46【一二番】
【一二番】
テレビの前に母さん、聖雪、そしてセリアと高塚が座る。俺は少し離れた場所から、小さいテレビ画面を遠巻きに見ていた。
全国高校サッカー選手権大会決勝。うちの高校のサッカー部は、決勝まで残った。準々決勝と準決勝をPK戦で何とか切り抜けて、何とか辿り着いた決勝の舞台。画面には円陣を組む選手とマネージャーの姿が見える。香織ももちろん円陣の中に居た。
「お兄ちゃん、勝てるかな?」
「それは分からん」
隣から話し掛けてきた聖雪に、俺はテレビに視線を向けたままで無愛想に返事をする。
「ユーイチ、リラックスリラックス、デス」
「セリア、俺はリラックスしてるぞ」
セリアと高塚は、セリアが一緒に観戦したいと、決勝の開始時間に合わせてうちへ来たのだ。
テレビの前なのに緊張で体が強張る。俺が緊張した所でどうにもならないのだが、この緊張こそどうしようもない。
勝てるだろうか? 勝てると信じている。でもそれは、戦っているのがあいつ等だから、それしか根拠がない。それも根拠なんて呼べるものじゃないが。
「お兄ちゃん」
「聖雪?」
「大丈夫」
隣に居た聖雪がソっと手を握ってくれ、柔らかく笑う。
「香織ちゃんが優勝旗持って来てくれるって言ったんでしょ? あんなに可愛い彼女の事、信じて上げないとバチが当たるよ」
「そうだよな、香織が優勝してくるって言ったんだ。俺は香織を信じる」
香織達は、あの出発した日から順調に勝ちを重ね、今決勝を迎えようとしている。
二度ほどこっちに帰って来た時に会えた。でも、まともに香織と話せてはいない。やっぱり、連戦の間を縫って帰ってきているだけに、時間があまりなかったのだ。
テレビの画面には、両チームの選手達がピッチに散らばっていく。ピッチの中央、センターマークの上に置かれたボールの近くには、相手チームの選手が二人立っている。
レフリーがホイッスルを吹き、その高い音が響いて試合が始まった。
試合展開は、芳しくない。前半からボールを支配され、うちの時間が殆ど作れていないからだ。でも、フォワード陣の献身的なプレスディフェンスでプレッシャーを掛けて攻撃を遅らせ、ミッドフィルダー、ディフェンダー陣のギリギリの堅守で何とか失点は防げている。ただ、このままでは徐々に体力と精神を削られ厳しくなってくる。
「オウッ!」「危ないッ!」
セリアと聖雪が同時に悲鳴を上げる。相手チームの選手が放ったミドルシュートが、ゴールポストを掠めていったのだ。俺も背筋にゾゾっとした寒気が走る。
前半を折り返し、後半ももう半分を過ぎている。お互いに交代枠は使い切り、選手交代を使った戦術はもう出来ない。
今ピッチに立っている選手達に頑張ってもらうしかない。
『アンダー一八日本代表の神崎裕人。この時間帯は右のライン際でのプレイが目立っています。神崎は中学時代のストライカーから、阿部剛士監督のアドバイスでトップ下にコンバートし、その才能を開花させましたね』
『彼は視野も広くパスセンスもドリブルセンスも同世代では抜きん出ていますからね。それに一五歳以下の代表時代ではワントップを務めて居ましたから、トップ下でゲームを作りながら自分も点を狙う。彼に合っているポジションですね』
実況者の声を聞きながら画面を睨む。神崎がボールを持った瞬間に、三人で囲まれた。攻撃の要である神崎には、当然のごとく執拗なマークが付いているのだ。
「神崎くん一人に三人なんて卑怯じゃん!」
「聖雪、ファウルもしてない。ああやってキーマンを封じるのは戦術的に間違ってはいない」
「でも! あんなに囲まれてたらボールに触れないじゃん」
「いや、逆にチャンスだ。神崎に付いてる三人が疲れてる」
