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コンチェルト。アゲイン  作者: 煮込みハンバーグ
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48【愛の誓い】

  【愛の誓い】


 二月にもなれば少しは暖かくなるかとも思ったが、未だ風には肌を刺す寒さが残っている。

 そして、二月にはとても大きなイベントが待っている。そう、バレンタインだ。

 俺の最も古いバレンタインの記憶は一年の終わりが最後の記憶だ。

 あの時は、家族である聖雪と母さん以外からは、二ノ宮と音瀬からチョコレートをもらった。

 二ノ宮と音瀬は一年の時にもくれたが、二ノ宮は「感謝しなさい」と何だか上から目線でチョコレートを差し出され、音瀬からは「いつもありがとう」と、感謝の印としてもらった。

 去年の二月は丁度、俺はまだ意識が戻っていない状況だったし、バレンタインどころの話ではなかった。だが今年は本命チョコがもらえる、はずだ。

 俺には香織という彼女が居て、彼女が居ればそりゃあ本命チョコは期待してしまう。しかし、露骨に物欲しそうな顔や態度をするのは、何だかみっともなくて恥ずかしい。だから、出来るだけそんな事は顔に出さないように心掛けている。

 そして、そんなこんなで迎えたバレンタインデー当日。俺は朝っぱらから、とんでもない状況に困り果てていた。

「跡野先輩! 良かったらもらって下さい」「跡野さん、はいチョコレート!」「副会長、応援してます」

 校門で、朝の挨拶運動週間という挨拶強化キャンペーン的な活動の一環で校門に立っていると、前を通る女子に大小様々なチョコレートを手渡される。その殆どが、お菓子メーカーが出しているお菓子の小袋が殆どだが、中にはちゃんと包装紙でラッピングされたものもある。

「あら跡野さん、今は挨拶運動の時間なのだけれど?」

「そう言われてもな……俺が悪いのか?」

 隣に立つ近藤さんが、スポーツバッグにチョコレートを仕舞う俺を見下ろし、冷ややかな視線と声をかける。

「でも、跡野先輩凄いですね。僕もそんなにチョコレートをもらってみたいです」

「まあ、嫌われてるより慕われる方が安心ではあるな。よくあるお菓子の小袋ばかりだから義理だろうけど」

「本命をもらっても困るんじゃないかしら?」

「いや、そもそも本命はくれる人が居ないだろ。ただ、気持ちには応えられないから、貰ったらちょっと困るかもな。迷惑だとは思わないけど」

 チョコレートをくれると言っても、男としてモテていると言うより、マスコットキャラクター的な人気に近い。いや、公園の鳩だろうか? そう考えると、どうやら俺は餌付けされているらしい。

「あら? 彼女からは本命チョコもらえなかったの?」

「まだ今日は始まったばかりだ」

「でも、きっと本命チョコ貰えると思うわよ」

 近藤さんが涼しく微笑み挨拶運動に戻る。

 期待するのは恥ずかしい。でもやっぱり期待はしてしまうものだ。

 彼女の本命チョコレートを。


 挨拶運動を終えて教室に行くと、既にクラスメイトの殆どが登校していて、クラスの中は物凄く賑やかになっていた。

 その賑やかな雰囲気はいつもと同じように見えて、少しだけ違う。何だか、いつもより全体的に色めき立っているように見える。特に、男子が。

「いやー寒いと甘い物とか食べたくなるよなー」

「だよなーチョコレートとかいいんじゃね? 雪山で遭難した時にチョコレートがあって助かった人が居るらしいし!」

 バレンタインデー当日の朝に、露骨なまでのチョコレートが欲しいアピール。なんだろう端から見ているせいか、もの凄く悲しくなってきた。

「優一さん、お疲れ様」

「ありがとう、香織」

 香織が俺に話し掛けてきただけで、クラスメイトの視線が集中する。男子だけでなく女子も。

 香織は周りの視線を気にした様子も見せず俺の顔を見る。そして、俺のスポーツバッグを指さす。

「優一さん、今から荷物チェックの時間です」

「荷物チェック?」

 香織の指さしたスポーツバッグに視線を向け、また香織の顔に視線を戻す。そして、首を傾げようとした時に、香織がニッコリ笑った。

「優一さんが貰ったチョコレートのチェックするから」

 香織の机の上に、俺のスポーツバッグからチョコレート菓子が次々と出てくる。大体はよく見るチョコレート菓子なのだが、その中に綺麗にラッピングされた物が何個か混じっている。

