合の王子ってのは、地位の名称だな。王家に生まれた成人していない男子のことだ。降嫁していない王妹が生んだ子供とかも同じくくりに入るな。過去に王妹が入り婿とった事例があった気がする。けど、殿下の場合は、またややこしいんだな。殿下は、確実に王家の一員ではあるんだ。これは我が王国の王家特有の話でね。古王国と称されるだけあって、アガルタの王家は神の加護を得ている。ただ、それはあくまでも王家であって、王の血筋ではない、ということだよ。王家に列せられた女から生まれた子供は、皆が王家の一員であり、王子であり王女であるんだとさ」
「それは初耳ですわ。むつかしいんですのね」
「しかも、国民のほとんどが知らない。貴族でも、古い家柄のものしか知らないみたいだ。だから、余計にややこしいんだ」
魔術師は、もったいぶって声を潜めた。
「本来から言えば、ウィリアム殿下には王位継承権がある。これは神殿が保証する権利だ。でも、国民は、いや多くの貴族すら殿下がほんとうに国王の子でなければ継承を認めようとしないだろう。王国は、政体として正式に元老院を通して王子の継承権を剥奪したけど、神殿は、元老院に継承に関して決定権を認めていない。剥奪には世間的には意味があるけど、本質的には効力がないんだ。知らない人間の方が多いけどね。あと、ついでに言うと、殿下が国王の子でないというのは、王妃が言ってるだけで、誰も確認してない。父子の親子関係を判定するのは魔術をもってすれば不可能じゃないが、殿下に関して言えば、それは認められてないんだ。経緯は端折るけど、まぁ、神殿が許さなかったんだな」
面白いだろう、と魔術師は目を細めた。恐らくは、自分の進退にもかかわるだろうに、まったく他人事のようだ。
「アガルタ古王国は、古き王国としての主体と、実際に政治を行う国としての主体が完全に解離してる。そのせいで、完全に冷遇するわけにもいかず、王として立つような気概を与えるわけにもいかない王子なんてものが出来てしまったんだね。王妃は、こうなることを分かっていて、それでも王の子ではないと言った。自分が非難をうけるだろうことも知っていて、だ。それは、見捨てたってことだろ、やっぱり。それほどの呪いってのは何なのだろう。王妃の心に何が起こったんだ? 僕は知りたいよ。心の底からそう思うね」
鮮やかな緑の瞳は、常よりも暗く沈んで底光りするようであった。リリアナは、その表情に、普段明るく見せている彼の業を見るような気がした。
「単に、思い込みかもしれませんわ。ウィリアム様には、呪いなんてございませんわよ。わたくしには見えませんもの」
リリアナの目には、ウィリアム王子が加護と祝福に包まれた存在にしか見えない。呪いなど、どこにあるものか。
「少なくとも、特別な存在ではあるよ。意味のない平凡な人間に、契約妖精が張り付いているわけがないでしょ。もっとも、僕だって妖精本人が理由を知ってるとは思わないけど」
アドリアンの言うとおりであった。リリアナは、そこにいるだけでよく、なにも知らされてはいない。それが妖精というものだ。過去は、魂を壊れにくくするための重石にすぎないのだから。