相手チームがやっているのはゾーンプレスディフェンスというものだろう。
マンツーマンディフェンス、通称マンマークは、一人の選手が特定の選手を常に追い掛けてプレイを阻害するディフェンス。それと対になるゾーンディフェンスは、各選手に守備エリアを割り当てて、そのエリア内に入った相手への守備を行うディフェンス戦術になる。
今相手チームがやっているゾーンプレスディフェンス戦術は、そのゾーンディフェンスにプレスディフェンスを合わせたもので、ボールを持った神崎に対して複数の選手が同時にプレスを掛けてきている。相手選手達は守備エリアを決めているものの、複数でディフェンスせざるを得ないため、必然的に個々の守備エリアは広くなる。それはイコールで、自分が守備のために動く範囲が広くなるという事。それは更に”個々の運動量が増えてしまう”という事になる。
後半も折り返しを過ぎた時間帯かつ、圧倒的な攻撃を見せているのに決めきれていない。体力的にも精神的にも、うちと同じかそれ以上に相手は厳しくなっているはずだ。
そうした時間帯には、必ずチャンスは巡って来る。
『ゴールキーパーの佐原幸司、ルーズボールを保持、しない! キャッチと見せ掛けた縦へのロングパス!』
ペナルティエリアでボールをキャッチすると見せ掛け、佐原が縦へ思いっ切り長いボールを蹴り込む。そして、そこには途中交代で体力のあり余った二年が居る。右サイドを撃ち抜く鋭いパスにも、足の速さに定評がある二年は、グングンと追いついて行く。そして、相手選手達は一歩も二歩も、動き出しが遅かった。
神崎の右サイド際でのプレイは、右サイドの選手達を引っ張り消耗させるためで、そのプレイは全て、この一本のための伏線だったのだ。
消耗させられた選手達が、体力があり足の速い二年に追いつけるわけもなく、フリーの状態で右サイドを駆け上がる。
ボールを持った二年は、相手側ピッチの中程まで走った時点で、ゴール前へ素早くアーリークロスを放つ。そしてそのクロスの先には、二列目から飛び出した、神崎が居る。
「よしッ!」
決定的。神崎ならまず外すことのない完璧な状況。それに俺は思わず身を乗り出して拳を握り、そう声を上げた。
「ノー! 危ナイッ!」
セリアの悲鳴と同時に、テレビの画面では、後から相手選手からの突き飛ばしで倒れる神崎が映っていた。
「ふざけんなッ! 何しやがるんだアイツッ!!」
思わず怒鳴り声を上げる。故意なのか、それとも思わず手が出たのかは分からないが、悪質なファウルだ。
レフリーがホイッスルを吹いてペナルティマークを指差し、ペナルティキックを宣言する。そして、神崎を倒した選手へ高々とレッドカードを提示した。
悪質なファウルだ。許される事じゃない。でも、相手チームにとっては決定的なチャンスを潰したのだから助かっただろう。
キッカーは神崎。画面上に映っているタイマーは既に九〇分を示していてアディショナルタイムも半分を過ぎている。これが最後の大きなチャンスになるのは間違いない。
セリア、聖雪、高塚、母さんが両手を組んで祈るように見詰める。俺は、カメラでアップにされた神崎の横顔を見た。
カメラが引いた画に変わり、レフリーのホイッスルが響く。
ゆったりとした立ち方から助走をつけ、神崎はボールに迫る。そして、神崎の蹴ったボールは、大きくゴールネットを揺らした。
「「「やったー!!」」」
実況者の歓声やスタジアムの歓声、そしてテレビの前で飛び上がって喜ぶ聖雪達。そんなみんなに置いていかれた俺は、力無く笑うしかなかった。
「佐原も神崎も、バカだろ……あいつ等……」
神崎は夏の大会で佐原がやったPKをやったのだ。軸足で蹴る、あの変則的なキックを。