「…………手紙付きだ」

「か、香織?」

 自分の机の右側にメーカー製のチョコレート菓子を並べていた香織は、左側にラッピングされた物を置く。そして次にさっきより大きめのラッピングされた物が出てきて、それも左側に並べて置いた。

「本命チョコ……一二個……」

 スポーツバッグの中に入っていたチョコレートを出し終え、ラッピングされた物達を見て、香織はそう呟く。どうやら、香織はこのラッピングされた物を本命チョコだと思っているらしい。

「香織、これが本命チョコかどうかなんて――」

「全部綺麗なラッピングしてる」

「いや、スーパーとかで既にラッピングされた奴とか売ってるだろ」

「全部手紙付き……」

「いや、生徒会頑張れとかそんなのだろ、きっと」

 目に見えて香織がシュンとして、テンションが下がるのが分かる。確かに、右側メーカー製チョコレート菓子よりも違っては見える。でも、だからと言って本命とも限らない。

「優一さん、ちゃんと手紙は見てあげてね」

「あ、ああ」

 心配そうにラッピングされた箱を見詰める香織は、俺にそう頑張って笑いながら言う。明らかに無理しているのが分かる。

「それで、告白だったらちゃんと返事をしてあげて」

「でも、いいのか? そういうの嫌なんじゃ?」

「うん……あんまり嬉しくない、かな。優一さん、他の子に取られちゃうかもしれないし……」

「いや、それはない」

 全く、いつになったら香織は自分の魅力に自信を持ってくれるんだろう。香織みたいに、可愛い彼女が居るのに他の子に目移りする男が居るわけない。ただ、こうやって捨てられた子犬みたいに目を潤ませている姿も可愛いから困ってしまう。

「もし、私が本命チョコ渡した立場だったら、答えてくれなかったら悲しいから」

「もちろん、告白とかだったら返事はちゃんとする。俺が好きなのは香織だって言うに決まってるだろ」

 周りの視線が気になるが、香織が不安そうにしているのはもっと気になる。

 別に香織は俺の事を信じてないわけじゃない。香織は自分に自信がないのだ。

 俺からしたら、こんなに見掛けも可愛くて性格も優しくて人懐っこい香織が、不安になる理由が分からない。正直、不安になるのは香織を彼女に持つ俺の方だと思う。

「とにかく、大丈夫だ」

 チョコレートをスポーツバッグに仕舞いながら、不安げな顔の香織に声を掛けて、予鈴が鳴るのを聞いていた。


 弁当を食べながら、俺は妙な雰囲気に視線を巡らす。いつも昼食を食べる時は香織とセリアと三人で食べる事が多い。今日もその三人で食べているのだが、いつもと違い、セリアが静かだ。