佐原は全国大会出場が懸かった試合、そして神崎は全国制覇が懸かった試合。どっちも、そんな大切な試合であんなキックをするなんて、バカ野郎としか言いようがない。
そして、俺が呆けている間に、終了のホイッスルが鳴り、ベンチから選手達やマネージャーがピッチへ飛び出した。
中央には右手の人差し指を立てて突き上げる佐原が居て、その周りを選手達囲む。その選手達の周りにはマネージャー達が囲んでいた、二ノ宮も音瀬も加藤も、他のマネージャーも、そして香織も涙を流して喜んで居た。
その光景が映るテレビの画面を見て、俺は目を擦って滲む画面を必死に目に焼き付けようとした。
次の日、空港には沢山の出迎えがあって、学校関係者以外も沢山居た。
父兄達が『祝! 全国制覇!!』という横断幕を広げ、その先には先生や選手、そしてマネージャー陣が誇らしげな表情を浮かべている。
「皆さんのご声援のおかげで優勝旗を手にする事が出来ました。本当にありがとうございました!」
優勝が決まった時も、今も、あのグリズリー先生が男泣きをして声を出している。
「跡野っ! 来いッ!」
遠巻きから眺めていると、ニヤッと笑う佐原と目が合う。いや、なんで俺が行かなきゃ行けないんだ。
「どわっ!」
後ろから誰かに突き飛ばされて振り返ると、ニコニコ笑う聖雪が居る。
「ほら、呼ばれてるよ!」
「あのな、俺は別に――」
「ほら! うだうだ言ってないで来る!」
いつの間にかマネージャーの集団から出て来ていた二ノ宮が、俺の腕を掴んで強引に引っ張りだす。
「こら、二ノ宮、何すんだよ!」
「はい、ここに立つ! それでこれ着る!」
「着るってなんでユニフォームを俺が着なきゃいけないんだよ!」
サッカー部の優勝を祝う場で和やかな雰囲気だが、俺の登場によって笑いの質が大きく変わってしまう。
「優一さん」
ニコッと笑った香織が、俺に一枚の紙を差し出す。それは大会のメンバー登録表だった。
「背番号、見て」
香織に言われて背番号の所を見る。登録人数は三〇人だから一番から三〇番までの番号が割り振られている。はずなのだが、一番下の選手の背番号が三一になっている。
「優一、それの番号、見なさいよ」
二ノ宮が俺に手渡したユニフォームを指さす。ユニフォームを広げて背番号を確認すると、そこには一二と書かれていた。そして、登録表には一二を付けた選手は登録されていない。
「跡野、それは部員全員が決めた事だ。一二番はお前の番号だとな」
後ろから先生の声が聞こえ、俺の肩をガッチリと掴む。
「おい、ユニフォームは三〇までしかなかったはずだぞ」
佐原に視線を向けると、佐原は相変わらずニヤッと笑って口にする。
「三一は作った」
「作ったって、使わないユニフォーム追加するために部費使うとかア――」
「部費使うと跡野からアホ呼ばわりされると思って、みんなで金を出し合って作った」
「もっとアホだバカ野郎! こんな、こんな事のために、みんなの金、使わせて……」
「アホだバカだはお前の方だ。散々俺達に恩投げ付けておいて、俺達からは何も受け取らないつもりだったのか? そんな事許すか」
佐原にドンッと背中を叩かれ、思わずユニフォームを取り落とす。それを拾い上げようと伸ばした右手は震え、視界が滲んでユニフォームが見えない。
「ここに居る跡野優一は、元サッカー部の部員でした。在席中は、細かな所に気が付き、試合へ出る選手達のフォローをしてくれ、不器用でしたが部内のトラブルをいつも解決してくれたのは跡野です。体力的な理由で跡野は退部をしましたが、退部後も後輩マネージャーの育成や合宿時の指揮等、私達サッカー部を陰ながら支えてくれました」