「セリア」

「ハ、ハイ?」

「体調でも悪いのか?」

「いえ、元気デス」

 確かに顔色は悪そうじゃない。が、まるで借りてきた猫のように大人しい。いつもなら昨日見たテレビとかの話を楽しそうにしているのに、今日は終始黙って弁当を食べている。

 弁当を食べ終わったセリアは、弁当を片付けてからも大人しくしていて、チラッと俺を見た後に席から立ち上がる。

「ユーイチ、少し、ワタシに時間を下サイ」

「セリア?」

 いきなり重々しい雰囲気で言われ、俺も腰を椅子から浮かしてセリアの様子を窺う。そのセリアは俺から香織に視線を向ける。

「カオリ、ユーイチを少しお借りするデス」

「うん……分かった」

 セリアの言葉を受けた香織は、ゆっくり頷く。その香織の表情も晴れやかとは言えない。

「ユーイチ、付いてきて下サイ」

 そう言ってセリアが歩いて行くのを、少し慌てながら追い掛ける。廊下に出て数歩先を歩くセリアは、一言も話さず廊下を突き進んで行く。

 セリアはいつも明る過ぎるくらい明るくて、ニコニコと笑って雰囲気を明るくしてくれていた。こうやって、自分から重々しい空気を作るような性格じゃない。

 セリアは黙ったまま歩き続け、校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下の中程で止まる。

「ユ、ユーイチ、良い天気デスネ」

 俺はセリア言葉を聞いて空を見上げる。

「セリアは曇りが好きなのか?」

「…………ユ、ユーイチ! とても過ごしやすいデスネ」

 セリアの言葉の後、肌を刺すような寒風が体を打つ。

「セリアの国よりかは、日本は温かいのかもな」

「………………」

「なんで黙るんだよ。なんか様子が変だぞ? 元気がないけど体調でも悪いのか?」

「ち、違いマス。ワタシは元気デス!」

「じゃあ、どうしてそんなに大人しいんだ?」

 俯くセリアは、ポケットから小さな小袋とカードを取り出した。

「ユ、ユーイチに受け取って欲しい、デス」

 きめ細かく真っ白な肌を、熱せられた鉄みたいに真っ赤にして小袋とカードを差し出す。セリアは両目をキュッと瞑っていて、手も小刻みに震えていた。

「ありがとう、セリア。でも、俺は香織の事が好きなんだ」

「分かっていマス! でも、ユーイチに受け取って欲しいデス! ユーイチの事が好きだから、ユーイチの事が大切だから、受け取って欲しいデス!」

「そっか、ありがとう」

 セリアの手から小袋とカードを受け取ると、セリアはホっと安心した顔をして表情を綻ばせた。

「ナギサと一緒に作ったデス」

「手作りか、わざわざありがとう」

「いいえ、とても楽しかったデス!」

 小袋の中身はバレンタインデーのお菓子だとして、カードの内容が分からずとりあえず開けてみる。

「ユッ、ユーイチ! ここで開けないで下サイ!」

 慌ててカードを取り上げようとするセリアをかわして、カードに書かれた文面を見る。綺麗な英語の筆記体で書かれた文。達筆過ぎるというのもあるが、そもそも俺は英語が得意ではない。しかし、それを分かっていたのか、筆記体の下にはぎこちない日本語の文が書かれている。