止めろ……やめてくれ。佐原の声を聞きながら、俺は心の中でそう念じた。
「もちろん、今回優勝出来たのは選手、マネージャー、先生、父兄の方々、そして応援して下さった皆さんの力あってこそです。ですが、跡野の存在が無ければ、私達サッカー部が今この場に立つことは出来ませんでした」
そんな事ない。優勝出来たのは、部員全員が毎日の厳しい練習に耐えて来たから、互いを信じて戦って来たからだ。それは部員達の力で、俺の力なんかじゃない。
「優一、泣いてないでさっさと着なさい!」
二ノ宮から乱暴にユニフォームを被せられ、袖で目を拭う。
鮮明になった視界の先では、二ノ宮が涙を流しているのが見えた。
「上着に重ね着ってださいわね」
二ノ宮が酷い評価を口にしていると、後ろから腕を引っ張られ佐原に肩を組まれる。
周囲に居る部員全員が俺を見てニヤニヤと笑い、完全にみんなにしてやられた事に気が付く。
全く、泣いてる人を見てニヤニヤしやがって……。
「お前ら全員最高だ! バカ野郎ッ!」
俺が叫んだ後、笑い声と一緒に沢山の拍手が空港のロビーに響き渡った。
サッカー部の優勝祝賀会。その席に、俺は不本意ながら座っていた。
「止めろ……やめてくれ、ウワーン!」
俺の隣では、二ノ宮がそう言いながら、ケラケラと笑っている。どうやら、俺が心の中で念じたと思った言葉は声に出ていたらしい。
「江梨子、からかったら跡野が可哀想よ。あんなにボロボロ泣いて感動してたんだから」
加藤も加藤で俺を散々からかいやがる。クソ、だから来たくなかったんだ。
「もー、優一悪かったって、怒んないでよ」
「怒ってない」
「そんなに怒らないでくれよ……止めろ……やめてくれ、プククッ!」
吹き出す笑いを堪える二ノ宮。この野郎、今に見てろよ。
サッカー部の優勝祝賀会は焼肉屋を貸し切りにして行われ、肉の焼ける音や匂いの間から、みんなの楽しそうな声が聞こえる。
「良かったわね、香織。優一が泣いて喜んでくれて」
「に、二ノ宮先輩! この流れでそれを言わないでくださいよ!」
焦った顔をしてチラリと俺を見る香織。どうやら首謀者は香織のようだ。
「私も何か優一にしたいとは思ってたんだけど、一二番を優一の番号にするってのは妙案だったわね」
「まあ、流石彼女ってところね」
二ノ宮と加藤にそう言われ、香織は顔を赤くして俯く。
「こうやって二ノ宮と加藤がからかわなかったら最高だったんだけどな」
「こんな絶好のチャンス逃すわけないじゃん! ねー? 春」
「そうね、跡野をからかえるなんて貴重だし」
楽しそうに笑う二人を見て、俺はふぅーっと息を吐く。
「二ノ宮、加藤。お前等、一年の時に買い出し忘れた事があっただろうが。あの大事件を忘れたとは言わせないぞ」
「げっ!」「あっ……」
マネージャーの集まる場所に座らされていた俺は、視線を二年と一年の後輩に向けて、ニコニコ笑いながら話を続ける。
「ある日の練習中に、当時の三年が足を痛めたんだ。まあ痛めたって言っても軽度だったし、ちょっと冷やして応急処置してれば大丈夫な怪我だった。んで、その三年が自分で手当てをしようと救急箱を開けたら、その救急箱の中身が殆ど入ってなかったんだ」
「ね、ねえ、跡野、その話はその辺にしとかない? ほら、せっかくの祝賀会だし」
「そうね、もっと楽しい話をしましょう」
「音瀬、香織、二人を抑えててくれ」
俺が音瀬と香織に指示を出すと、二人がニッコリ笑って、二ノ宮と加藤を拘束する。
「江梨子ちゃん、ごめんね」
「加藤先輩、失礼します」
「侑李の裏切り者!」
加藤の方は諦めたようだが、二ノ宮は音瀬に掴まれながらギャーギャーと喚く。俺はそれをよそに、マネージャー達へ話を続けた。
「救急箱に中身が殆ど入ってなかったのは、もちろん二ノ宮と加藤が買い出しを忘れたからだ。そして運が悪かったのが、その怪我した三年がめちゃくちゃ怖い三年だった事。もう怒り心頭でブチ切れて怒鳴り散らしたんだよ。買い出しサボった奴は出て来いって」
「それで二ノ宮先輩と加藤先輩が?」
金木が恐る恐る尋ねてくる。俺は、金木に首を振って否定する。
「その怒鳴り声を聞いて女子が平気でいられるわけ無いからな。二ノ宮も加藤もガチガチに固まって声も出せてなかった」
選手達でも肝を冷やすほどの怒鳴り声だ。当然二人は固まって何も出来なかった。
「んで、なかなか名乗り出ないもんだから、先輩の怒りがピークに達しちゃってさ。信じられないかもしれないが、空のスプレー缶を手で握り潰したんだ。もちろんアルミ缶じゃなくてスチール缶な」
「スチール缶を手で……」
二年マネージャーの吉田が苦笑いを浮かべる。もちろん、当時の俺もそんな感じだった。
「それで、どうなったんですか?」
「ん? 仕方なく俺が名乗り出たら、とりあえず一発ぶん殴られた。それで部活終わりに二ノ宮と加藤が俺の所に来て、二ノ宮は落ち込んで借りてきた猫みたいになってて、加藤はワンワン泣きながらごめん、ごめんって何度も謝ってたな。まあ、今の部でそんな殴る殴られるなんて事は無いからな安心しろ。ただし、ちゃんと仕事はしっかりしろよ。それと、絶対に失敗は誰かのせいにはするな。失敗したらみんなでフォローすれば何とかなる。まあ、何とかならなかった時は一生懸命謝れ、それで何とかなる」
「「「はい!」」」
俺がニッコリ笑って後輩への指導を終えると、シュンとして縮こまる二ノ宮と加藤に視線を向ける。
「良かったな、後輩への良い指導になったぞ」
「ぬあー! 優一に弱みで勝てるわけないの忘れてたー!」
二ノ宮が喚くのを聞きながら、香織が意外な顔をする。
「でも、加藤先輩も失敗した事があったんですね」
そんな香織の疑問に、加藤は力無く笑う。
「いっぱい失敗したわよ、それこそ数え切れないくらい。でも、その度にいつも助けてくれたのは、香織の王子様よ。ほんと、跡野っていい奴でさ。一時期、跡野のことちょっと良いなって思った事もあったのよね」
「「「えっ!?」」」
加藤の言葉に俺を含めたマネージャー陣全員が驚く。
「ちょっ! それ初耳なんだけど!?」
二ノ宮は音瀬から離れて加藤ヘ近付く、その二ノ宮に加藤は手を振って離れろと無言で促す。
「言ってないからね。それにちょっと良いなって思った程度よ。その時には彼氏居たし、付き合いたいってより良い男って思っただけ。江梨子、過剰に反応し過ぎ」
「ご、ごめん」
テーブルに置いたジュースを口にした加藤は俺をジーッと見て口を開く。
「本当にヤバイ、どうしようって時に、決まって顔出すのよ跡野は。そういうのにトキメかない女って居ないでしょ? 跡野はそこそこ顔も良いし」
「加藤にそこまで評価されてるとはな」
「うちの部員は全員、跡野には高評価よ」
ニッと笑う加藤は、その後に音瀬と二ノ宮を一瞥してハァーっとため息を吐いた。
「それにしても、あんだけ時間があったのに侑李とも江梨子ともくっ付かずに香織とくっ付くなんて。初め聞いた時はビックリしたわ。二人共、もたもたしてるから香織に取られたのよ。逃がした魚は大きかったわね」
加藤の言葉に二ノ宮はプイッとそっぽを向き、音瀬は困った笑いを浮かべる。
「てか、跡野って色んな事に気が付くくせに、女子の気持ちには鈍感なのよねー。侑李は引っ込み思案だったけど、江梨子なんてわかり易かったのに」
「はあ? 別にわかりやすくないし!」
「何言ってるの、跡野にべったりだったじゃない」