『私は貴方を愛しています』

 その文を見て思わず固まる。

 セリアは修学旅行の日から、度々、それこそ冗談半分に思えるような形で、俺に好きだと言っている。

 修学旅行の日の真剣な告白は断るのが申し訳なくて辛い思いをしたが、今は気軽に「すまん、俺は香織が好きだ」と断っていた。

 そんな状況でのこの告白だ。意表を突かれたというかなんというか。言葉ではなくカード、文章という形がなんとも新鮮でむず痒く感じる。

「ありがとうセリア。気持ちには応えられないけど、嬉しいよ」

「そ、そうデスカ。ユーイチに喜んでもらえたのなら、良かったデス」

 少し熱は冷めたものの、セリアの顔はまだ赤い。そんなセリアは、顔を赤くしたままニッコリ笑う。

「バレンタインに贈り物をしたのは初めてデス。とても、良いものデスネ」

「俺もこうやって渡されるのは初めてだ。申し訳ない気持ちもあるけど、素直に嬉しいって思う」

「で、では、戻りまショウ! カオリが待っていマス」

 タタタっと駆け出して行ってしまうセリアに置いて行かれ、俺は一人渡り廊下に取り残された。その遠くなって行くセリアの後ろ姿を見て、何となくホっと安心した。


 放課後、生徒会室に入るなり、目の前に両手を組んで仁王立ちしている鬼が居る。

「……なんで睨み付けてるんだ?」

「睨み付けてはいないわ」

「どう見たって睨み付けてるだろ……」

 生徒会室の中程で俺を睨み付けている近藤さんは、ハアっと息を吐いて脱力したと思ったら、鞄から何かを取り出して野田さんと眞島に手渡す。

「二人共、いつもありがとう。これは私からの感謝の気持ちよ」

「ありがとうございます!」

「近藤先輩、ありがとうございます」

 眞島は嬉しそうにラッピングされた包みを受け取り、野田さんも笑顔で同じ物を近藤さんから受け取る。

 俺はいつもの席に腰掛け、相変わらず散乱している書類の分別を始める。

「そういえば、跡野さんは挨拶運動の時に貰ったらチョコレート以外にも、セリア・カノーヴィルさん。それから高塚渚沙さんからも貰ったそうね」

「ああ、セリアと一緒だけどいつもありがとうってくれたな」

「モテる副会長を彼氏に持つ駿河さんが大変ね」

 近藤さんは鞄からもう一つ包みを出してテーブルに置き、そして作業を始めた。

「近藤さん、これ目を通しておいてくれ」

「あら? 昨日の今日なのに早いわね」

 俺は鞄から書類を数枚挟めたクリアファイルを取り出し、近藤さんに差し出す。

「言い出しっぺは俺だからな。それに今回の責任者は俺だ」

「責任者と言うよりも、企画者ではなくて?」

「企画は生徒会だ。実際、内容は近藤さんと野田さんに頼ったし」

「いえ! 私は跡野先輩のお役に立てれば何でもします!」

 野田さんが身を乗り出してそう言い、近藤さんは何故か俺に非難するような目を向ける。

「さて跡野さん。ここに私が焼いたチョコレートクッキーの入った包みがあるわ」

「近藤さん、片付け出来ないのに料理は出来るのか」

「失礼ね。女性として最低限の事は出来るわ」

「整理整頓も最低限の事に入れてやれよ」

「とにかく、ここに包みがあるわ」

 頑なに整理整頓については認めようとしない近藤さんは、さっき自分で置いた包みを指さす。改めて言われなくてもさっきも言っていたし、言われなくても分かっている。

「バレンタインという日には諸説あるけれど、女性が想いを寄せる男性にチョコレートをプレゼントする文化は日本特有のものよ。海外では恋人や想い人に限らず、お世話になった人や親しい人にチョコレートではなく花やメッセージカードをプレゼントする習慣があるわ」

 なるほど、だからセリアは俺にカードをくれたのか。チョコレート以外に手紙が添えられている物もあったが、メッセージカードはセリアだけだった。それは、海外の文化だったかららしい。

「この包みは日本的な意味ではなくて海外的な意味で贈られるものよ。つまり、感謝の気持ちを込めて贈られる物。それをちゃんと理解した上で受け取ってもらえるかしら?」

「あ、ありがとう。でもなんで俺だけにそんな丁寧な説明が付いてるんだ? 二人には普通に渡してただろ」

 近藤さんは少しだけ眉を動かしてから瞳を閉じ、ゆっくりと開いて微笑んだ。

「モテる跡野さんが、他の本命チョコレートと同列にこのチョコレートクッキーを扱わないようにするための予報線よ」

「…………そんな予報線を張らなくたって、近藤さんが本命チョコレートを俺にくれるとは思ってないから大丈夫だ。ありがたく頂くよ」

「いいえ、どういたしまして」

 すました笑顔で言う近藤さんは、俺が手渡した書類に目を通し始める。それを見届けて、俺は書類の分別を再開した。


 書類の分別を終えて、企画に関する話し合いも終え、フッと息を吐いて時計の針を見ると、もう少しで下校時間というところまできていた。

「あっ、近藤さん。俺、二ノ宮に呼ばれて、ちょっとサッカー部に顔を出さないといけないんだけど、早目に上がっても大丈夫か?」

「ええ、跡野さんのまとめてくれたこれのお陰でスムーズに話し合いも進んだし、問題ないわ」

「そっか、じゃあ先に上がらせてもらうよ。お疲れ様」

 椅子から立ち上がって鞄を持ち上げると、隣からも椅子が引き摺られる音が聞こえた。

「あ、跡野先輩! 少し、お時間大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だ」

「えっと、廊下に出てもいいですか?」

「いいよ。じゃあ、二人共お疲れ」

 野田さんに言われて廊下を出る前に、二人に挨拶をして廊下に出る。先に出ていた野田さんは、両手を後ろに組んで俯いて立っていた。

 俺はその野田さんの向かいに立って、視線を野田さんに向ける。しかし、野田さんは俯いたまま動こうとしない。

 時間にしては数十秒くらいの間だった。その間を破るように、野田さんが口を開いた。

「私と跡野先輩が初めて会った時の事、覚えてますか?」

「俺の記憶が正しければ、夏休みだったかな」

「はい、怪我をした私を跡野先輩が助けてくれた時です」

 ニッコリ笑う野田さんに言われるが、助けたというほど大層なことではなく、応急手当をしただけだ。

「跡野先輩が手当して下さったから、アザもできませんでした」

「それは良かった。女の子は跡が残ると大変だからな」

 野田さんは頬を赤らめて、スッと視線を上げて俺を見る。

「凄く、跡野先輩、格好良かったです。あの時からずっとずっと、憧れてました」

 後ろに組んでいた手を前に出した野田さんの手には、綺麗にラッピングされた箱が載っていた。

 ピンク色のリボンが結ばれた可愛い花柄の包装紙に包まれたそれを、野田さんはギュッと握り締める。

「跡野先輩に彼女さんが居るのは分かってます。でも、私は跡野先輩が好きです。彼女さんよりも跡野先輩を好きな自信があります。跡野先輩が好きな女の子になる努力もします。だから、私と付き合って下さい!」