「べったりなんてしてないわよ!」
二ノ宮が真っ赤な顔をして腰を浮かせる。それを加藤が黙って座らせ落ち着かせた。
「嘘言わないの。部活中ずーっと跡野の事を目で追ってたし、跡野ってサッカー下手くそなのに、跡野がボール触ってると目をキラキラさせて見てるし。それに跡野の気を引こうとして彼氏の愚痴言ってみたり、暇さえあれば声掛けて話してみたりしてたじゃない」
「おい、加藤、さり気なく俺を傷付けるな」
「下手くそなのは事実でしょ?」
「まあ、否定はしないが……」
二ノ宮は顔を真っ赤にして俯く。そして、俺はその状況でどうすれば良いのか分からず、加藤の話にツッコんだ。
「そんな分かり易い行動にまーったく気付かないんだから、香織も相当苦労したんじゃない?」
視線を二ノ宮から香織に向けた加藤が尋ねる。尋ねられた香織は苦笑いを浮かべて答える。
「苦労しましたね。優一さん、全然私の気持ち気付いてくれなくて、一年の頃に勇気を出してジーッと優一さんの事を見詰めて見た事があるんです。そしたら、後ろを振り返った優一さんがニコニコしながら近付いて来て、野球部に好きな奴でも居るのか? って聞いてきたんですよ。あれは結構落ち込みましたね」
「跡野、それは無いわ」
「跡野さん……」
「やっぱり優一は優一ね……」
「なんで残念そうな顔で俺を見るんだよ! そんなの気付くわけ無いだろ!」
口々に好き勝手言う加藤、吉田、二ノ宮に文句を言う。普通、自分が見詰められてるなんて思うわけないだろう。
当時から香織は愛嬌があって可愛かった。もちろん懐いてくれてる後輩だと思ってた事もあるが、そんな可愛い子が自分の事を好きだなんて思うわけがない。
「跡野! ハーレム作ってないでこっちにも来い!」
「何がハーレムだ!」
三年に呼ばれ、俺はマネージャー陣から離れて選手達の輪に入る。入った瞬間に一通りのからかいを受けて、いつも通りの馬鹿みたいな話で盛り上がった。
祝賀会が終わり、香織を家に送るためにいつも通りの帰り道を歩く。隣に居る香織は手を繋いだ上に腕を絡ませてべったりと俺に寄り添う。
「久しぶりに優一さんと一緒に居られる」
「まあ、選手権大会で暇が無かったからな」
「優一さん、改めてお父さんの事、ありがとう」
「いや、実際は最初から認めてくれてたみたいだし、俺は何も」
「ううん、お父さん言ってたよ。一課長の俺に直談判してきた奴なんて部下にも居ない、あの男は大した男だって」
「正直、めちゃくちゃ怖かった……」
俺がそう言うと、香織はプッと笑う。そんな香織は、更に俺の腕を抱き締めて明るい笑顔を浮かべた。
「本当に嬉しい! 優一さんの事をお父さんに認めてもらえて。それに優勝も出来たし、私幸せ過ぎてどうにかなっちゃいそう」
「本当におめでとう。そしてお疲れ様」
「ありがとう、優一さん」
香織と一緒に歩いていると、いつもの電柱が見えてくる。その電柱の下に行く頃には、互いに言葉を発しなくなった。
「香織ッ!」
「ゆっ――ンンッ!」
香織の唇をこじ開けて舌を絡ませる。右手は香織の手を握り、左手は香織の腰を支える。
一日一回のキスが無くても、俺達はもう離れない。そういう安心感があったから、ここ最近、こうやって触れ合えなくても不安はなかった。でも、香織を求める欲求は消せるわけもなく、日を重ねる毎に増していった。
俺が唇を離すと、間髪入れずに今度は香織が俺の唇を奪う。体を満たす幸福感と一緒に、もっと香織が欲しいと心が飢えていく。
「ねえ、優一さん」
唇を離した香織は、上目遣いで俺を見上げる。その香織に無言で首を傾げると、香織は頬を赤く染め、そしてボソリと呟いた。
「今日、二人共遅くなるって」