「ごめん、俺は香織の事が好きだから」

 考える事はしない。考えなくても答えは決まっている。

 俺の言葉を聞いた野田さんは、露骨にショックを受けた顔をしていた。そうやって露骨に傷付いた顔をされると、やっぱり俺も罪悪感に襲われる。

「どう、すれば……好きになってもらえますか?」

「ごめん、どうやっても香織以外を好きにはなれない」

「…………駿河先輩みたいになれば、良いですか? 綺麗な黒髪で、大人っぽくて、清楚になれば……」

「ごめん野田さん。野田さんがいくら香織の真似をしても、それは香織じゃない。だから、野田さんの事を好きになる事はない」

 野田さんは、右手で口を覆って、俺の脇を駆け抜けていった。俺は振り返らず、視線を廊下の床に視線を落とす。

 仕方ないとは言え、女の子を泣かせてしまった。どうしようもないとは言え、女の子を傷付けてしまった。

 俺はどうすれば良かったのだろう。どうすれば、野田さんを泣かせずに傷付けずに断われたのだろう。

「モテる人は大変ね」

「近藤さん……」

 生徒会室から出てきた近藤さんが、腕を組んで俺に微笑みかける。

「野田さんは幸せ者だと思うわ」

「……泣かせて傷付けて、幸せって言えないだろ」

「確かに悲しい思いをしたと思う。でも、そうやって辛そうな顔をするくらい、真剣に考えてくれたのだもの。幸せよ、野田さんは。大抵の男は、告白されて断ったら、笑いながら自慢するものよ。それに平気で二股をかける人だって居る。それに比べれば、とても幸せよ」

「そうか、そう言われると、少しは楽だな」

「モテる男には、全ての気持ちに応える義務はないけれど、全ての気持ちに答えを出す義務はあると、私は思うの。もちろん、問われた気持ちだけだけれど」

 近藤さんは笑った顔から真剣な表情になって、俺の目を見据える。

「私は跡野さんを尊敬するわ。それに、勇気を出した野田さんも」


 グラウンドに出ると、サッカー部の連中達が何やら騒いでいるのが見えた。

「こら! 侑李と香織にばっかり並ばないの!」

「だって、二ノ宮先輩、怒鳴るじゃないですか!」

「あんた達が、なんだミニチョコかって文句垂れるからでしょうが!」

 あの怒鳴り声は二ノ宮の声だ。何やら部員と揉めているらしい。

 様子を窺いながら近付くと、マネージャー陣が部員にミニチョコという名前のチョコレート菓子を配っていた。

 ミニチョコはその名の通り小さく、一口大のチョコレート菓子が一つ一つ包装されている。それを部員に一個ずつ配っているのだ。

「せっかくマネージャーが気を遣って、モテないあんたらにチョコレート配ってやってるって言うのに、感謝くらいしなさいよ」

 俺は二ノ宮に近付いて肩を叩く。

「二ノ宮、その辺にしとけ。流石に言い過ぎだぞ」

「…………ほら、さっさと受け取る!」

「二ノ宮?」

「一人一個だからねー」

「二ノ宮さーん」

「言っとくけどお触り禁止よ」

 露骨なまでの無視。顔も向けず、二ノ宮はミニチョコを部員に配給し続けている。

「優一さん、名前」

「あっ……」

 隣に居た香織に耳打ちされ、俺は二ノ宮を名前で呼ぶ事になった事を思い出した。

「江梨子、その辺に――イデデデッ!」

「名前で呼んでって何度も言ってんのに学習しないわね、優一」

 頬をつねられて離され、俺は頬を擦りながら不満を込めた視線を江梨子に返す。

「んな事言ったって、慣れてる方で呼んじゃうんだから仕方ないだろ」

「まあ良いわ。その度にほっぺたつねって体に叩き込んでやるから」

 ニッと笑う江梨子が自分の分のミニチョコを配り終えると、自分の鞄の所へ走っていく。そして何やらゴサゴソやっていたと思ったら、走って戻ってきた。戻ってきた江梨子の手には、少し大きめの綺麗にラッピングされた箱が握られている。

「はい、優一。バレンタインのチョコレート。感謝しなさい」

「おお、毎年悪いな」

 いつも通り何気なく受け取ると、部員の中から何か不満そうな声が聞こえた。

「なんか跡野さんのだけ、他と違ってません?」

 確かに、ミニチョコではない普通のラッピングされたチョコレートを受け取ったが、毎年同じように貰っていたから特に不信感はなかった。

「はぁあ? 私の本命チョコを配り歩くわけないでしょうが。私の本命はそんなに軽くないのよ」

「「「本命チョコ!?」」」

 部員達から驚きの声が上がり、俺も驚いて江梨子を見返す。すると、加藤がニヤッと笑って江梨子の肩に手を置く。

「そうよね、一年の頃からずーっと健気に手作りしてるもんね」

「なっ! 春! 余計な事言わない!」

 真っ赤な顔をして怒鳴る江梨子。一年の頃からという事は、何気なく受け取っていたチョコレートは、江梨子が手作りしてくれていたものだったのか。

「江梨子、すまん。そうとは知らず普通に受け取ってて」

「謝るな! 優一に変な気を遣われたくなかったのよ!」

「ほんと、純情な乙女みたい」

「春っ!」

 江梨子をからかう加藤を見ていると、隣から肩を叩かれる。振り向くと、大人しめのラッピングをされた箱を手にした音瀬が立っていた。

「跡野くん、いつもありがとう」

「お、おお、音瀬も毎年悪いな」

「ううん、跡野くんには去年も今年もいっぱい助けてもらったから」

 ニッコリ笑う音瀬から箱を受け取ると、横から可愛らしくデフォルメされた熊柄の包みが差し出される。その包みを持っているのは金木だった。

「跡野さん、これ私からです。いつもありがとうございます」

「ありがとう、金木。ありがたく貰うよ」

「はい! 香織先輩と是非食べてください」

 金木から箱を受け取ると、香織が俺を見てニッコリ微笑んだ。そして選手達に視線をふと向けると、何だか不満そうな顔をする。

「跡野さんだけズルいっす!」

「……いや、そう言われても」

「そうよ、悔しかったらあんた等もモテる男になりなさい。私が好きになるくらいいい男になったら、その時は本命チョコくれてやるわよ」

 相変わらずな江梨子に苦笑いを浮かべる。そして、不満そうな声を出しながら片付けを始める選手達は、手に持ったミニチョコを眺めながら少し嬉しそうに微笑んでいた。


「朝の一二個に、セリアさんからと江梨子先輩から、あとは音瀬先輩、そして野田さんかー」

「野田さんのは貰ってないぞ。野田さんが持って帰ったしな」

「でも、本命チョコだったのは間違いないから……」

「告白もちゃんと断った」

「うん」

 野田さんとのやり取りは、彼女である香織には話した。言いふらすわけではなく、香織には告白されてそれをちゃんと断った事を伝えたかった。

「優一さんモテ過ぎ」

「いや、俺は――」

「一七人から本命チョコ貰う人がモテないなんてありえません!」

 そう言い切る香織に、俺は苦笑いを浮かべて言葉を返す。

「香織、一人多いぞ」

「多くないもん」

 香織は俺の前に立って何かを差し出す。

 シックな英字新聞風の包装紙に包まれた手のひらサイズの箱。それを、香織が顔を赤らめて差し出した。

「優一さん、バレンタインのチョコレート」

「ありがとう香織。めちゃくちゃ嬉しい」

 本命も大本命。彼女からのバレンタインチョコ。そして、その彼女である香織が真っ赤な顔をして渡してくれるのもめちゃくちゃ嬉しい。

「優一さん」

「ん? ――ッ!?」

 香織が両肩に手を置いて背伸びをし、唇を重ねる。そして僅かな時間触れていた唇が離れ、香織がニコッと笑う。

「優一さん、ずーっと大好き」

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